毛呂山町 【環状交差点】

[ chapter-208 2025/12~ ]

■人口減少対策・・・・・



[ 毛呂山町の位置 ]


日本の人口が減少を続けています。特に地方の人口減少が著しいようですが、首都圏にある埼玉県と言えども2050年には現在の人口の9割、約660万人にまで減少すると予測されています。 県内では東京に近い市町では増加傾向も見られますが、都内23区への通勤通学に時間のかかる市町は既に人口が減少しています。
埼玉県のほぼ中央にある毛呂山町も人口が減少し始めています。



[ 毛呂山町の地形:地理院地図より ]


2020(R2)年からの 新型コロナウイルス感染拡大により、人との接触が少ないテレワークがもてはやされました。 また、毎日通勤せずとも業務が可能な職種であれば郊外居住を志向する風潮もあります。 人口減少している市町村では、このような社会情勢にのって移住・定住を支援し、人口の減少を少しでも食い止めようとしています。
JR八高線沿線にある毛呂山町もホームページに移住・定住を掲げています。 JR八高線は山地と平地・丘陵地の境を走り、JRのほか西武鉄道、東武鉄道などの私鉄が接続しているのでそこそこの利便性があります。 都内23区への通勤通学は時間がかかりますが、たまに行く程度であればそれほど負担のない距離にあります。


■毛呂山町のいいところ・・・・・



[ 駅前の案内(2025年):ゆずの産地 ]


毛呂山町は「都心から近く、便利で暮らしやすい自然豊かなまち」を移住・定住の売り文句に掲げています。
毛呂山町は南北方向にJR八高線が走り、西側に山地があり東側に平地が開けています。 西側の山地ではハイキング、キャンプ、川遊びが楽しめ、農業用の貯水池として造られた鎌北湖では桜や紅葉も見られます。
農産物では昭和初期からゆずの栽培が始められ、昭和30年代には全国有数の生産地となり、「日本最古のゆずの生産地」でもあるそうです。



[ 出雲伊波比神社(2025年):流鏑馬が行われる ]


町のほぼ中央の小高い丘にある出雲伊波比神社(いずも いわい じんじゃ)は、景行天皇53年(西暦123年)が始まりとされる歴史ある神社で、流鏑馬が行われることでも有名です。 流鏑馬は平安時代後期から続き、毎年秋と春に行われ小・中学生が射手を務める全国的にも珍しい行事です。 県内ではときがわ町でも流鏑馬が行われますが、毎年行われるのは毛呂山町だけです。
近世になって河川改修により農耕利用の進んだ埼玉県東部・南部に比べ、毛呂山町は洪水などの災害が少なく居住に適していたので、古くからの歴史もあるようです。



[ 出雲伊波比神社の流鏑馬(2015年) ]


また、町の特徴として、人口当たりの医師数、看護師数、病床数が県内1位であることを自慢の一つとして掲げています。 町内に埼玉医科大学があり大きな病院があるのです。人口当たりの医師が少ない埼玉県では珍しい存在です。
埼玉医科大学は1892(M25)年に旧・毛呂村で開業した毛呂病院を母体にして1972(S47)年に開学しました。 JR八高線の毛呂駅を降りると、駅前通りの突き当りに埼玉医科大学が構え、通りの両側には薬局が並んでいます。
毛呂山町は1939(S14)年に毛呂村と山根村が合併し誕生しましたが、駅の名称はJR八高線は「毛呂駅」、東武越生線は「東毛呂駅」が現在も使われています。



[ 埼玉医科大(2025年) ]


■人口が増えた頃・・・・・



[ 人口の推移:国勢調査より ]


埼玉医科大学が誕生する10年ほど前から、日本の工業化と都市化が進み埼玉県の人口も急激に増加し、毛呂山町でも住宅開発が行われました。 毛呂山町はJR八高線のほかに東武東上線坂戸駅から東武越生線が走り、都内23区へ通勤通学できない距離ではありません。
東武越生線の武州長瀬駅周辺では、1961(S36)年から住宅開発が始められ1963(S38)年から入居が始まり、毛呂山町の人口も大きく増えました。 27ヘクタールに及ぶ民間による開発事業で、当時は長瀬第一団地、第二団地と呼ばれていました。 現在の住所は毛呂山町前久保南3丁目、前久保南4丁目、毛呂山町若山1丁目の一部です。
航空写真を見ると 田畑の中に格子状の道路が配置された住宅地が忽然と現れた感じです。



[ 武州長瀬駅付近:1967(S42)年 ]
(国土地理院空中写真 KT678Y-C2-4一部抜粋)


幅4mの道路が主体の団地は、100㎡に満たない区画に戸建て住宅が建ち、東武越生線の踏切に向かう道が唯一幅6mの道です。 路側には電柱があり道路際ギリギリにブロック塀などがあるので、より狭く感じます。 当時は自動車の台数も少なく道路を通るのは歩行者と自転車なので、4mの道路でも必要十分な幅でした。
それでも長瀬第一団地の踏切に通じる6m道路は、歩行者に快適なお買い物を楽しんでもらう工夫がありました。 踏切から次の交差点までの約110mほどの区間ですが、建物を道路際から1.8mほどバックして建て歩行者の空間を確保し、上部には雨や日差しを遮る屋根が架けられていました。



[ 6m道路(2025年):建物が道路境界より後退してる ]


