さいたま市大宮区【参道】

chapter-124 2019.05 2024.12

■訪日外国人旅行者数・・・・・



[ 訪日外客数の推移 ]


日本政府は2003年からビジット・ジャパン・キャンペーンに力を入れ、外国人旅行者の訪日を促してきました。リーマンショックや東日本大震災で落ち込む時期もありましたが、その後は順調に増加し2016年は2000万人を越え2018,2019年は3000万人を越えていました。新型コロナウイルス感染症の拡大により2020~2022年は大きく落ち込みましたが、現在でも「明日の日本を支える観光ビジョン」に2030年の訪日外国人旅行者数6000万人を目標に掲げ、観光政策が進められています。
訪日外国人旅行者数を押し上げたのはアジアからの観光客で、新型コロナ前の2019年は中国・韓国・台湾の3国だけで2000万人以上が訪れていました。東京、大阪、京都などにアジアから多くの外国人観光客が押し寄せていたことは、マスコミの報道に限らず現地に行ってみれば実感(特に耳で感じます)できました。
新型コロナが下火になった2023年以降は円安もあり、新型コロナ前を上回る外国人旅行者で観光地がごったし、オーバーツーリズムへの対応に迫られています。



[ 清水寺(2016年):アジアの団体さん ]


日本人にも人気のある神社・寺院は訪れる外国人も多く、日本らしい写真が撮れる場所は自撮り棒を持った外国人が混雑に拍車をかけています。神社・寺院の本殿・拝殿、楼門・山門など外国人が”古の日本”を感じる建物周辺に限らず、参道の屋台やお土産店でも多くの外国人観光客が”日本らしさ”を楽しんでいます。
観光客が行きかう参道は、神社・寺院にお参りするための道ですが、どこからどこまでが参道なのか明確な定めはないようです。参道は、神社・寺院の境内地である場合や、一般の公道も含めて参道と言われる場合などもあり、また造られた時期も神社・寺院の創設と同じ時期とは限らず、生い立ちや形態は千差万別です。



[ 清水寺(2022年):コロナの頃はガラガラ ]


欧米の街では「教会への参道」があるのでしょうか。
カトリックの総本山であるサンピエトロ大聖堂は東側に広い道がありますが、教会への参道として紹介しているガイドブックは見かけません。教会は市街地の中心にあり隣接して広場があることが多く、参拝のための道が限定されなかったかもしれません。
日本の社寺の参道が観光地のように賑わっているのは、大きな神社・寺院は町はずれにあったのでそこに至るまでの道が参道になり、参拝を口実に庶民が日常とはちょっと違った遊興を楽しんだ名残のなのでしょうか。江戸時代の”お伊勢参り”は、参拝という形をとった庶民の観光旅行の最たるものでした。



[ 伏見稲荷(2018年):外国人に人気の観光スポット ]


■明治神宮の参道・・・・・



[ 表参道(2018年):オシャレで洗練された通り ]


神社・寺院をお参りするための参道の中でも、明治神宮につながる『表参道』は流行の最先端をいくオシャレで洗練された道のイメージが定着し、参道としての本来の役割は影をひそめています。
表参道はもともと皇居から明治神宮へのお参りを第一に考えられた道でした。最高裁判所付近の三宅坂交差点から赤坂御用地、神宮外苑の南側を通る青山通り(国道246号)で外苑前交差点に向かい、外苑前交差点からその先をほぼ直線で明治神宮南東の水無橋(山手線の上に架かる橋)までを最短で結ぶ構想だったのです。ところが表参道の築造を担当した東京市がどういう訳か計画を変更したため、現在の位置に表参道が誕生したのです。
1919(T8)年に完成した当時は、歩道と車道に分離されておらず並木もない砂利道でした。



[ 神宮橋(2018年):橋の向こうは明治神宮 ]


