[ 案内図(2018年)]
高坂ニュータウンは、1977(S52)年3月に旧・日本住宅公団(1981.10.1住宅・都市整備公団に改組)が土地区画整理事業を用いて開発に着手し、1987(S62)年7月に完了した面積97.2ヘクタールに及ぶ大規模な住宅地です。
もともとは民間企業が所有していた196ヘクタールの土地を公団が住宅地開発のため取得したのですが、関越自動車道に19.1ヘクタール、県立こども動物自然公園などに79.5ヘクタールを譲渡したため、残る97.2ヘクタールで開発することとなりました。
高坂ニュータウンは公団が埼玉県内で開発した地区の中でも、ゆとりある宅地開発が行われています。
97.2ヘクタールのうち40%が道路や公園・緑地などの公共用地に充てられ、そのうち公園・緑地は25%、24.3ヘクタールもあります。
同じ公団の大規模開発で、調節池が特徴的な越谷レイクタウンでさえ、公園・緑地3.1%に調節池17.2%を合わせても20.5%にとどまっています。
高坂ニュータウンは丘陵地を開発したため公園・緑地といっても起伏のある樹林地のようなところもありますが、自然に近い斜面が緑の量感を高めています。
さらに、隣接して県立こども動物自然公園(入園料を払わないと入れませんが)もあり、公園・緑地に囲まれた環境にあります。
[ 松風台公園(2024年)]
高坂ニュータウンが開発される前は山林原野が広がり、アカマツ・コナラ・クヌギなどの植生が豊かで、標高は20~80m、数条の沢が入り込み、近くには見晴しのよい名勝物見山もある景観の優れた丘陵地でした。
公団は、埼玉県から景観の保全及び修復に充分配慮を払うよう強く求められたため、自然緑地の保全・活用に努め居住地内の緑の復元を図ることを目標のひとつに掲げていました。
さらに、土地区画整理事業の計画では、施行前は13,000円/㎡の土地が施行後は40,000円/㎡と3倍以上になると見込めるうえ、ほとんどの土地を公団が所有していたので、減歩率を高くし広い公園・緑地を確保することが可能だったようです。
山は削られて宅地になりましたが、残された谷地が公園・緑地に整備されて住宅地に入り込み、緑の多い街づくりに一役買っています。
[ 千年谷公園(2024年)]
高坂ニュータウンの中央には「ひきのみち」という幅の広い遊歩道があり、この遊歩道からほとんどの公園・緑地が歩行者専用道でつながっています。
しかも車が通る道とは立体交差しているので、小さな子供でも遠くの公園まで安全に遊びに行けます。
また地区内の主な道路には歩道があり、街区内は歩行者専用道や緑道が配置されるなど、地区全体を覆う歩行者系の道路ネットワークが充実しています。
[ ひきのみち(2024年):樹木の多い遊歩道 ]
「ひきのみち」は18mの幅の中に低木と高木がバランスよく植えられて、冬は落葉し日が差し込み夏は葉が茂り緑のトンネルになりそうです。
この遊歩道が千年谷公園を渡るところは、贅沢にも80mの斜張橋が架けられ一跨ぎにしています。橋の上からの眺めは丘陵地ならではのものがあります。
・歩行者専用道:幅18mー延長794m、幅12mー延長115m、幅6mー延長627m、
幅4mー延長1,980m、幅2mー延長1,347m
・公園:10ヶ所ー面積87,968平方メートル
・緑地:4ヶ所ー面積155,214平方メートル
(昭和61年10月15日 第3回事業計画変更後)
[ 緑道(2024年):レンガの小径 ]
都市計画決定時の住宅地は、中高層の集合住宅を1,500戸、低層の集合住宅を1,000戸、宅地分譲を500戸とし人口12,000人、人口密度120人/ヘクタールを想定していました。
土地利用計画図を見ると、宅地分譲を予定していたブロックは細街路が計画され、現在も戸建住宅地となっていますが、集合住宅を計画していた地区は大ブロックが割振られていますが、どのような建物が建つのか全く想像がつかきません。
