[ローテンブルク(1989年):石畳が似合う街]
テレビの旅行番組などで欧州の都市が紹介されるときは、整った美しい街並みとあわせて石畳の道が映し出されます。
石が敷き詰められているのは歩道だけではなく、車道にも敷かれ自動車やバイクが普通に走っています。
石畳の道は古くから造られていましたが、その中でも「すべての道はローマに通ず」で知られるように、古代ローマが支配地へ向かうために造った道は有名です。
ローマ帝国の領土が最大になったトラヤヌス帝の頃は、720万平方kmの国土に総延長29万kmもの道が走っていました。
現在の高速道路や幹線道路には、ローマに至るこれらの道をなぞるように造られているものもあります。
[ポンペイ(1989年):西暦79年で時間が止まった街]
南イタリアのポンペイ遺跡は、西暦79年のベスビオ火山の噴火で生じた火砕流により、ローマ時代の都市が当時のままの姿で封じ込められました。
18世紀から始められた発掘のおかげで、2000年前の古代ローマの都市と住民の生活の様子を見ることができます。
ポンペイ市街の道は、馬車が走りやすいように石が敷き詰められ、両側の一段高いところには歩道がついています。
車道は排水溝を兼ねていて、車道を横断するところには飛び石が置かれ、横断歩道のようになっています。
敷き詰められている石は一抱えもある大きさで、形は不揃いですが隙間なく敷かれています。
[パリ(2015年):石畳が似合う街]
ローマ帝国が衰退したあとの欧州は、ローマ時代の道が使われるものの手入れされることも新たに造られることもなく、クッションのない馬車は乗り心地が悪くスピードも遅いため移動の主流は徒歩で、お金持ちがロバや馬の背に乗れる程度でした。
15世紀になると岩から切り出したほぼ均一な大きさの石を使った舗装も行われました。
これらの石板や舗石による舗装は主に都市部で行われ、城壁を越えて郊外に踏み出すとぬかるみと穴ぼこだらけの道だったようです。
[アッピア街道(2018年):昔の大きな石畳も残っている]
ローマ街道の先駆けであるアッピア街道は、ローマ水道も手掛けたアッピウス・クラウディウスにより紀元前312年から造られた道で、現在も造られた当時の姿で残っている区間があります。
しかし、ローマ市街に近く車の交通が多いところなどは、市街地で見られる現代仕様の石畳に変わっています。
黒に近い暗灰色で一辺が10㎝程の舗石が規則正しく並べられ、舗石の間は土が入っていたり、痛みの激しいところはアスファルトが詰められています。
サンセバスティアーノ門の市街地側にあるアルコ・ディ・ドゥルーゾという古い凱旋門の近くに、古くからの大きな敷石による石畳を少しだけ見ることができます。
角はすり減って大きな丸みがつき隙間が大きくなっているので、新しい現代仕様の石畳に造りかえても不思議ではないのですが、どういう経緯か分かりませんが幅1m×長さ10mほどだけが残されています。
[アッピア街道(2018年):第1マイルストーン付近]
古代のローマ街道は全幅20m前後で車道+歩道は5~6mが標準と言われていますが、アッピア街道の最初のマイルストーンがある付近は両脇に壁が迫り、道幅は6mくらいしかなく片側に気休め程度の歩道があるだけです。
この道の上を、乗用車のみならず路線バスも結構なスピードで大きなロードノイズと共に走り抜けるので、てくてく歩いてる観光者は思わず身を固くしてしまいます。
舗石の表面はタイヤで磨かれているのですが、アスファルトの舗装に比べれば凸凹があり隙間もあるので、普通の靴でも歩くのは少々難儀します。
ましてハイヒールで歩くことは不可能ではないでしょうか。
こんな郊外を歩いているのは物好きな観光客のみで、地元の人は車やバスで移動するのが常識のようです。
[フォロ・ロマーノ(2018年):古代ローマの中心]
