chapter-128 寄居町の形

[2019.03]

■3社が乗り入れ・・・・・


寄居駅南口
[寄居駅南口(2017年):駅前とは思えない静けさ]


複数の鉄道会社が乗り入れている駅と聞くと、都会のターミナル駅を想像します。
埼玉県内では、JR東日本、東武、埼玉新都市交通の3社が乗り入れている大宮駅が最も大きな駅で、新型コロナの影響を受けている2021(R3)年度でも1日平均の乗降客数は約55万人に達します。
大宮駅のほかにも3社の鉄道会社が乗り入れている駅があります。
その駅は県北部にある寄居駅で、秩父鉄道、東武鉄道、JR東日本の3社が乗り入れています。
1日平均乗降客数は約5,700人で、残念ながら大宮駅と比べものになりません。
駅北口の一等地には町役場と総合体育館があり、役場はこの辺りでは最も高い7階建ての立派な建物ですが、南口は閉店したスーパーがさみしそうに立ち、周りで営業しているお店は半分くらいです。
それでも、2022(R4)年4月には都市計画道路中央通り線が開通し、駅前広場には円形のラウンドアバウト交差点が造られ、駅前の風景が大きく変わりました。


寄居PA
[寄居パーキング(2016年):星の王子様がテーマ]


寄居町は甲府~秩父~熊谷を結ぶ国道140号と東京~川越~松本を結ぶ国道254号が交差する要衝でもあります。
交差点には交通安全を喚起する珍妙なモニュメントが毎年作られ、思い出したようにマスコミで取り上げられることもあります。
また、関越道には寄居パーキングエリアもあるので、県外の人でも『寄居』という名称を聞いたことがあると思います。
寄居パーキングエリアはスマートインターが2021年3月に完成し、今後さらに知名度が上がるかもしれません。


■昭和の合併・・・・・


寄居町地図
[2019年現在の寄居町]
(地理院地図 電子国土Webを加工)


寄居町の形を見ると、三角形のツノが突き出したようなところがあります。
飛び地のように見えますが地続きになっていて、細いところは100mほどの木が生い茂る山林です。
突き出しているところは、1955(S30)年2月11日に寄居町・折原村・鉢形村・男衾村・用土村の1町4村が合併した時の用土村部分です。
旧・用土村の区域に住んでいる人が旧・用土村以外の寄居町に行こうとすると必ず隣接している市か町を通らなければなりません。
なかでも旧・用土村の区域の中学生は一度深谷市に入り寄居中学校まで通わなければならなので、中学生は町境を2回越えるW越境通学です。


昭和の合併
[町村合併状況図:昭和35年1月1日時点]


1955(S30)年の合併に至る経緯を見ると、変な形になった理由が分かります。
戦後、町村の行政運営には8,000人程度の規模が必要とされ合併が進められます。
寄居町の周辺では「寄居地区町村合併推進協議会」が1954(S29)年1月に組織され、翌月には寄居町・折原村・鉢形村・男衾村・用土村・花園村の1町5村合併と武川村・本畠村の2村合併という県の合併試案が示されましたが、協議会は様々な合併案が噴出しまとまりません。
様々な案を一挙に解決するため1町7村合併が提案されたのですが、武川村と本畠村は熊谷市の方を向き、花園村は8,000人以上の人口があり合併には消極的でした。


寄居町はこの3村を除く1町4村の合併を積極的に進めようとしましたが、鉢形村が煮え切らず花園村が加わることを条件としたのです。
花園村に打診したところ武川村も含むことが条件とされましたが、武川村は本畠村との合併を考えていたので誘いを断ります。 
結局、鉢形村が折れて1町4村で合併に合意し、新たな町名は「玉淀」という案もありましたが「寄居」に落ち着き、今日の寄居町が誕生しました。
花園村は合併せず、武川村と本畠村は2町で合併し川本町となりました。
県の試案で合併が進んでいれば、いい形の寄居町になっていたのです。


■平成の合併・・・・・


深谷駅
[深谷駅(2014年):東京駅をイメージした駅舎]