[ 1976(S51)年都市計画決定時の土地利用計画:戸建て住宅は北と東のみ ]
都市計画決定時は中高層住宅が1,500戸と計画戸数の半分を占めていましたが、実際の街づくりは東松山市の意向に配慮して戸建て住宅主体に変更されました。
公団の事業計画書から”中高層”という文字は消えて、集合住宅(140㎡/戸)2,300戸と独立住宅(230㎡/戸)650戸の2種類になりましたが、戸数は集合住宅が全体の7割を占め、戸建て住宅主体の計画にはなっていません。
計画人口12,000人を変えずに約45ヘクタールの住宅地に収容するためには、集合住宅を計画せざるを得ません。住宅地すべてを戸建て住宅(230㎡/戸)にすると、450,000㎡÷230㎡/戸=約1,950戸の住宅しか確保できません。
想定していた4.2人/戸を乗じると人口は約8,200人で計画人口の2/3どまりです。
[ 四季の丘(2024年) ]
集合住宅として残ったのは、全体の面積から見ればわずかの1.5ヘクタールのみで、戸建て住宅の日当たりや景観を阻害しないように街区の北側に位置し、敷地北側は駐車場になっています。
これらは公団から民間デベロッパーに卸された街区ですが、戸建て住宅との調和がとれた建築計画となっていて、採算性だけを重視したマンション建設とは大きな違いがあります。
市民活動センターの西に建つ「四季の丘」の3棟は、興和物産(株)が事業主として開発し1989~1990年に竣工、総戸数132戸、間取り3LDK~4LDK、専有面積は89~123㎡と子育て世帯にも十分な広さです。
また、日本新都市開発(株)が事業主となった「エステ・スクエア松風台」は1989年11月竣工。総戸数68戸、間取り2LDK~4LDK、専有面積は72~165㎡でこちらも広い住戸で構成されています。
双方とも戸数分の駐車場が確保されています。
集合住宅はこの2ヶ所、総戸数は200戸で、都市計画決定時に想定していた中高層住宅の1割強でした。バブル景気の真っただ中に竣工しているので、販売価格は相当に高額だったと思います。
このほかの大きな建物は、学校、スーパー、市民活動センターだけで、あとは戸建て住宅が静かに建っています。
[ 旗立通り(2024年)]
戸建て住宅地はゆとりのある計画です。
用途地域は第1種中高層住居専用地域のままですが、地区計画によって戸建て主体の住宅地として守られるように配慮されています。
・建てることができるのは戸建て専用住宅
・最低敷地面積は165㎡(約50坪)
・住宅の壁は隣地境界から1.5m以上後退
・建物の高さは地盤面から9m以下
・道路に面する敷地境界は生垣
とされています。
敷地は最低でも165㎡(約50坪)とされていますが、200~250㎡のお宅も多いようです。2階建ての家を建て駐車スペースも楽に確保できます。丘陵地の地形をうまく使いコンクリートボックスの駐車場を建物の下に設けているところもあります。
ある程度の敷地があるため庭木のある住宅が多く、地区計画の生垣とともに緑の多い住宅地づくりに一役買っています。
南北に貫く関越自動車道は、騒音対策として日本道路公団が道路の両側に25mの遮音緑地帯を造ることになっていました。
高坂丘陵は景観の保全のため盛土が少ないく、地区内の造成では90万立方メートルもの残土が生じる予定でしたが、幸いにも関越道の盛土に使われたそうです。
[ 松風台(2024年)]
ゆとりある敷地規模のようですが、建替えにあたっては2台分の駐車スペースを確保しているケースが多く、残念ながら緑の量も減少しつつあります。
また、地区計画で定められた「道路に面する敷地境界は生垣」が守られず、フェンスが建てられている区画も見られました。
良好な住環境を保全するための地区計画が守られないと、住宅地の価値にも影響及ぼします。
[ 関越道の緩衝緑地帯(2024年)]
[ 案内板(2018年):三井不動産と興和物産のクルドサック ]
