1.

 

ある春の日

 

お昼ごはんを薔薇の館で食べようと思った祐巳は、一旦準備してからお手洗いに行こうと思って席を立った。あけた窓から入る風が春の匂いを運んできて、ああ、おねえさまの機嫌が悪くなる季節だな、と思った。姉は桜が嫌いなのだ。

そして祐巳がお手洗いから戻ってきた時に、事件は起きた。

 

「無い・・・!」

 

あるはずのものが、そこにはない。

 

「無い、無い、無い・・・・!!」

 

思わず大事なことなので三回言ってしまった祐巳の目の前に、それは無かった。

 

確かにその手でおいた筈の、祐巳のお弁当が。

 

 

2.

 

「ごきげんよう……って祐巳さん。何が無いの?」

その時薔薇の館のビスケットみたいな扉を軽やかなノックと共に開けて入ってきたのは、祐巳の友人であり山百合会の同輩でもある藤堂志摩子さんだ。

「あ、志摩子さんごきげんよう。無くなっちゃっただよー」

「落ち着いて祐巳さん。先ず何が無いのか教えて欲しいわ」

「えっとね……」

 お昼の準備をしてからお手洗いに向かったこと。そうして帰ってきてみたら、テーブルの上に置いておいた弁当箱が無くなってしまっていたことを志摩子さんに伝えた。

 志摩子さんはふんふんと頷きながら祐巳の話を聞いてくれていたが、やがてこんなことを言った。

「やはり薔薇の館にお手洗いが無いのは問題ね。いつか解決しなくてはいけない問題だわ……」

「あーいや、まあそれはそうなんだけどね」

 眉を寄せて悩む志摩子さんはいい人だが、もっと目の前の問題と素直に向き合って欲しいなと祐巳は思った。

 

 

3.

 

「どうやら、名探偵が必要みたいね」

 

と、不意に聞こえた声と共に登場したのは、腕を組んで不敵に笑うお下げの美少女、祐巳と同じ薔薇の館メンバー、島津由乃だった。

彼女は得意げな顔で2人に向き合うと、相変わらず不気味なニヤリ笑いを続けている。志摩子さんが首を傾げて言った。

「薔薇の館にお手洗いを作るのに探偵が必要なの?」

「違う!」

由乃さんは志摩子さんの天然ぶりに即座に突っ込み、それから一つ咳払いして続けた。

「まあ、まずはガイシャの話を聞こうかしら」

何故か由乃さんは自信満々のご様子、祐巳はその言葉に首を傾げる。

「外国産車?」

「違う!被害者被害者!何でジャガーの話をしなきゃいけないのよ」

「あ、そういえば、祥子さまはジャガーのお車を持っているらしいわ。ふふふ、私ね、あの車のマークが結構好きなの。可愛いと思わない?」

「はい!はいスルー!銀杏臭い天然の話はスルー!そんで祐巳さん、被害の状況は?」

由乃さんはなんかもうスイッチが入ってしまっている。大暴走の予感だよう・・

しょうがないので由乃さんに状況を話すと、由乃さんは高らかに宣言した。

 

「この事件は・・・密室殺人です!」

 

 

4.

 

「「密室殺人!?」」

と祐巳と志摩子さんの声が綺麗にハモ。由乃さんはそれを聞き満足そうに頷いた。

「だって祐巳さんがお手洗いに行っていた間、この部屋は無人。つまり密室状態だったわけでしょう」

「ビスケット扉に鍵はありませんが……」

祐巳が突っ込むと志摩子さんもそれに続く。

「お弁当がなくなっただけなのに殺人だなんて」

「まあ落ち着きなさい。事件のタネは割れてるのよ。どうせ祐巳さんが早弁したのを忘れてるだけなんだから。でもそれを言っちゃあ身も蓋もない。どうせ暇なんだから盛り上げていきましょうよ」

したり顔で由乃さんは言うが、だとすると祐巳はステンレス製の弁当箱すら平らげる超人ということになる。そんな馬鹿な!?