平成に入りバブル景気が去ると、基礎自治体の財政基盤確立のため再び市町村合併が進められます。
2003(H15)年1月に深谷市・岡部町・川本町・花園町・寄居町の1市4町で合併協議会が設立されましたが、翌年3月には寄居町が離脱し5月には協議会が解散。
残る1市3町で新たに合併協議が進められますが、花園町は町長が寄居町との合併を望み、議会は1市3町の合併を望む状況だったので、2004(H16)年11月に住民投票が行われました。
合併協議会から早々に離脱していた寄居町は、議会に花園町との2町合併を求める請願が出され、町議会も全員一致で2町合併を確認していました。
花園町の住民投票にあたって寄居町議会は、花園町の住民に対し「寄居町との合併に○」を緊急アピールし、対等合併で「花園」の名称を継続し、花園町役場は総合支所として今まで通り活用するとラブコールを送りました。


ふかや花園駅
[ふかや花園駅(2018年):2022年10月駅前にアウトレットモールが誕生した]


残念ながら投票結果は、
  ・寄居町と合併 -------- 3607票
  ・1市3町で合併 ------ 3717票
  ・単独(合併しない) --- 488票
と僅差で1市3町での合併が上回りました。
寄居町との合併を望む花園町長でしたが、住民投票の結果を尊重し1市3町の合併を進め、花園町は2006(H18)年1月1日に深谷市となりました。
2005(H17)年の国勢調査では寄居町の人口は37,061人、花園町が12,635人と、あと一歩で5万人に達するので、2町合併による『花園市』誕生の夢もありましたが、永久に実現しない夢になってしまいました。
寄居町の突き出した形も、深谷市に吸収合併されない限りなくなることはありません。


■鉢形城公園・・・・・


花園町に合併を二度まで振られた寄居町ですが、町内には派手ではありませんが見所は随所にあります


鉢形城址
[鉢形城公園(2019年):土塁と堀]


最近、寄居町が力を入れているのが鉢形城跡です。
お城と言えば姫路城や彦根城のように石垣と堀があり天守がそびえ立つ観光地のイメージですが、鉢形城は堀と土塁が残る程度で派手さはありません。
鉢形城は戦国時代に荒川と深沢川に囲まれた断崖絶壁の上に築かれた城です。
豊臣秀吉の小田原攻めでは前田・上杉らの軍勢に包囲され、北条氏邦は1ヶ月余りに及ぶ籠城の末に城兵の助命を条件に開城した、実戦経験のある城です。
戦国時代の代表的な城郭として1932(S7)年に国指定史跡となりました。


鉢形城址
[鉢形城公園(2019年):建物は復元の門のみ]


近年は発掘調査の成果を基に、堀や土塁に加え石積や門の復元が行われ、雑草が生い茂っていた城跡はきれいな公園として管理されています。
緑の頃に来ると奥州平泉で芭蕉が読んだ「夏草や 兵どもが 夢の跡」の句が頭をよぎります。
断崖絶壁の上からは荒川の流れや対岸の寄居町中心部を望むことができますが、もう少し景観伐採されればより景色が楽しめると思います。
近所の方の犬のお散歩コースとして使われているだけではもったいない公園です。


■玉淀・・・・・


荒川河岸
[荒川の河岸(2019年):鉢形城を守った断崖絶壁]


玉淀とは荒川中流の玉淀河原の総称で、1935(S10)年に県指定名勝になりました。
「玉のように美しい水の淀み」ということで命名されたようですが、現在は荒川の水位や河床の変動により昔の「淀」は見られません。
河原に降りると荒川によって造り出された切り立った河岸に圧倒され、鉢形城が城の適地に造られていたことが分かります。
美しい玉淀が見られた頃は宿泊する観光客もあり、今でも川沿いで営業している旅館がありますが、廃業し荒廃した旅館もあるのが残念です。
石で建てられた建物と違い、木造建築は人が使わないと朽ち果てていずれ姿を消してしまいます。
高速道路などの整備により都心から車で1時間半で来られるので、秩父を加えても日帰りで十分観光できてしまいます。
都心に近いのも考えものです。


1960年
[1960年12月2日の空中写真]
(国土地理院KT60AW-CB4-1-3343より切り抜き)

1990年
[1990年11月2日の空中写真]
(国土地理院KT902-X-C3-11より切り抜き)


昔の玉淀の風景は、空中写真から平面的ですが知ることができます。
荒川は左岸寄りを流れていましたが1970(S45)年頃から変化して右岸寄りを流れるようになり、河原の形が大きく変わっています。
空中写真から河床の変動はわかりませんが、この頃の荒川では1961(S36)年に二瀬ダムが完成、さらに八高線鉄橋の上流2Km付近には灌漑と発電を目的とした玉淀ダムが1964(S39)年に完成しました。
これらのダムにより川の流量や運ばれる土砂が減少し川の姿を変えているのでしょうか。