表参道は明治神宮の造営にあわせて完成しましたが、当時の東京市が公道として築造し現在は都道になっている道で、明治神宮の境内地ではありません。
表参道から山手線の上に架かる神宮橋を渡ると、一の鳥居が見え明治神宮の境内地にある南参道につながります。鳥居から先の南参道は砂利道で、両側は緑深い木々が生い茂る森が広がり、外国人が喜びそうな雰囲気が高まってきます。
境内地内の参道はこのほかに、代々木駅方面から入る北参道、小田急線参宮橋駅方面から入る西参道があり、参拝者の便宜を図っています。北参道も西参道も『永遠の森』を目指し壮大な計画のもとに造られた明治神宮の森の中を通るので、混んでいる南参道を避けたい方にはお勧めです。



[ 北参道(2015年):バリアフリーになる前 ]


明治神宮造営時の総理大臣大隈重信は、伊勢神宮や日光東照宮のような杉を主体とした森づくりを命じたそうです。しかし、本多静六博士らは、明治神宮は関東ローム層の台地上にあり杉の生育には不向きなことを科学的に証明し、針葉樹と常緑広葉樹の混植を提案したおかげで現在の森に至りました。
本多静六博士は埼玉県久喜市(旧・菖蒲町)の出身で、日比谷公園など多くの公園の設計にも携わった林学博士です。


■出雲大社の参道・・・・・



[ 神門通り(2021年):勢溜から一の鳥居 ]


出雲大社の参道は、御本殿から南へ伸び『勢溜』と言われる小さな広場付近までが境内の参道です。
さらに、その南に『神門通り』という参道が真っ直ぐに一の鳥居がある宇迦橋まで続き、宇迦橋の南で少し東側に方向を変え、さらに真っ直ぐに進むと1990(H2)年に廃止されたJR大社線の旧・大社駅に至ります。旧・大社駅舎は残っていますが、さすがに駅付近まで参道を歩く人はいません。
鉄道の駅に代わり1994(H6)年に旧・大社駅の北に『道の駅 大社ご縁広場』が開業し、ここに車を止めて歩いて参拝に行く観光客もいるので、道の駅より北側の参道は歩いている人を見かけます。



[ 神門通り(2018年):松並木を残してリニューアル ]


人通りが多くなるのは、一畑電車の出雲大社前駅付近から出雲大社の間です。
この間は両側にお土産屋や出雲そばなどの飲食店、旅館が並び、いかにも日本らしい観光地の雰囲気が出てきます。
出雲大社前駅は1930(S5)年に開業したステンドグラス風の窓がある西洋建築で、ドーム型の天井や円形の切符売場などがのこり、国登録有形文化財になっていて一見の価値があります。またホームには車内が木製の1929(S4)年製造された電車が保存され、だれでも内部を見学することができます。
駅から参道を進み緩い坂道を上ると、勢溜の大鳥居といわれる二の鳥居があり、ここから出雲大社の境内地になります。
二の鳥居から三の鳥居にかけては神社・寺院には珍しい下り参道になり、その先の松の参道を進み四の鳥居をくぐると、注連縄が特徴的な拝殿が見えそのうしろに御本殿が鎮座しています。



[ 下り参道(2021年):神社・寺院の下り参道は珍しい ]


さすがに出雲大社だけあって立派な参道だと感心するところですが、参道のうち境内の外にある旧・大社駅前から勢溜までの通りは、1912(M45)年に大社駅が開業した後の1915(T4)年に造られた新しい参道です。
大社駅が設けられる前は、出雲大社の南を流れる堀川を市場橋で渡る道と、馬場橋で渡る道の二つの参道があり、東西から勢溜に向かっていました。大社駅の誘致にあたって、この二つのルートがある市場地区と馬場地区が対立したため、大社駅は桑畑が広がる両地区の中間に開業することになりました。このため、大社駅から出雲大社に参拝するためには、市場橋、馬場橋のいずれを渡っても遠回りになってしまったのです。



[ 市場橋からの参道(2018年) ]