戸建て住宅地の特徴は、住宅地の中を車が通り抜けないようにするため、クルドサック(仏語:袋小路)が数多く設けられていることです。
袋路状道路(行き止りの道)は防災安全上の問題があるため原則禁止されていますが、通過交通が入ってこないという利点もあるので「避難上支障がない」かつ「通行上支障がない」場合は緩和規定が設けられています。
高坂ニュータウンのクルドサックは場所によって形が違い、クルドサックの終端を接続する歩行者専用道もシンプルなものから緑豊かなものまで多彩です。
[ 三井不動産のクルドサック(2024年):終端は円形 ]
「四季の丘」の西側にあるクルドサックは三井不動産(株)の開発によるもので、最もクルドサックらしい形をしています。
路面は通り抜けられる道との違いを示すためブロックが敷かれ、終端は転回場のように円形になっていて乗用車であればUターンできそうな大きさで、4戸の住宅が接道しています。
終端は他のクルドサックに通じる歩行者専用道が接続していますが、高低差があるところは階段になっています。緑豊かな緑道とまではいきませんが両側に植栽が設けられ、味気ないコンクリートの階段ならないように配慮されています。
終端の円形部はちょっとした広場なので、子供が安全に遊べるスペースにもなり得ますが、高齢化が進むためか子供の姿は見かけませんでした。
[ 興和物産のクルドサック(2024年):終端はT字型 ]
「四季の丘」の南側は興和物産(株)によって造られた一帯です。クルドサックが交差する道路の部分は白いブロックで縁取られ、運転者に注意を促すようになっています。
クルドサックの終端はレンガ色のブロックが敷かれた釘の頭ようなT字型で、切り返してUターンできる形状です。終端から延びる歩行者専用道の両側は植栽があり、地区中央を南北に貫く緑道につながっています。
[ 興和物産開発地区の緑道(2024年) ]
地区中央の緑道は狭いところでも4m位の幅があり、いろいろな樹種の低木と中木を組み合わせて植栽され、緩やかに蛇行し歩く人を飽きさせないようになっています。
緑道と宅地面が同じところはしっかりとした生垣があり、緑道を散歩する人から家の中を覗かれる感じはありません。少し広くなっているところにはベンチが置かれ井戸端会議もできます。
クルドサックの先にこんな緑道があるとはちょっと驚きです。
[ 旗立台のクルドサック(2018年) ]
千年谷公園・高坂丘陵2号緑地の南側、旗立台にあるクルドサックは、終端の形状は釘ようなT字型、路面は普通のアスファルト舗装、クルドサック同士を結ぶ歩行者専用道に植栽はなく舗装だけ、と前述の2箇所に比べるとクルドサック自体はシンプルです。
クルドサックに降った雨は路面の中央に集めて集水桝に落とす構造になっていて、排水用に設けられたブロックがセンターラインのように見えます。
[ 旗立台(2024年):シンプル ]
特徴的なのはクルドサックが接続する道にあります。
地区に3本ある東西方向の道のうち中央の最も広い道は歩道があり、こってりと中低木の植栽があります。車道は車の速度が出過ぎないように植栽によって蛇行させ、クルドサックと交差する手前にはレンガ色のブロックが帯状に敷かれ注意を促しています。
そのほかの2本の道は歩道こそありませんが、道の両側に互い違いに低木と中木の植栽を配置し、車を蛇行させ速度の抑制を図ってます。この植栽はクルドサックの入口に入り込むように植えられて、緑の面を拡げています。
[ 旗立台(2024年):樹木が多い ]
クルドサックを採り入れている住宅地は、玄関や車庫がクルドサックに向けて設けられているため、通り抜けられる道路にこれらの出入口はほとんどありません。 このため、通り抜けられる道路を通行する車と住宅に出入りする人や車が出合い頭に衝突するおそれは低く、道路沿いの植栽は途切れることなく連続性が保たれています。
[ 旗立台(2024年):各戸からの出入口はない ]
