[旧・東横線渋谷駅の取り壊し前(2013年)]
渋谷駅周辺では2020東京オリンピック開催の影響もあるのか、駅を含めてあちこちで再開発が進められビルが建て替えられています。
しばらく行かないと駅の周りの景色が大きく変り、違う駅に来たのかと思うほどです。
[ヒカリエと渋谷クロスタワー(2013年)]
1975年に渋谷クロスタワー(旧・東邦生命ビル)が渋谷駅周辺で最初の高層ビルとして誕生したあとは、しばらくの間は高層ビルが建つことはありませんでした。
その後、渋谷マークシティやヒカリエなどの高層で巨大なビルが建ち、徐々に駅周辺の空が狭くなってきましたが、2020年は劇的に狭くなりました。
今まで東口には、かまぼこ屋根が特徴的で、路線の端末に造られる櫛形ホームの旧・東横線渋谷駅がありました。
また、東口の駅前広場は明治通りにつながっていて、たくさんのバス(東口は都営バスが多い)が出入りし、お客さんが乗降していました。
旧・東横線渋谷駅と東口駅前広場があったおかげで、地上からも広々とした空が見えていました。
[旧・東横線渋谷駅の取り壊し中(2015年)]
渋谷駅周辺の再開発は、東急グループを中心に2027年完成を目指して進められています。
すでに国道246号の南側、渋谷川とJR埼京線に挟まれたところでは、渋谷ストリームという再開発ビルが旧・東横線渋谷駅の跡地の一部を使って2018年に完成しています。
さらに東京オリンピック開催年である2020年には渋谷スクランブルスクエア東棟(230mの高層ビル)が完成し、地下鉄銀座線渋谷駅のホーム移設が終わります。
[スクランブルスクエア予定地と銀座線渋谷駅(2015年)]
[完成したスクランブルスクエアと銀座線渋谷駅(2020年)]
渋谷スクランブルスクエアは、東急東横線旧・渋谷駅跡地の残りの部分と渋谷駅の東口駅前広場を使って建てられました。
南は国道246号、北は銀座線の高架近くまで使って建っているので、ヒカリエから渋谷駅はほとんど見えなくなってしまいました。
渋谷駅とヒカリエを結ぶ連絡通路は半部程が仮設の通路でしたが、今ではスクランブルスクエアに接続し仮設部分はなくなりました。
[銀座線渋谷駅(2020年):筒の中に渋谷駅がある]
銀座線渋谷駅は、建て替えられる東急百貨店のビルから追い出され、駅前広場と明治通りの上に移ってきました。
東急百貨店にホームがあったときは、銀座線の線路だけが駅前広場と明治通りの上空を横断していたので、ふさがれる空は広くはありませんでした。
スクランブルスクエアが完成し、銀座線の上下線に加えて広いホームのある駅舎ができたので、空間を塞ぐボリュームがこれまでと比べ物にならないほど増えました。
[東口の眺め(2017年):渋谷ストリームが建築中]
[東口の眺め(2020年):渋谷スクランブルスクエアが完成]
渋谷駅付近は渋谷川が流れる谷地だったので、地下鉄が台地部のトンネルから出てきて谷の上を横断していました。
今では渋谷川は地下に追いやられ、渋谷という”谷”はビル、道路・鉄道の高架、歩行者デッキで埋め立てられているようです。
ビルの中と歩行者デッキを歩いていると、坂の存在に気づくことはありません。
道玄坂、宮益坂といった名称だけが、渋谷が”谷”だったことを教えてくれます。
[西口の眺め(2015年):東急プラザ閉店時]
[西口の眺め(2020年):渋谷フクラスが完成]
西口も東口と同様です。
東急プラザが渋谷フクラスに建て替わり、視界を塞いでいます。
更に駅と連絡する歩行者デッキも造られつつあります。
2027年完成時の模型がヒカリエに展示してありますが、この模型では地上からの眺めの変化はわかりません。
再開発がすべて完了したときは、真上を見上げないと空を見ることができないかもしれません。
[尾崎豊記念碑]
渋谷クロスタワーのテラスは、尾崎豊が青山学院高等部在学中にここから夕陽を眺めていたということで、「十七歳の地図」の歌詞と尾崎豊のレリーフが設置されています。
いまでも訪れるファンがいるようですが、尾崎豊が眺めていた夕日は見られないかもしれません。