この状況をみた当時の高岡島根県知事は、大社駅から出雲大社への参道として新たな県道「大社停車場線」を計画し、堀川に架かる宇迦橋から勢溜までは、出雲大社境内の参道と一直線となるルートにしたのです。当時、島根県内の橋は川に直交するように架けられていましたが、参道を直線にするため宇迦橋は堀川に対して斜めに架けられ、その珍しさは地元新聞に取り上げられるほどでした。
新たに造られた参道である「大社停車場線」は、当時としては広い6間(約10.8m)の幅で造られましたが、今日では車と人が安心して通れる十分な広さではないため、2010(H22)年から松並木を残しつつ車と人が譲り合う道に再整備が始められ、現在の姿になっています。



[ 宇迦橋(2018年):堀川に対し斜めに架かっている ]


出雲大社の参道は地元の思いもありいろいろと手をかけて、多くの参拝者で賑わうことを期待されていますが、出雲大社の西隣に観光バスを含め約750台を収容できる駐車場があり、参道を歩かずに参拝できてしまいます。
参道の存在を無視した駐車場の位置が誠に残念です。


■氷川神社の参道・・・・・



[ 氷川神社十日市(2023年) ]


埼玉県にも長い参道を持つ神社があります。
さいたま市大宮区(旧・大宮市)にある氷川神社は、中山道から分岐する一の鳥居から約2kmもの長い参道が、ほぼ真っ直ぐに神社までつながっています。
江戸時代の初期は、この参道が中山道として使われていましたが、街道が遠回りになるうえ、神社の神域を通過し不敬となるため、大宮の農民は関東郡代伊奈忠治に街道の新設を申し出ました。1628年、当時原野だった参道の西側に新たな街道が設けられることになり、街道の新設と同時に新道の両側を地割して参道沿いの農家家屋を移転させたのです。地割の大きさは、間口7~8間、奥行き63~65間程度の宿場町独特の細長い形で、今でも中山道沿いは昔の地割で建物が建っているところもあります。



[ 明治迅速測図:氷川参道は並木道 ]


江戸時代に中山道と分離された氷川参道は、公道ではなく氷川神社の土地が細長く残されている珍しい参道です。参道の両側に並ぶ600本を超える並木も氷川神社の所有物です。並木は昭和初期までは杉でしたが、現在はケヤキを中心にした並木になっています。中には直径1mを超える大木もありますが、寄る年波には勝てず枯れたり倒れる並木もあり、樹木の管理は大変そうです。
高いところから見ると、建物で埋められた市街地に緑の直線が長々と横たわる姿は、参道の長さを改めて実感させます。
氷川神社は約2400年前(孝昭天皇3年4月)の創立と言われ、927年の延喜式神名帳には氷川神社の記載があります。余りにも古いので参道ができた時期は不明ですが、明治神宮の表参道や出雲大社の神門通りよりも古いのは確かです。



[ 氷川参道(2006年) ]


[ 氷川参道(2018年):西側にマンションが増えた ]


氷川参道は大きく3つの区間に分かれています。


・・・・・一の鳥居~参道交番(大宮駅前通り交差点)・・・・・

以前は車両が対面通行のできる区間があったり、一方通行の区間でも路上駐車が多くとても安心して歩ける参道ではありませんでした。
2009(H21)年までに約1kmの区間すべてで歩行者と車を分離する工事が行われ、北向きの一方通行になりました。参道の幅の半分3m程ですが歩道が造られ、ようやく安心して歩けるようになりました。
江戸時代の人は、参拝者以外の人が神社の神域を通過するのは不敬と考えていたのに、鳥居の下を車が通り抜ける光景を見たら、どんな思いを感じるのでしょうか?