ローマ有数の観光地であるフォロ・ロマーノは、かつてはローマ帝国の中心地でしたが、帝国が衰退したあとは見捨てられて異民族の略奪にさらされ、挙句の果ては土砂に埋もれて放牧地なっていました。
19世紀からの発掘により、今日では歩くことができるようになった『聖なる道(Via
Sacra)』というメインストリートは、ローマ帝国時代の60~70㎝もある大きな石が敷き詰められた道です。
しっかりと手入れが行われていれば、角が丸くなった石は取り換えられて凹凸の少ない平坦な道だったのでしょうが、ローマの衰退とともに石畳もほったらかしになったようです。
両脇には崩れ落ちた石材や柱が数本残るのみですが、石造の建物がそびえ立っていた当時、この狭い道から建物を見上げると相当な圧迫感があったのではないでしょうか。
決して歩きやすい路面ではないので、こちらも靴底のしっかりした靴での観光をお勧めします。
[ヴェネチア広場(2018年):交通量が多いのに石畳]
ローマ市街はいたるところに石畳の道があります。
車の少ない通りのほかに、テルミニ駅北側の共和国広場や白亜のヴィットリオ・エマヌエル2世記念堂前のヴェネチア広場のように、バスや乗用車の交通が多い道にも石畳の舗装がされています。
ローマ市街の石畳は『Sampietrini(サンピエトリー二)』と言われるそうで、玄武岩から切り出した縦横が12㎝程の舗石を敷き詰めています。
車が多く通る道では、土の上に敷き詰めただけではすぐにへこんでしまうので、今ではコンクリートの層の上に砂を敷いて舗石を敷き詰めているそうです。
『Sampietrini(サンピエトリー二)』の最初の記録は教皇ピウス5世(Pius
V)の在位期間(1566-72)にあり、その後2世紀にわたり市内の主要な通りの舗装に使われました。
舗石の舗装は馬車の走行に対しレンガに比べて路面の滑らかと強さがあったそうです。
初期のころは、古代ローマ街道の大きな敷石から舗石を切り出して使われることもあったそうです。
[舗石(2018年):縦12×横12×高さ18㎝の大型]
石畳に使う舗石の厚さ(深さ?)は、大型が18㎝、一般サイズが6㎝だそうです。
車道の壊れたところで、縦12×横12×厚さ18㎝の大型の舗石が横倒しになっている姿を見ることができました。
下に向かって少しずつ細くなっているのが分かります。
縦12×横12×厚さ6㎝の舗石は、歩道や車の少ない道に使うのでしょうか。
どちらの舗石にしろ、これを手作業で敷き詰めるのは大変な作業で、時間もかかります。
車の多い道ではへこんだ石畳をあちこちで見かけます。
造るのも手作業なら直すのも手作業なので、アスファルトの舗装に比べればコストがかかるはずです。
[ピラミデ周辺(2018年):アスファルト舗装が多い]
市街地にアスファルトの舗がないわけではありません。
写真のピラミッドがある場所は、市街地南部のチェスティアのサン・パオロ門(Porta S.Paolo駅、地下鉄Piramide駅の前)の近くです。
ピラミッドは古代ローマの執政官ガイウス・ケスティウスの墓で、BC18~12年に建造され高さは36mあります。
付近の車道はアスファルトで舗装され歩道が石畳になっています。
駅前から郊外へ向かうオスティエンセ通りは、車道のみならず歩道もアスファルトで舗装されていました。
[チルコマッシモ付近(2018年):石畳とアスファルト舗装の境]
『Sampietrini(サンピエトリー二)』は馬車の通行には効果的な舗装でしたが、現代の自動車交通に対しては、時間の経過とともにでこぼこに変形し、濡れた場合は非常に滑りやすいなどの欠点があります。
2005年7月にローマ市長Walter
Veltroniは、不十分なメンテナンスが二輪車への危険性を高め、周辺に騒音と振動を引き起こしているサンピエトリーニの石畳は、今後、歩行者エリアや特徴的な街路で限定的に使うのみでそのほかは撤去していく、と発言したのです。
