由乃が塞いでいる。
家を訪ねて行っても部屋から出ない。ご飯に呼んでも降りてこない。お菓子を焼いても動きもしない。
心配になった私は由乃に色々話しかけるけど、由乃はうん、とか、そう、とか言うばかりで、私がなげかけた話題は鉈で切られるみたいにバスン、バスン、と真っ二つに断ち切られて転がるばかりだ。
そのせいで部屋はいつしか断ち切られた話題で満ちて、それに押されるように私は喋りつづけざるをえないけど、相変わらず由乃はうつむいたままで、部屋の酸素を数えているみたいに無表情だ。
しょうがなく私は諦めて部屋を出る。
翌日、由乃は学校に来なかった。
『部屋の中』
何だか学校にいっても妙な具合で、廊下の隅や階段の踊り場で何か話しているリリアンの乙女達は、私が近づくと急に話をやめてしまう。
そうするとその廊下や階段は急に音がなくなったみたいになって、語られていた話題の残滓が漂うみたいに私の神経に触れるのだ。
それで「おはよう」と私が声をかけても、彼女達は気まずそうに微笑んで挨拶をかえすだけで、断ち切られた話題は残骸のままリサイクルされることはない。
噂話の影。
いったい、どうしてしまったんだろう。
私が薔薇の館で祥子にその話をしたら、祥子はさも興味がなさそうに
「私達は公的な生徒会役員だし、聞かれたくないこともあるんでしょう、きっと」
「そんなものかな」
「そうよ、世の中って面倒なことで溢れているもの」
そう言って祥子は紅茶を淹れに席を立った。なんだか祥子の様子も変に思える。それは特に理由や確信があるわけじゃなかったけど、私の中に印象として残った。紙が日向におかれて光が焼きつくみたいに。
「ねえ、由乃の様子も変なんだ。私がいくら話しかけても殆ど部屋から出ないし、返事もしない。ずっと塞いでいて、今日だって学校を休んだ」
「由乃ちゃんだって、一人で考え込みたい時ぐらいあるわよ」
「でも…」
「人生って、大変なことばかりだもの」
そう言うと祥子は話は終ったとばかりに紅茶を飲んだ。そんな祥子の様子もおかしく思えたけど、私は何も言えなかった。
学校から帰る途中で、真美ちゃんが掲示板に何か貼っているのが見えた。
「精が出るね。リリアン瓦版?」
「いいえ、違います。これは教師に命じられて作らさせられた注意書きです」
見れば、真美ちゃんの貼っている紙は、変質者への注意を呼びかけている。
「機嫌が悪そうだね」
「本当に、暴力って理不尽ですから」
「まったく、まったく」
私は一礼して真美ちゃんと別れて、まっすぐに校門へ向かい、マリア像に手を合わせる。俯いた視線の先で地面が赤く汚れていた。風が強く吹きすぎて、私は埃が入らないように目を瞑る。三秒数えてまた歩き出した。変質者には会わなかった。
由乃はまた塞いでおり、私はとにかく必死に話しかけた、舌がもつれそうになるくらい話した。
「ねえ、由乃、今日学校に行ったらさ、みんな変なんだよ。廊下や階段の踊り場で噂話してるみたいでさ。あ、こんな話はあんまり楽しくないよね。青田先生なんだけど、今日はなんだか変だなあと思ってじっと見てたらね、上と下でスーツが違うのよ、授業中なのに笑いそうになっちゃってさ。ほんとに、あの先生も変わってるよね。あ、今度さ、新しいケーキ焼こうと思うんだけど、由乃は何がいい?」
由乃は押し黙ったままで、何も喋らない。だから私は必死になって喋る。
「でも思うんだけど、祥子が今日はけだるい感じでさ、人生って大変なことばかり、とか言っちゃってさ。なんだからしくないよね。おばさんくさいみたいで。祥子のキャラじゃないっていうかさ。まあ、祥子も色々大変なんだろうけどさ。由乃、どう思う?」