玉淀河原
[玉淀河原(2019年):河原と正喜橋]


鉢形城跡と玉淀は隣接していますが、行き来するためには少し下流側に架かる正喜橋を渡らなければなりません。
昨今各地で造られている観光用のつり橋でもあれば、スリルと観光を目的にお客さんが増えるかもしれませんが。
また、日本の観光地に不可欠なのが「名物」と「土産」です。
最近は名物も土産も、ちょっとTVで取り上げられSNSで話題になると、歴史がなくても地元密着ではなくても、多くの人が目指してやってきます。
玉淀河原沿いの道に並ぶ空家や空地に、「名物」が食べられ「土産」が買えるところがあると、随分違うと思います。


広報
[寄居町の議会だよりに掲載されていた写真]


■円良田湖(つぶらた・こ)・・・・・


排水路
[円良田湖(2019年):余った水を流す水路)]


ウルトラマンを生み出した「円谷プロ(つぶらや・ぷろ)」が読めれば、円良田湖も読めそうですが「良」はなくてもよさそうです。
円良田湖は寄居町と美里町の境にある湖で、灌漑用のため池とするために1954(S29)年にダムが造られ誕生しました。
ダムは高さ21m、堤頂長138mの土で造られたアースダムと言われる種類です。
ダムの上は車で渡れるので湖の外周を車で一周することもできますが、すれ違いできない道が大半なのでお勧めしません。
この湖は釣りを楽しむ人が多く、真冬の2月でもワカサギ釣りを楽しんでいる人がいますが、見ているだけで寒くなります。


円良田湖
[円良田湖(2019年):湖面に浮かぶ家]


ダムは水位が上昇すると余剰の水が自然に流れ落ちる構造になっていて、ダムの上からコンクリートの越流堤を越えて流れ落ちる様子を見ることができます。
人為操作の必要がない構造だということが一目でわかるダムです。
越流堤のそばには釣り宿が数件ありますが、いずれも水中に柱を立て水面すれすれに建てられているようです。
まるで水に浮かぶ家のように見え、もっと連続して建ち並んでいれば面白い景観になりそうです。
山間の湖なので駐車場の確保が難しいようで、ダムに最も近い駐車場は寄居町の釣り客専用でした。
入漁料に駐車料金も入っているのでしょうか?


■ホンダがきた・・・・・


ホンダ
[寄居ホンダ工場:白い建物 山を切り開いて造られた]
( 地理院地図 電子国土Webを加工 )


近年人口の減りつつある寄居町ですが、2013(H25)年7月9日にホンダの寄居工場が稼働しました。
約95万㎡の敷地に「最も環境負荷の小さい製品を最も環境負荷の小さい工場で作り出す」をコンセプトに、四輪完成車の生産能力年25万台、従業員数2,000人の巨大な工場が誕生しました。
隣の小川町にはエンジン製作工場が造られ、寄居工場にエンジンを供給しています。
従業員の多くは狭山工場からの配置換えと言われ、寄居町からの新たな雇用がどの程度あったのか不明ですが、工場ができたことで町税は増えたようです。
固定資産税や町民税などが含まれる町税を見ると、工場の造成が始まる19年度と稼働した25年度から大きく伸びてます。


税収
[寄居町の町税(当初歳入予算)]


ホンダ狭山工場の閉鎖が発表されているので、今後、寄居町に住む従業員が増え人口減少にブレーキがかかるかもしれません。寄居町にとってホンダ様は神様です。


■おまけ・・・・・

日本の里
[日本の里 風布館(やまとのさと ふうぷかん) みそ豚丼うどんセット]

風布館は町おこし事業として造られた寄居町の観光施設で、食堂とBBQ場があります。
皆野寄居有料道路の寄居風布インターからぐるっと回って降りて1~2分で着きます。
山に囲まれた静かなところで、周辺には埼玉では珍しいみかん園があります。
食堂のメニューはシンプルですが、炭火で焼いてくれるみそ豚は、香ばしい香りと柔らかいお肉がご飯にベストマッチ。
うどんは手打ちで出汁が適度にしみ込み、おいしくいただけます。
なお熊谷方面から寄居風布インターまでは無料区間です。





<参考資料>