ローマ時代の競技場だったチルコマッシモの東側を通る道路は、交差点の近くで石畳からアスファルトの舗装に代わっていました(2018年当時)。
その後googleで見ると、石畳は消え全てアスファルト舗装になっていました。
「永遠の都ローマ」と言えども厳しい財政状況のもとでは、石畳よりも丈夫で手間暇のかからないアスファルト舗装にせざるを得ないようです。
[ナヴォーナ広場近くのコロナリ通り(2018年)]
城壁内側の市街地にある、車の通行が少ない路地の多くは石畳が敷かれ、今後もアスファルト舗装に変わることなく残りそうです。
あまり手入れがされず、凸凹が観光客の足をいじめるところもありますが、石の表面は歩行者に磨かれて陽の光が当たると美しい模様が見られます。
ローマ市街中心部には日本でよく見られるような、ガラス・金属・コンクリートを多用した新しいビルはほとんどありません。
新しい建物は規模が大きく階数も多いのですが、凝った形状や装飾は少く、なんとなく古い建物と似たような造りになっています。
旧市街の雰囲気を壊さないようにする建築規制により石畳に似合う街並みが続き、観光地として高い人気を保ち続けることができるようです。
歴史的に価値のある建物の前には小ぶりの案内板がさりげなく立っていますが、日本語の解説はありませんでした。
[ナヴォーナ広場(2018年):中央部が少し高い]
古くからの市街地であるナヴォーナ広場やパンテオンの周辺は、歩いていると道が広くなったり狭くなったり幅が一定せず、いつの間にか広場になっていたりします。
そんな広場の中でもナヴォーナ広場は異色で、1世紀に造られたドミティアヌス競技場の跡が広場になり、細長い陸上競技のトラックを囲むように建物が隙間なく建っています。
一段高くなった中央部には3つの有名な噴水があり、周囲の建物沿いにも一段高くなった歩道があります。
中央部も、歩道も、車道も同じ材質の舗石が使われた石畳で、白い縁石がないと段差の位置が分からないくらいです。
路面の色だけ見ていると黒っぽく地味過ぎる色合いに思えますが、噴水や周りの建物の引き立て役に徹しているようです。
[スペイン広場(2018年):不整形な広場]
ローマ市内の広場で日本人に最も知られているのがスペイン広場でしょう。
映画『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンがジェラートを食べているシーンを真似したくなるところですが、現在は飲食禁止です。
スペイン広場は、ポポロ広場(もちろん石畳です)から歩いてくると車道がいきなり広がって広場になってます。
細長い直角三角形のスペイン広場は、意図的に造ったというよりは、地型が悪く建物が建てられずに残った土地と道路が合わさって広場になった感じがします。
道路と広場の境を示すように舗石の並べ方を変えているところがありますが、広場全体が同じ石畳で覆われています。
昔は馬に乗ったお巡りさんがいたのですが、現在は軍の警備車両が躊躇なく広場の中まで入ってくるので、平和ボケしている観光客はびっくりです。
[スペイン広場(2018):噴水と階段の白が際立つ]
スペイン階段はクリーム色の凝灰岩で造られているので、ひときわ目立つ存在です。
ここでも石畳は引き立て役で、舗石の単調な並べ方と黒っぽい色は、階段下にある「バルカッチャの噴水(舟の噴水)」の造形や水の色も引き立てています。
スペイン階段は、高級宝飾品ブランド「ブルガリ」が修復費約150万ユーロを支援して2014年から工事が行われ、老朽化する階段が20年ぶりにきれいにされたそうですが、そのことを宣伝する看板は見当たりませんでした。
[スペイン広場とコンドッティ通り(2018年)]
スペイン広場から西へ向かうコンドッティ通りは高級ブランド店が並び、庶民はショーウィンドウに飾られている高級品の値札を見ると店内に入ることを躊躇してしまいます。