由乃の視線はずっと床を向いていて、私は昨日から由乃がずっと同じ姿勢を続けているかのような錯覚を覚えた。時間の感覚はなくなり、私は今日学校には行かず、昨日からこの姿勢の由乃とずっと話しているかのような、そんな、地面へどんどん落ちて行くような気持ちになった。
由乃が一瞬、眼だけで私を見た。
私は待つ、由乃の言葉を、由乃の口が開かれる。でもそこから言葉は生まれでない。
刈り取られた稲のように、開かれた口からは言葉は失われ、パクパクと動いても音は出てこなかった。
「由乃?」
結局、由乃は何も喋らなかった。
部屋から出て行くとき、一瞬、由乃が透けて後ろの壁が見えたような気がした。
朝のニュースでは変質者が捕まっていて、いかに彼が酷い犯罪者であるか報道されていた。
私は食パンをコーヒーで流し込んで登校する。由乃は家から出てこない。
マリア像の下の赤い汚れは消えていない。
私は教室に入って鞄をおいて、ごきげんよう、と言って皆に微笑む。教師が来るまでには間があって、私が机の中に手を入れると、何故か由乃に渡したはずのロザリオが入っていた。
ロザリオの鎖は引き千切られており、ロザリオも鎖も泥で汚れていた。
私は、突然酷い不安に襲われる。汗があとからあとから噴出し、膝がガクガクと振るえ、周囲の空気が薄くなった。
私はたまらず立ち上がって駆け出した。教室を飛び出して、廊下を駆け抜け、階段を三段飛ばしで駆けくだる。
学校の授業が始まりそうなのにも構わず校門を逆走し、スカートをはためかせ、プリーツを乱して全力疾走する。そんな私にリリアンの生徒達が眼を剥き、それを押しのけるように私は校門を出て、赤信号を無視して横断歩道を渡り、震える足でそれでも走り続ける。汗で制服が張り付き、喉がカラカラに乾いた。それでも私は止まることができない。止まる訳にいかない。
私はふらふらになって、それでも止まらず、ひたすらに走り続けてたどりついた由乃の家に上がりこむ、チャイムも鳴らさずに。
階段をバタバタと駆け上がって、由乃の部屋のドアを勢いよく開けた。
由乃はいた、そしてすっかり透きとおっている。
それどころか、今もどんどん透きとおっていっているのだ。
私はたまらず話しかける。
「どうしたの由乃!?どうなってるのそれ?駄目だよ!こんなに透きとおって、どうしてこうなっちゃったの?私、こんなの嫌だよ、どうして?駄目だ、止まらない、どんどん透きとおっていく。なにこれ?いったいどうしたら」
私は由乃に触れようとする、その手は空を切った。手は、由乃をすり抜けてつかめない。
「由乃、由乃をつかめないよ、さわれないよ、どうしたらいいの?このままだと、どうなっちゃうの?由乃がいなきゃ、私は駄目なんだ。由乃のことが心配で、昨日からずっと心配でしょうがなかったんだよ。ううん、昨日だけじゃないよ、私は由乃が気になってしょうがないんだ。ねえ、由乃、なにか言ってよ、いつもみたいにさ、令ちゃんのバカとかさ、私はバカでもいいから、お願いよ、由乃、私のことを見てよ。由乃、私、あなたのことを、愛しているのよ」
それでも由乃はどんどん透きとおっていく。
遠く学校では授業が始まり、外の道路を走る車の音と子供の声、勤め人の多くは仕事をはじめ、皆はおはようと言う挨拶を言い終わり、朝と昼の間が始まる。
開け放った扉からの風がカーテンを揺らし、遠くで鳴く小さな鳥の声が響き、窓からさす光は風に揺れるカーテンにあわせてゆらゆらと揺れて、やがて静かに止まった。
了