chapter-134 美女木環状線

[2021.04]

■「田」の字の道路・・・・・


美女木交差点
[美女木ジャンクション(2019年):高速道路に信号がある]


国道17号新大宮バイパスと国道298号の交差点付近の地図をよーく見ると、少々形の崩れた「田」の字に見えるところがあります。
ここは『戸田市美女木』。
道路交通情報などでおなじみの「美女木ジャンクション」があるところで、新大宮バイパスの上にを走る首都高速道路、国道298号の上を走る東京外環自動車道(外環道)がここで交差しています。
この美女木ジャンクションは、信号機のある交差点で高速道路が交差していることで全国的に有名(?)なところです。



[戸田市都市計画図]


「田」の字の道路の「口」を構成している道路は、両側に広い歩道のある立派な2車線の都市計画道路です。
都市計画道路と聞くと真っ直ぐな道路や緩やか曲線の道路を想像しますが、「田」の字の道路の「口」の部分は4つの「く」の字型の都市計画道路「美女木環状1号線」~「美女木環状4号線」で構成されています。
「田」の字の「口」の部分は、1992(H4)年に外環道が開通した後しばらくの間は国道298号でしたが、なぜか10年後の2002(H14)年7月18日に戸田市道になっています。


■「田」の字の誕生・・・・・


田の字インター
[外環状道路と新大宮バイパスのインターチェンジ構想図]


「田」の字の道路は戸田西部土地区画整理事業によって造り出されました。
戸田西部土地区画整理事業は324.5ヘクタールの大規模な土地区画整理でしたが、1961(S36)年に戸田町(現・戸田市)が国に対し事業認可申請を行った時点では面積57ヘクタールしかありませんでした。
この頃すでに国道17号新大宮バイパス(首都高+17号バイパス)と外環状道路(外環道+国道298号)の計画があり、国は戸田町に対し土地区画整理事業により道路用地を確保するため区域を広げるように求めました。


田の字インター
[外環状道路と新大宮バイパスのインターチェンジ構想図]


戸田町は建設省(現・国土交通省)の意向に沿って、新大宮バイパス、外環状道路及びこれらの交差に必要な道路(美女木環状1~4号線)の用地が確保できる計画に見直すのですが、当時都市計画決定されていたのは新大宮バイパスだけで、外環状道路の計画は雲をつかむ様な状況でした。
戸田町長は1964(S39)年6月2日に建設省道路局長に対し『東京外郭環状予定線についての照会』をし、6月30日に道路局長から『戸田西部土地区画整理事業に関連する幹線道路の予定線について』の回答を受け、担当する関東地方建設局と協議し、予定されている幹線道路の用地を確保することになりました。


道玉第39号   昭和39年6月30日
戸田町長 野口成吉殿 ← 建設省道路局長 ㊞
   戸田西部土地区画整理事業に関連する幹線道路の予定線について
 昭和39年6月2日付戸都発第38号でご照会のありました標記については、東京周辺の幹線道路網の一環として計画中の予定線が、貴事業区域において新大宮バイパスとほぼ直交して経過することになります。この幹線道路は都市計画決定のうえ事業化をはかりたいと考えておりますので、この区域の土地区画整理事業の計画にあたっては、この道路敷地の確保について格段の御配慮をお願いいたします。 なお、公共施設管理者負担金は、この幹線道路の事業化の段階において負担するよう取計らいたいと存じます。 おって、詳細はこの幹線道路計画立案担当である関東地方建設局と十分なご協議をお願いいたします。


公共施設図
[戸田町西部土地区画整理事業 整理後公共施設図1/3000]


関東地方建設局との協議の末、戸田西部土地区画整理は建設省道路局の意向を満足する計画となり、1964(S39)年に都市計画決定、1965(S40)年7月27日に事業計画の認可にこぎつけました。 構想段階の『外かく環状道路新大宮国道インターチェンジ平面図 1/3000』を見ると、「田」の字の道路を使って高速道路からの右折と左折を捌き、交差部分は直進のみの立体交差を検討していたようです。
『整理後公共施設図』は構想段階よりもより最終形に近い施設配置になっています。
外環道も首都高も「田」の字の外側にオンとオフのランプがあり、「田」の字の一般道路を使って外環道と首都高を交差させる形状です。
ただ、外環状道路の高速部は全線にわたり幅22.5mの4車線を想定しているのに対し、新大宮バイパス上の首都高は幅9mの2車線のみが外環道の下を通過する計画になっています。


田の字の使い方
[[「田」の字の使い道?:左折だけで処理できる交差点]


