[ 越谷市役所のカフェ(2025年)]
現在の越谷市役所は、先代と同じ場所に建替えられ令和3年5月6日から全面供用開始しています。
免震構造の建物なので、地震時の安全性が確保されたそうです。
市役所の建物が新しくなっても市民の生活に変わりがある訳ではありませんが、待合(待たされる?)の椅子が増え2階には誰でも休めるカフェがつくられ、カフェからテラスに出ると東側を流れる葛西用水と元荒川が良く見えます。
さらに市議会の議場がある8階には東側と南側を眺められる展望ラウンジがあり、越谷市が平らな土地の上に広がっていことが一目瞭然です。
[ 市役所のテラスから(2025年):手前が葛西用水 ]
市役所の横を流れる葛西用水と元荒川は同じくらいの川幅があります。
元荒川はその名の通り、江戸時代に荒川の西遷によって付け替えられる以前の荒川の流路です。葛西用水は、はるばる利根川から水が引かれ流れています。
市役所付近の葛西用水と元荒川は、戦後の河川改修が行われるまでは瓦曽根溜井と言われひとつの流れでした。
江戸時代初期は荒川の水を引き込んで溜めていましがた、荒川の西遷により流水が激減したため逆川(古利根堰~元荒川)を通して利根川の水を瓦曽根溜井に導くようになりました。
瓦曽根溜井はさらに下流にある複数の用水路に配水するため、瓦曽根堰で堰上げし水を溜めていたので広い水面がありました。
[ 元荒川と葛西用水(2025年)]
市役所の南にある中央市民会館の前には噴水があり時々三本の水柱が姿を現しますが、農閑期は用水がないので噴水が上がることはありません。
中央市民会館は洋風の特徴のある建物で、東埼玉資源環境組合の第一工場などと同様に、
1977(S52)年~1997(H9)年の5期20年にわたり市長を務めた島村慎市郎氏の趣向によるデザインと言われています。
島村市長時代に市役所の建替えが行われていれば、中央市民会館に似たデザインになっていたかもしれません。
[ 越谷市中央市民会館(2025年):葛西用水に噴水 ]
[ 古利根堰(2025年):大落古利根川にある堰 ]
現在の葛西用水は行田市にある利根大堰で利根川の水を取水し、しばらくはコンクリート造の人工的な水路を流れます。
その後、最近高校野球が強くなった杉戸町にある昌平高校の裏で青毛堀川と合流し、大落古利根川となって埼玉県東部を南下します。大落古利根川は河川でもあり用水路でもあるのです。
大落古利根川が県道越谷野田線と交差する直上流に古利根堰があり、ここで葛西用水は分流され新方川と元荒川をサイフォンでくぐり、越谷市役所の東側を流れます。
[ 元荒川をくぐるサイフォン(2025年)]
市役所東側の葛西用水は、昔は元荒川に合流し広い幅がありました。
農業用水を下流に配水するため瓦曽根堰で堰き止めていたためです。その姿は戦後になり大きく変わりました。
越谷市がある中川流域は1947(S22)年に来襲したカスリン台風により大水害を被り、その後も浸水・湛水被害が絶えず、流域の人々は根本的な元荒川の改修を求めていました。
しかし元荒川が合流する中川の改修が進まないと元荒川の改修に手が付けられず、1956(S31)年にようやく改修計画の策定に着手。
改修計画の主な内容は以下の通りでしたが、地元の反対により計画が変更され実現に至ったのが③と④でしたが、越谷市役所周辺の風景を大きく変えることになりました。
①浚渫により河床を2m下げる
②荻島の屈曲部(文教大学があるところ)を直線化する
③元荒川と葛西用水を分離する
④元荒川の新河道を造成し瓦曽根堰枠下に流下させる
⑤中川合流点付近の元荒川を中川と併行に拡幅する
[ 1961.06.11の市役所付近 ]
(国土地理院空中写真 MKT613-C37-7より一部抜粋)
葛西用水はいったん元荒川に合流し約1.5km下流の堰で分流する構造でしたが、1960(S35)年11月から元荒川と葛西用水を分離する工事が始められます。
1961(S36)年時点は下流部で元荒川の新河道が造られ葛西用水との間に堤防が姿を現しています。瓦曽根溜井は広いところで幅約300mもありましたが、常に満水ではなく不法耕作が絶えなかったようです。
[ 1967.4.23の市役所付近 ]
(国土地理院空中写真 KT678Y-C3-18より一部抜粋)
