本庄市【愛宕神社】

[ chapter200 2025.05 ]

■中山道最大の宿



[ 現在の旧・本庄宿(2025年)]


埼玉県の北西部にある本庄市は、江戸から10番目の中山道の宿でした。 近くを流れる利根川の舟運に加え、秩父方面、藤岡方面、伊勢崎方面への陸路が本庄宿に集まり、交通の拠点として栄えていました。 1843(天正14)年の中山道宿村大概帳によると、宿内家数1212軒、宿内人口は4554人(男2264人+女2290人)で中山道では最も規模の大きな宿でした。



[ 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫(2021年) ]


1883(M16) 年には日本鉄道本庄駅(現・高崎線)が開設され陸路に加え鉄道の利便性も加わり、本庄は日本随一の繭の取引高を誇る市場になり、糸繭商の増加や製糸工場の進出により繁栄の一途をたどりました。 大正時代にはいっても養蚕業は盛況でしたが、生糸の生産は1931(S6)年にピークを迎えます。 太平洋戦争中は労働力不足もあり激減しますが、戦後は1968(S43)年がピークで戦前のほぼ半分の生糸生産がありました。 その後はナイロンなどの普及による絹需要の減少や中国産などの生糸に需要を奪われ、国内生産は減少の一途をたどります。 (富岡製糸場は1987(S62)年に操業停止)



[ 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫(2021年) ]


旧・中山道沿いに残る旧本庄商業銀行煉瓦倉庫は、融資の担保となった繭や生糸を保管するための倉庫として、1896(M29)年に建築されました。 生糸関連の産業が盛んだった頃の本庄の勢いを感じさせます。
現在はNPO法人が管理し、内部を無料で見学できる街歩きの休憩所のように使われています。



[ 三交通り(2025年) ]


高崎線と旧・中山道の間にある三交通りは、繫栄していた本庄の一面を教えてくれる通りです。 盛り場で身を持ち崩した者がいたため「親不孝通り」とも呼ばれていました。通りの路面に三交通りの説明版が埋め込まれています。
現在の三交通りは閉ざされた店が多く、若者を親不孝に陥れそうなお店は全く見当たりません。 外見は大きなキャバレーに見えるのですが、かつて映画館だった建物もシャッターが下りたまま。 建物が取り壊されて駐車場になっているところも目立ちます。最近建替えて営業を続けているのは「食堂モンキー」ぐらいでしょうか。



[ 三交通り(2025年) ]


旧・中山道沿いのお店は三交通りに比べればお店の形があり看板が出ていますが、シャッターが下りたままのお店が多く歩く人ももまばらです。 創業永禄三年と看板が掲げられたお店がありますが、今はどんな商売をしているのか外見からは分かりませんでした。 営業していることがハッキリわかるのは、銀行や証券会社の建物くらいです。
旧・中山道の北側に造られた国道17号や本庄駅南側の南大通りの沿道、新幹線本庄早稲田駅周辺に郊外店が進出し、旧・中山道の沿道は寂れていくばかりです。



[ 創業永禄三年(2025年) ]


■愛宕神社のケヤキ



[ 愛宕神社のケヤキ(2025年):旧・中山道から ]


沿道に寂しさがあふれる旧・中山道ですが、東和銀行前付近から駐車場になった空間を通して、北側にこんもりとした立派なケヤキが見えます。 旧・中山道からケヤキに近づくには、シャッターの下りた店に挟まれた路地を入り、廃墟寸前の割烹の前を通り歯科医院を過ぎると小さな鳥居があります。 鳥居が立っているのは幅2mほどの参道の入口ですが、参道と言っても歯科医院の建物の裏面と駐車場、民家があるだけです。 参道を進むとその先は小山を登る石段があり天辺に愛宕神社があります。 立派なケヤキは愛宕神社への階段の横にあり、御神木とされている二本立ちの大木です。



[ 愛宕神社参道(2025年) ]


神社がある小山は、高さは4m、直径は24mの古墳だそうです。頂上には小さな社が立ち、石で造られた腰掛が置かれています。 腰掛の横材には寄贈した桶屋の名前が掘られ、反対側には昭和三年三月吉日の文字が刻まれています。 本庄が栄えていたころの贈り物のようです。神社から見上げるケヤキは空を覆いつくすように枝が張り出し、小山全体がケヤキに護られているような感じがします。
小山の裾は石積みで囲まれ一廻りできますが、歯科医院の敷地を通るような狭いところもあります。 北側の斜面には小さな滑り台が置かれていますが、少子高齢化の影響か遊んでいる子供はいませんでした。



[ 愛宕神社とケヤキ(2025年) ]


新緑の若葉が美しい頃、夏の太陽から木陰を提供してくれる頃は、大ケヤキのありがたみが感じられますが、葉が落ちる秋は迷惑な存在ではないでしょうか。 落ち葉は相当な量になりそうです。 それでも、こんな大木にまで成長したのですから近隣の方から大切にされているのだと思います。



[ 愛宕神社の腰掛(2025年) ]


川越市の仙波河岸史跡公園近くにも愛宕神社があります。 この神社も本庄の愛宕神社と同様に古墳の上に建っています。 高さ6m、東西30m、南北53mもある大きな古墳の上にあり、本殿の基礎の石積みには関東大震災で倒壊しその後復興したと彫られています。
京都にある愛宕神社の総本社が愛宕山の上に建つので、分社はそれに倣って古墳など小山の上につくられているのでしょうか。





<参考資料>