「田」の字の一般道路を使って高速部の交差が検討されたのは、外環道の計画は具体化していたものの首都高5号線は都内の環状6号(山手通り)までしか都市計画決定されておらず、首都高が埼玉県内まで延伸されるか分からない状況で、高速部に信号機を付けずに交差させる苦肉の策だったようです。
新大宮バイパス上の首都高の計画が具体化されていれば、首都高と外環道は信号機を付けず、また一般道経由をせずに交差できるジャンクションとして、土地区画整理事業でその用地を確保することができたのかもしれません。


■「田」の字の都市計画決定・・・・・


s54には完成
[1979(S54)年の航空写真:「田」の字は完成してる]
(国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省 ckt-79-4 c1a-18)


外環状道路は1968(S43)年10月30日に都市計画決定され、戸田西部土地区画整理事業は美女木環状1~4号線が都市計画決定される前の1983(S58)年に完了しました。
それでも外環状道路は幅50m、美女木環状1~4号線は幅20mで国の要請どうりに道路用地が確保され、1979(S54)年の空中写真では新設された道路に自動車が走っています。
その後、外環状道路は1985(S60)年に都市計画が変更されます。
都心から15km圏の人口が多い市街地を通過するため、環境対策について沿道住民の理解を得る必要があり、植樹帯などの環境施設帯を設るため幅員が62mに広げられ、外環状道路の高速部は独立して「高速外環状道路」として都市計画決定されました。
この変更と同時に美女木環状1~4号線も都市計画決定されました。


横断図


首都高と高速外環状道路の交差形状が、一般部を使った交差方式が採用されず信号機による交差に決まったにもかかわらず、完成していた美女木環状1~4号線がわざわざ都市計画決定され、しかも一時期は国道298号として認定されていました。
1985(S60)年8月27日の第93回埼玉県都市計画地方審議会の議案書によると、次のように都市計画決定の理由が記載されています。
『首都圏における道路網の骨格を形成するとともに県南地域を東西に結ぶ都市間連絡の動脈となり、東西方向や放射幹線道路の交通混雑の緩和など、交通環境の改善を図るよう、新たに自動車専用道路1.3.2高速外環状線並びに区画街路7.4.1美女木環状1号線、… …7.4.4美女木環状4号線を追加し、さらに既決定の幹線道路3.1.2外環状道路を、環境施設帯を取り入れた本案のように変更するものである。また、本都市計画による1.3.2高速外環状道路及び3.1.2外環状道路が周辺環境に与える影響については、別紙(省略)のとおりであり、都市計画を定める上で支障がないと判断する。』
残念ながらあまりにも漠然とした理由で、美女木環状1~4号線の使い方がどのような想定であったのか、この資料からは全くわかりません。


■「田」の字 国道から市道に・・・・・


外環
[外環道と国道298号:防音壁で包まれている]


美女木ジャンクションは地下1階・地上4階の5層で造られ、地下1階は新大宮バイパス、地上1階は国道298号と新大宮バイパスが平面で交差、2階は外環道、3階は首都高と外環道の信号機付き平面交差部、4階に首都高が通る構造で開通し、「田」の字の一般道を使わない交差方法になりました。
しかし、国は戸田西部土地区画整理事業の立ち上げ時に道路用地の確保を要請した手前、美女木環状1~4号線を都市計画決定し、さらに新大宮バイパスと国道298号の交差に必要な道路の区域として一時期でも国道298号として認定したのでしょうか。


美女木環状線
[美女木環状2号線:正面は17号バイパスと首都高]


結局、美女木環状1~4号線は土地区画整理事業立ち上げ時点の使い方がされることなく国道298号から戸田市道になりました。
自動車交通が集中する美女木ジャンクションの周辺で、美女木環状1~4号線は2車線の道路としてはゆとりのある20mの幅があり、 しかも樹木がきれいに植え込まれ、工場、倉庫、住宅が混在する市街地に貴重な空間を提供しています。
本来の目的とは異なった使われ方かもしれませんが、結果として市街地に良い結果をもたらしているようです。


美女木環状線
[美女木環状4号線(2006年):2車線で幅員20mと余裕がある]


なお、美女木という地名は、当地に「美女が来た」という故事によるとのことです。
『もと上笹目と云いしが……古え京師より故ありて、美麗の官女数人当所に来り居りしことあり、其頃近村のもの当村をさして美女来とのみ呼しにより、いつとなく村名の如くなりゆきて』(新編武蔵国風土記稿)






<参考資料>