県南部の市街化区域内では、耕地整理によって整形にされた農地が宅地化される際に、俗に『一反開発(いったん・かいはつ)』と言われる開発があちこちで行われました。
昔の耕地整理では、30間×10間(≒約50m×約20m)の形状で面積1反(≒1,000㎡弱)の短冊状の水田が多く造られました。
この一区画一反ごとに行き止まり道路を設け8戸前後の住宅を建築する開発が、俗に『一反開発』と言われたのです。
[埼玉県東部地域の一反開発:青点線の範囲が1反]
(国土地理院地図から一部抜粋)
もちろん、公園や緑地はまったく造られず、行き止まり道路と住宅があるのみです。
宅地化が進むと農業用水路にはコンクリートの蓋がかけられ、狭いながらも歩道になり、行き止まり道路がつなげられることもありますが、わずかです。
高坂ニュータウンのクルドサックは車は行き止まりになりますが、終端が歩行者道でつながっているため、歩行者は遠回りすることなく行き来ができます。
もちろん、非常時の避難路として利用できることは言うまでもありません。
『一反開発』で造られた行き止まり道と、計画的に造られた高坂ニュータウンのクルドサックとは全くの別物です。
[ クルドサックを結ぶ道(2024年)]
[ 高坂ニュータウンの人口と世帯数 ]
2005(H17)年~2024(R6)年の高坂丘陵地区の人口は減少が続いていますが、世帯数は2,000世帯前後で大きな変動はありません。
世帯あたり人口は2005年は3.0人でしたが2024年は2.1人にまで落ち込んでいます。
子供が転出し親だけが残る人口移動が続いているようで、子供が巣立っていくと残るのは高齢夫婦世帯、さらに時間がたつと高齢単身世帯が増えていきます。
すでに高坂丘陵地区でも数軒ですが「管理されていない空家」が発生しているそうです。この傾向は高坂ニュータウンがある東松山市も同じです。
[ 新宿(2018年):「職・遊・学」が集中 ]
高坂ニュータウンは、生活に欠かせない「職・住・遊・学」のうち「住」は高い質を誇っていますが、「職・遊・学」は地区外に依存しなければなりません。
しかし残念なことに最大規模の「職・遊・学」がある東京から少々離れすぎているので、地価が下がり「住」の選択肢が増えると、敬遠されてしまいます。
ひとつの都市に「職・住・遊・学」を備えることができれば、移動は都市内で完結するため通勤・通学時間は短くなり生活面でゆとりができます。
大都市周辺のスプロール現象も少なくなり、都市経営上も安定するはずです。
しかし、一極集中が進む巨大都市東京の近郊の市町村では「職・住・遊・学」を備えた街づくりを実現することは、机上の空論と言って差し支えありません。
[ 復興記念館(2014年):震災と戦災からの復興の記念に ]
東京は1923年に起きた関東大震災を忘れ、太平洋戦争の大空襲も忘れ去り、様々な都市機能の集積が進んでいます。
現在の建築物は昔に比べれば格段に耐震性、耐火・防火性が高まっていますが、被災時に人命が損なわれないことが最大の目標であって、地震の揺れを受けた建物がそのまま使える保証はありません。
東京で起こり得る災害への備えとしても、高坂駅から20分ほどの川越市あたりが「職・遊・学」の充実度を高めることができれば、高坂ニュータウンの「住」も生き残れるかもしれません。
[ 高坂駅への道(2024年):東松山市が整備 ]
高坂ニュータウンは計画人口12,000人を大きく下まわる結果でしたが、計画通りに整備されなかったことが、結果として緑豊かでゆとりのある良好な低層住宅地をつくり出しました。
住宅・都市整備公団が200億円以上をかけて造り上げ、地区内の公園・緑地、地区外の道路や高坂駅前広場、上下水道などは、東松山市も大きな負担をし現在も維持管理を行っています。
地区内はもちろんのこと、これまでに造り上げたニュータウン周辺のインフラを無駄にせず、質の高いストックとして大切に使い続けたいものです。
人口減少の時代では「壊しては造り、造っては壊す」を繰り返す余力はありません。
<参考資料>