[浅草の人力車(2018年):今では観光地の乗り物]
明治になり欧米の文明が入ってくると、大都市では人力車とともに馬車や鉄道馬車が庶民の足として活躍しますが、道路は所々が石材で舗装されたものの多くの道路は江戸時代からの土の路面で、ひと雨降るとひどい泥濘の様相を呈していました。
その後、関東大震災の復興事業では、幅22m以上の幹線街路の9割が舗装されました。
意外にもアスファルト舗装の割合が少なく車道が5割、歩道では約1割でしか使われていませんでした。
車道では木塊や小舗石が使われることもあり石畳もあったようですが、
歩道はコンクリートブロックが7割近くを占めていました。
[1959年 旧・岩槻市内の舗装工事前]
日本で本格的に舗装が進められるのは戦後になってからです。
1953(S28)年は国道・都道府県道でさえ5.4%しか舗装されていませんでしたが、20年後の1973(S48)年には72.1%が舗装されました。
2022(R4)年時点では、国道・都道府県道の舗装率は97.7%、市町村道を含む道路1,220,138kmのうち1,017,066kmが舗装され、舗装率は82.7%に達しています。
コンクリート舗装に比べると耐久性で劣るものの、安く早く施工できて目地のないアスファルト舗装が95%と圧倒的に多くを占めています。
[さいたま市内の中山道(2018年)]
戦後の経済成長とともにアスファルトで舗装された道が当たり前になると、商店街や観光地では差別化を図るため道路も少しずつお化粧が施されるようになりました。
欧州の街並みに対する憧れが強い日本では、少しでも似た街を造ろうとして石畳または石畳風の道路が造られましたが、多くは歩道だけ石畳風の舗装にして車道はアスファルト舗装です。
日本の石畳風舗装は、沿道の建物よりも道路が目立つように造られ、さらに同じ市内でも場所が変わるとデザインも変わり統一感に欠けています。
また、多種多様な材料・色を使っているため、補修用の材料が入手しにくく類似品で補修されることもあり、見苦しさに輪をかけています。
[さくら草通り(2018年):派手な路面の模様]
浦和駅前の伊勢丹を抜けると「さくら草通り」という幅12mの歩行者道が埼玉会館まで240mにわたり続いてます。
両側には店が並び、駅から県庁や埼玉会館へ向かう人通りの多い道です。
路面はレンガのような複数の茶系と白のブロックを使ってにぎやかな幾何学模様が描かれています。
周りの建物にも様々な色が使われ、さらに原色ののぼりや看板が掲げられ、沿道の建物と路面の色で混沌とした空間になっています。
看板やのぼりの次に目立つのが路面といった感じで、街並みへの配慮をせずに道路だけを取り出してデザインがされたように思えます。
それとも沿道の景観が美しくないからせめて路面だけでも派手に美しくという発想なのでしょうか。
[祇園巽橋(2016年):市電の敷石が使われている]
さすがに京都は国際観光都市を自負するだけあって、景観への配慮もされているようです。
東山の哲学の道、新橋通、石塀小路、二年坂、産寧坂などの石畳には、1895(M28)年から1978(S53)年まで活躍した市電の敷石が使われています。
このほかに社寺の参道や学校の敷石などにも再利用されています。
市電の敷石は上質な御影石で、舗装をしていない道の色に近く、木造建築や瓦屋根の歴史を感じさせる風格や色合いと調和しています。
[祇園花見小路(2016年):アスファルト舗装の上に自然石]
観光客の多い花見小路は2000(H12)年に電線の地中化、アスファルト舗装から石畳化、デザイン照明の設置が京都市によって行われました。
路面には整形された自然石が規則的に並べられていますが、その下にはアスファルト舗装の層があり自動車が走っても耐えられるように造られています。
また歩行者と車両を構造物で分離するほどの幅がないので、石の大きさ・色を変えて視覚的に歩車分離を図っています。
中央部の大きな石板は市電の敷石とほぼ同じ色合いで、両側の小さな石板は灰色系ですが、周りの建物と違和感はありません。
施工後15年以上経っても、石板の欠損、段差やぐらつきはほとんどなくとても歩きやすい道です。
花見小路は祇園町南歴史的景観保全修景地区内にあり保全修景計画では、できるかぎり石、木材などの自然材で造ることとされています。
[膏薬辻子(2018年):保水性もあるので暑い時は打ち水が効果的]
四条通の南にある膏薬辻子(こうやくのずし)は、2012(H24)年に石畳風に舗装された道です。
一見すると石板が敷き詰められた石畳のように思えますが、端部をみると石板ではないことが分かります。
自然石を混ぜ込んだアスファルト舗装にセメントミルクを流し込み、カッターで目地を作っています。
平らな路面を造り後から目地をつけているので、とても平坦な路面が造れます。
石板がはめ込まれている石畳とちがい、2,3枚だけ交換するといった小技は使えないので、当面の間は路面を掘り起こさない道でないと、この石畳風の舗装はできません。
それでも、石畳に比べると安価なようで、京都市内の各地で施工されています。
保水性もある舗装なので打ち水が路面に浸み込み、暑い時は水が蒸発する際の気化熱で冷やす効果もあります。
[鐘つき通り(2018年):時の鐘がある通り]
蔵造りの街並みで有名になった川越市内でも石畳の舗装が進んでいます。
1989(H1)年に旧川越市都市景観条例が施行されるとともに、蔵造りの建物が並ぶ中央通り周辺の道で『歴史的地区環境整備街路事業』という国の補助金事業が導入され、舗装の石畳化と電線の地中化が進められました。
この事業は都市計画道路を対象に行われるため、1989(H1)年3月にまず4路線が都市計画決定(幅員4m)されました。
菓子屋横丁通りが1991(H3)年度に、養寿院門前通りと長喜院門前通りが1992(H4)年度に、少し遅れてれ行伝寺門前通りが2002(H14)年度に石畳に新装されました。
[菓子屋横丁通り(2018年):ガラスブロックの埋め込み]
菓子屋横丁通りの石畳は、数種類の大きさの石板と一辺が10cm程の舗石が使われ、明るい灰色が主体ですがところどころに薄茶色の石板も置かれています。
このほかに、菓子屋横丁の代表的なお菓子である飴をイメージしたガラスブロックが舗石に代わり埋め込まれています。
4~5cm角のガラスブロック4つで舗石1個分に相当する大きさで、足元をよく見るとあちこちに散りばめられ、人波が去るときれいなガラスブロックを見ることができます。
石板は道の中ほどに飛び飛びに置かれているので、ゆっくり歩くことを促しているようですが、休日など混雑しているときは人の流れに身を任せるような状況です。
[養寿院門前通りと行伝寺門前通り(2018年):完成時期が10年違う]
門前通りの3路線は、いずれも中央部に石板を直線状に連続して敷き詰めることで、お寺への参道であることを主張しています。
石板の並べ方に違いが少々あるものの路面の基本的なデザインは同じなのですが、完成の遅かった行伝寺門前通りだけは石板以外の部分に舗石が使われず、小さな石板が両側に敷かれてます。
舗石を並べた道のほうが、人が歩く歴史的な街の道という雰囲気があると思うのですが、デザインや材料を変え理由は何でしょうか?