[ 一の鳥居(2024年):歩車分離された ]


約1km区間のうち南大通東線から北側へ約450mの区間が2019(H31)年4月25日に歩行者専用になりました。
参道に並行して西側を通る氷川緑道西通線(旧市役所前通り)が拡幅され、一方通行が解除されたためです。 これにより一の鳥居から参道交番点までの間は、自動車が連続して通行できなくなったので、残っている一方通行の区間を通り抜る車が減り、歩行者の快適性は高まるはずです。



[ 大宮区役所付近(2024年):歩行者専用に ]


氷川神社に参拝するためにわざわざさいたま新都心駅で降り、一の鳥居から参道を通り氷川神社へ歩いて行く人は稀です。このあたりの参道は参拝のための道というより散歩や生活のための道として使われています。
道路部分はさいたまが管理する市道ですが、並木がある部分を含めて氷川神社の土地なので、参道から出入りできるお店を開くためには、並木や樹木の伐採など氷川神社のお許しがない限りできないと思います。この区間は氷川神社から遠いので出店がOKされても採算上厳しそうですが、最近は参道を歩く人をターゲットとしたお店が少しづつ増えています。


・・・・・参道交番~氷川神社入口交差点(旧・国道16号交差点)・・・・・


[ 1986年の参道:戦後を引きずった参道 ]


[ 上の写真付近の1985年住宅地図 ]


現在の状態からは想像できませんが、この区間は終戦直後に大宮駅前にあった闇市の移転先として使われ、「平成ひろば」になる前は164戸の住まいと店舗がありました。移転に当たっては一年限りの条件でしたが、その後も多くの住民が留まっていました。1985(S60)年から整備が始まり、留まっていた住民が移転した後は市が神社から借地して、御影石の遊歩道とその両側には緑地帯を設け枯れて失われた並木を再生し、1989(H1)年に「平成ひろば」に生まれ変わりました。
氷川神社の参道が昭和時代の終りまで、戦後を引きずっていたことに驚きを禁じえません。



[ 平成ひろば(2024年) ]


平成ひろばは両側に一方通行の道路があるので、ひろばに入るためには必ず車道を横断しなければなりません。
南北320mにわたり続した緑地とすることができたので、両側に道路を設けざるを得なかったようです。一方通行の道路には、ところどころに平成ひろばへ渡るための横断歩道がありますが、すべての車が歩行者のために止まってくれるわけではありません。横断歩道部分を高く盛り上げ、強制的に車のスピードをダウンさせるような工夫があっても良いかもしれません。



[ 平成ひろば(2024年):両側に市道 ]


・・・・・氷川神社入口交差点~三の鳥居(境内入口)・・・・・



[ 二の鳥居(2024年):この先は参道らしくなる ]


平成ひろばから氷川神社へ向かうためには、ひろばの脇の一方通行の道を渡りさらに旧・国道16号を横断歩道を渡らなければなりません。大宮駅から歩いて来る参拝者の多くは、この横断歩道を渡り参道に入るので、実質的な氷川神社の参道はこの交差点から始まります。
50mほど先に二の鳥居が見え、その先は中央部のみが舗装された両側に並木のある、手入れの行き届いた参道らしい風景になります。ほぼ直線の参道は三の鳥居まで440mほど続きます。並木の中には枯れた樹木もありますが、次の世代の並木を担うための幼木が植えられています。ケヤキのほかにモミジもあるので、成長した暁には紅葉も楽しめる並木道になりそうです。



[ 氷川参道(2018年):モミジが植えらることも ]


初詣の時期になるとこの区間の両側には屋台が並び、幅が狭くなるうえに多くの人が通るので、通り抜けるのに一苦労します。また、氷川神社の横にはJリーグ大宮アルディージャのホームグラウンドがあるので、試合のある日はオレンジ色の歩行者が増えます。
この区間も参道の両側に市道がありますが、西側の市道沿いは住宅が並び東側の市道はお店が1,2軒ある程度で、正月でもない限り有名観光地の神社・寺院のようにう賑わうことはなく、静かできれいにされている参道です。
氷川神社の参道の賑わいは、江戸時代に新しく造られた中山道沿いに吸い取られたので、これからも静かな参道が保たれそうです。






<参考資料>