道幅は10mもなく両側の歩道には石板が敷かれていますが、車道はごく普通のアスファルト舗装です。
交差する道もさらに西側の道も石畳なのに、スペイン広場からわずか300mの間だけがどういう訳かアスファルト舗装なのです。
これから石畳が復活するのでしょうか、それともブランド店が並ぶコンドッティ通りといえども、財政難に勝つことができずこのままの状態が続くのでしょうか。
[パンテオン前(2018年):カフェが映える石畳]
ローマ市街には、たくさんのオープンカフェが石畳の上に店を構えています。
どのカフェもテーブル・椅子・パラソル(庇)の3点セットで店がつくられていますが、石畳が平らではないのでテーブルや椅子ががたつくこともあります。
ひどい道になると石畳が全体的に傾いているところもあり、落ち着けそうにないお店もありますが、気にする人はいません。
黒っぽい石畳は、カフェの”床”として目立つことなく役割を果たし、それとなく雰囲気を作り出す必要なアイテムでもあるようです。
[パンテオン横(2018年):石畳VSベンツ]
[名所江戸百景 筋違内八ッ小路]
日本では平安時代に牛車が貴族の乗り物として使われていましたが、交通手段の主流となることはありませんでした。
その後、鎌倉時代も室町時代も車輪付きの乗り物が通れるような道路整備は行われず、江戸時代になり徳川幕府は五街道などの整備を進めます。
しかし幕府は馬車の使用を禁じていたため交通手段は専ら徒歩と駕籠が主流で、限られた人が馬に乗る程度でした。
馬車は大量の荷物(武器も)を高速で輸送できることが幕府への脅威であり、また伝馬制度維持のため使用が禁止されたようです。
石畳は箱根のように勾配が急な坂道には造られましたが、その他の道は土のままでも問題はなかったようです。
五街道のひとつ中山道の例では、幅2間(3.6m)、厚さ5寸~1尺(15~30cm)の盛り土の上に幅9尺(2.7m)、厚さ1~3寸(3~9cm)で砂が敷かれた程度でした。
[箱根(2018年):旧東海道の石畳]
東海道の難所であった箱根は、箱根峠(標高846m)前後の勾配がきつく、雨が降るとぬかるみの酷い悪路になりました。
幕府は竹を敷き並べて対応しましたが根本的な解決とはならず、1680年に1406両余りをかけて石畳に置き換えられました。
道幅は2間(約3.6m)で中央の1間が石畳になっていました。
石畳は両端に30~70cm・厚さ20~30cm程度の大型の石を直線的に配置し、その内側にやや小型の石が隙間なく並べられました。
土(ローム層)の上に石材を直に敷き並べられることが多かったようですが、勾配のきついところでは小石と粘土を混ぜ合わせた基礎材を敷き、その上に石が並べられる場所もありました。
使われた石材の大部分は近くで採れる安山岩です。
人が歩くだけの道なので、馬車に耐えられるように石材の下に数層の路盤を設けたローマの道に比べ、とても簡便な造りなっています。
また、カーブや勾配が多くまちまちな幾何構造でした。
[箱根(2018年):石畳の幅は1間]
箱根の石畳は、現在の靴で歩いても、足首やひざはあらぬ方向に曲げられ、足の裏に石の角が当たると当たると痛いの一言です。
泥濘(ぬかるみ)にならないようにするだけが目的で、石で平らな路面を造り出すことは考えられていません。
この道を雨の日も雪の日もわらじを履いて歩いたのですから、昔の日本人の足の裏は頑丈だったようです。
chapter-123憧れの石畳 2 へつづく
[ローマのジェラート(2018年)]
ローマ市内はいたるところにジェラートを売るお店があります。
有名店はそれなりに立派な店構えですが、そんなに値段が高いわけではありません。
一番小さいサイズでも2ボールが普通で、値段は2~4ユーロ(1ユーロ≒130円)なのでとてもお安く感じます。
ガイドブックにのる有名店は行列ができていますが、紹介されていないお店もおいしかったです。
写真のジェラートは2.5ユーロでした。