[長喜院門前通り(2018年):復旧の跡が痛々しい]
『歴史的地区環境整備街路事業』が行われた道沿いでも建物の新築や建替えはあります。
道路の地下に埋設してある電線やガス、水道、下水道などを家につなぐためには道路を掘り返し、工事が終わった後は元の状態に戻さなければならのですが、復旧工事に使うための従前と同じ材料の入手が難しいようです。
長喜院門前通りには、復旧工事は終わったものの元の舗石とは異なった色の舗石が並べられているところがありました。
明灰白色と灰色の舗石ならばいつでも調達できそうですが、灰色に代わり赤っぽい色の舗石が使われていました。
[大正浪漫夢通り(2018年):大きな石板の石畳]
4路線の整備に見込みがつくと、さらに6路線が1999(H11)年に都市計画決定され、これまでに寺町通り線(幅員5m)、鐘つき通り線(幅員6m)、大正浪漫夢通り線(幅員7m)の3路線が石畳になりました。
これらの道はこれまでに整備された4m幅の道に比べて広く車も多く通ります。
車の走行による振動や騒音の抑制に配慮したようで舗石は使われず、大きめの石板を規則的に並べ路面の平坦性を高めています。
京都の花見小路と同じように、中央部に明るい白御影石を主に配置し路側部分はグレーの御影石の石板を並べ、視覚的に車の通る部分と人が歩く部分を分けています。
また、川越祭りでは鉄帯を巻いた車輪を持つ山車が市中を練り回るので、山車の通行のためにも舗石を使わずに石板を敷き詰めた石畳としたのかもしれません。
[鐘つき通り(2018年):壊れた石板]
歴史的地区の雰囲気を出すために凝ったデザインになっていますが、人が歩き車も通る道なのでいつまでも建設当時のままの状態が保たれるわけではありません。
鐘つき通りも大正浪漫夢通りもところどころで石板が破損し、アスファルトで埋められていました。
石畳は景観的には優れているのですが、部材の接合部(目地)がたくさんあるため、健全な状態でもアスファルト舗装に比べ走行音が大きくなります。
破損したところからは、より大きな音に加え振動も発生するので、速やかに修繕しないと沿道の住民から嫌われてしまいます。
凝ったデザインも結構ですが、すぐ修繕できるように、いつまでも安定的に供給される入手しやすい材料を前提にして、デザインすることが最も基本ではないのでしょうか。
[ローマ市内(2018年):並べ方の違い]
ローマ市内の石畳は、舗石の並べ方が異なっていることはありますが、どこでも同じ形状・材質の舗石が使われていました。
地元で採れる石から切り出した舗石を使っているので、時代が変わっても同じ材質の舗石が供給されているようです。
[さいたま市内(2018年):3種類の石畳]
石畳はアスファルト舗装に比べ、設置のコストも修繕のコストも高くなります。
少子高齢化が進み昨今の自治体はどこも財政は火の車ですが、石畳への憧れは強いようです。
上の写真、左上はアスファルト舗装の上に石畳模様をペイントする手法で石畳風に仕上げたもの、右上は擬石ブロック、下は磁器タイルだと思われます。
石畳にするためにいろいろは手法を試していますが、最後に施工されたのが最も安い石畳模様のペイントです。
[さいたま市内(2023年):石畳風]
アスファルト舗装の上に型紙を置いて着色するようなものなので、型紙を変えればいろいろな模様ができますが、色の層は数ミリしかないためいずれ化けの皮が剥がれてしまいます。
水道工事が入ったところは、模様がつぎはぎになっています。
それでも、この舗装が増えるのを見ると、石畳への憧れというより執念が感じられます。
[伊佐沼庵]
川越市街の東に釣り客で賑わう伊佐沼があります。
伊佐沼庵は沼の北隣ある古民家を使ったうどん屋で、歯ごたえのあるツルツルとしたうどんが食べられます。
休日は11時の開店からお客さんが入り始め、うどんがなくなり次第閉店になるので、お昼を過ぎて行く場合はご注意を。
<参考資料>