1966(S41)年には元荒川をくぐる長さ100mもあるサイフォンが完成し、葛西用水は元荒川から完全に分離されました。
また利根川からの取水は1968(S43)年に完成した利根大堰に変わり、葛西用水路本体の改修も進み用水事情は著しく好転し、瓦曽根溜井は埋め立てが進み狭くなっていきます。
1967(S42)年時点では、現在の市役所の半分程と埼玉県越谷合同庁舎があるところはまだ水面が残っています。
[ 1975.12.1の市役所付近 ]
(国土地理院空中写真 KT753Y-C4-19より一部抜粋)
1969(S44)年になると越谷市役所、埼玉県の合同庁舎が現在の位置に建てられ、瓦曽根溜井だった面影はなくなりました。
元荒川の東側では土地区画整理が行われ、水田が住宅地に姿を変えつつあります。
瓦曽根溜井の右岸側の堤防だったところは、今では久伊豆神社へ至る「久伊豆通り(ひさいず・とおり)」と名が付けられ、堤防の天端だったとは思えない道になっています。
越谷駅から市役所へ向かい県道足立越谷線(旧国道4号)を越えると「久伊豆通り」に上る小さな坂がありますが、この坂は瓦曽根溜井の堤防へ上る坂だったのですね。
今も残る瓦曽根溜井の面影です。
[ 市役所前の小さな坂(2025年)]
[ 大相模調節池「Sakura Lake」(2025年)]
越谷市は「水遊都市KOSHIGAYA」を掲げ、豊かな水辺が自慢の都市であることをPRしています。
最近の越谷市内の水辺の代表格は、JR越谷レイクタウン駅の近くに広がる大相模調節池(ネーミングライツにより「Sakura Lake」)です。
この池は浸水被害を防止するために、元荒川から内径5.6mの地下導水路で調節池に120万m3の水を貯め、水位が下がってから内径3.7mの地下導水路で中川に排水する河川施設です。
レイクタウン一帯はもともとは水田地帯でしたが、住宅都市整備公団による宅地開発に合わせて、河川事業を導入して調節池が掘られました。
駅側の湖岸には広い芝生の緩斜面があり天気が良ければ多くの人が集い、ボート用の桟橋もあり、水辺を活かして多くの人が楽しめる街づくりが進められています。
昭和30年代は瓦曽根溜井を埋め立て元荒川を狭めていましたが、平成に入ると元荒川の水を貯めるためにわざわざ池を掘ることになってしまいました。
[ イオン レイクタウン(2025年)]
レイクタウンには日本で最大級のショッピングモールであるイオン レイクタウンが2008(H20)年に進出し、買い物客だけでなく、多くの人が観光気分で訪れています。
JR武蔵野線の越谷レイクタウン駅の真ん前にあり、国道4号東埼玉道路も通っているので、電車でも車でも訪れるのに便利な立地です。
イオン レイクタウンが誕生してから、奥州街道の越谷宿であり越谷市の中心であった越谷駅周辺は寂しくなりました。
2009(H21)年にはイトーヨーカ堂が閉店し、駅前の再開発ビルも住宅が主体でスーパーとファミレスが入っているくらい。 30万人都市の駅前とは思えないあっさりとした様相です。
[ 逆川緑の道(2025年)]
越谷市は瓦曽根溜井だった葛西用水に、藤棚のある歩行者デッキを張り出し堤防上はブロック敷きの散策路を設け、親水公園として水辺に近づけるように整えています。
その上流の逆川用水沿いは「逆川緑の道」という遊歩道を通し、公園も隣接させて住宅地の中に豊かな緑をつくり出しています。
レイクタウンの水辺が面的に広がる景観に対し、葛西用水は線的な水と緑の場を提供しています。
21世紀に入り造られたレイクタウンの水辺は地域の人々に加え商業施設が多くの人を集めてくれますが、江戸時代からの歴史がある葛西用水の水辺は近隣の方々の利用にとどまっています。残念ながら、越谷市の賑わいと水辺の代表地はレイクタウンに移りつつあるようです。
[ 元荒川と葛西用水(2025年)]
農地が減少すると用水路は必要性が低くなり狭められたり埋め立てられましたが、一方で都市化により河川では雨水を流しきれずに浸水被害が生じています。
上流が広く下流が狭い用水路は河川の役割を担うことは難しそうですが、都市化により緑が減少する地域で水辺と緑を提供する種地として生き延びているようです。
<参考資料>