似たような事例は横浜市の元町通りにありますが、こちらは行政側が1955(S30)年に建築基準法第46条に基づき壁面線の指定を行い、1階部分に幅1.8m高さ3mの歩行空間を確保したものです。 開発事業者がこれを真似たのかのかもしれません。
その後1972(S47)年に駅南側にスーパー(ヤオコーの前身)が開業し、2015(H27)年には武州長瀬駅前の都市計画道路長瀬駅前野久保線が開通したので、買い物客の足は遠のき6m道路を通る車は大きく減りました。



[ 6m道路(2025年):先は踏切 ]


現在は営業しているお店が減少しシャッターが下りたままのお店もあり、歩道の上にあった屋根や庇は老朽化が進んでいます。 新しくできた長瀬駅前野久保線沿いにはドラッグストア、ホームセンター、地域密着型のショッピングセンターが進出し、お買い物の場所は大きく変化しました。
住宅も最初の住居者が高齢化し世代交代が始まり、家屋を撤去して駐車場になっていたり、二つの区画を一つにして使う住宅も増えています。 しかし、道路は開発当時のままです。 毛呂山町の都市計画マスタープランでは駅周辺のまちづくり方針として「魅力ある商業空間の形成」が記されていますが、難しそうです。




[ 4m道路(2025年):狭いうえ電柱が両脇にある ]


■ラウンドアバウトがある・・・・・



[ 毛呂山町のラウンドアバウト(2025年):6m道路から見る ]


長瀬第一団地の6m道路には、埼玉県に4つしかないラウンドアバウト(環状交差点)の一つがあります。 踏切から200mほど北に向かうと、直径20mの環状交差点の中央に径9mの花壇があり、防災無線の柱が立っています。 交差点は幅6mの道と幅4mの道が交差し、ラウンドアバウトであることを示す標識があります。 いずれの道も狭いので入ってくるのは乗用車だけです。 現在は前久保中央公園への入口が接していますが、公園が整備されたのは2000(H12)年でなので、団地が開発された頃は田畑が広がっていました。



[ 後方は前久保中央公園(2025年):4m道路から見る ]


2013(H25)年の道路交通法改正により「環状の交差点における右回り通行」としてラウンドアバウトが定義され、環道へ徐行して進入するようになりました。 ラウンドアバウトの指定を受けていない環状交差点は、環道に入る車両は一時停止しなければなりません。
狭い道路しかない団地に、広い土地が必要になる環状交差点を造るメリットはどこにあったのでしょうか。 当時は車が少なかったので、交通対策というよりは団地のイメージアップを図る施設だったのかもしれません。



[ 日高団地のラウンドアバウト(2025年) ]


毛呂山町の南に隣接する日高市の日高団地にもラウンドアバウトがあります。 昭和30年台後半に開発された低層住宅団地の中にあり、JR川越線の武蔵高萩駅から直線で1.5km離れた場所です。
こちらのラウンドアバウトは幅12mの道と幅4mの道が交差し、直径は50mと大きなラウンドアバウトです。 中央島は直径30mほどの大きさで真ん中にはドーナツ状の池があり、その周りは木が植えられベンチも置かれ小さな公園のようになっています。
ラウンドアバウトの指定後もしばらくは右回り一方通行を示す標識が残っていました。



[ 日高団地のラウンドアバウト(2025年) ]


日高団地は中央を貫く12m道路を除くと4mの道路が格子状にあるだけなので、バスの転回を想定して環状交差点が造られたようにも思えます。ラウンドアバウトから駅まで歩くと25分前後かかるのでバスがあればありがたい地域ですが、現在バスは走っていません。
ここの交差点も毛呂山町と同様に、団地開発時に環状交差点を設けた明確な理由は不明です。


■埼玉県内のラウンドアバウト・・・・・



[ 入間市のラウンドアバウト(2015年) ]


このほかの埼玉 県内のラウンドアバウトは、入間市と羽生市にあります(2025(R7)年現在)。
入間市のラウンドアバウトは意図して造られたものではなく、五差路の中央にお地蔵さんが置かれていた部分が中央島になり、円形に近い交差点だったためラウンドアバウトの指定を受けたようです。 接続する道は狭いうえ交差点付近には建物が多く見通しの悪い交差点なので、環道に入る際は自然と一時停止してしまいます。



[ 羽生市のラウンドアバウト(2025年) ]


羽生市のラウンドアバウトは、国道122号の旧道が90度曲がるカーブに狭い道が交差していた部分を改良してラウンドアバウトがつくられました。 このため、直径27mのに10mを中央島を造り5mの車道のほかに歩行者の空間も確保した計画的な交差点です。
中央島は雑草が生えないようにコンクリートで固められた味気ないつくりでが、 維持管理が行き届かず雑草に覆われるよりはマシです。



[ スペインのラウンドアバウト(2014年) ]


ラウンドアバウト(環状交差点)は通常の交差点に比べ処理できる交通量が少なく、十字路よりも用地が余分に必要になることもあり日本にはなじみのない交差点ですが、 広い国土がある国や、欧米の交通量の少ない道路ではよく見られます。
日本では東日本大震災の被災地や震災直後に行われた計画停電で信号機が使えず、電気の必要がないラウンドアバウトへの関心が高まり、道路交通法の改正に至ったようです。
狭い国土に多くの車が走り、地価の高い日本では広く普及するとは思えませんが、きれいに管理されたラウンドアバウトは地域のシンボル的な存在になり得ます。






<参考資料>