「そうね。楽しく行きましょう」

志摩子さんも賛同する。くっ、この二人には色々と再教育が必要らしいぞ!

 

 

5.

 

「楽しくって言ったって、お弁当がなくなっちゃって私は凄く困るよ。うわー、凹む・・・」

お昼休みにお弁当がないとか、半端ない悲しさだよ・・・

流石に祐巳がそうやって素直に凹むと、志摩子さんと由乃さんは哀れみの目で祐巳を見て頷いた。

「それなら、私のお弁当を分けてあげるわ、祐巳さん」

「いいえ、祐巳さんは私のお弁当を食べるのよ」

と2人してありがたい申し出。こういう時、親友っていいな、と思う。

「さあ!私のお弁当を食べて祐巳さん!」

「この銀杏おいしいわよ、祐巳さん」

何故だろう、ありがたい筈なのに奇妙な圧迫感を覚えるのは?

覗いてみると2人のお弁当は、片方は和風で、片方は繊細で女の子らしい、令さまが作ったのが丸分かりなお弁当だった。

そこで、由乃さんが尋ねる。

 

「ねえ、祐巳さんのは、どんなお弁当だったの?」

 

 

6.

 

祐巳は答える。

「うーん、普通だよ。私みたいに飾り気のない素直で素朴なお弁当」

「何言ってるの祐巳さん」

「だってほら、春だから」

二人は困った人を見るように目を配せ合うが、そうとしか言いようもない。

「そもそも、これを他殺と仮定して考えると」

由乃さんは真面目なのかふざけてるのか判別つきかねる事を言う。

「ひとのお弁当を掠め取る人ってのはどんな状態の人なのかしらね」

「犯行には動機があるってことかしら? そうね、とてもお腹が空いている人なのじゃないかしら……」

志摩子さんの発想は至極もっともなものだった。

「とまあ、誰もがそう思うわけよ」

ここぞとばかりに由乃さんは語る。祐巳はといえば、どちらのお弁当から箸をつけるのか、残念ながら今のところそのことしか頭にない。

「犯人の狙いはそこにある。捜査の目を自分から遠ざけるためにね。つまり犯人の真の狙いは……」

 

 

7.

 

「祐巳さんのお弁当を手に入れること、それ自体にあるのよ!」

由乃さんは自身満々に断言するのだが、志摩子も祐巳も、?って感じに首を傾げるしかない。

「つまり、祐巳さんのファン!祐巳さんのお手製弁当やったー!ってこと!」

「いや、作ってるのお母さんなんだけど・・・」

由乃さんはやりきった顔をして、素早く祐巳の口に向かって自分のお弁当の具、たこさんウインナーを持ってきた。

「はい、祐巳さん、あーん」

「いや、この歳であーとかないから」

「でも箸もないでしょ、あーん」

由乃さんはしょうがないなあ、なんて思いながら祐巳は口を開いて由乃さんのお弁当をいただきましたと、もぐもぐ。

志摩子さんはにこにこと微笑んでその光景を眺め、由乃さんに続いた。

「はい、祐巳さん」

「志摩子さんまで!?」

「だって楽しそうでうらやましいだもの、はい、あーん」

由乃さんがやると親友って感じだけど、志摩子さんがやると妙になまめかしくて困る。照れながら祐巳はその豚の角煮をうばった。

「うわ、おいしい。凄いね、志摩子さん」

「うふふ、私が自分で作ってみたの」

なんていちゃいちゃしていると、由乃さんは少し不機嫌そうになって、また箸を近づけてくる。

「はい!祐巳さん!はい!はい!」

「なにその急かし方!?どんだけ時間押してるの!?」

押し付けられた玉子焼きをむぐむぐと食べる。

「さすが令さま、おいしい」

「まあ、たしかに令ちゃんが作っただけど、見抜かれてるのがなんか悔しい……」

などと言っている間に志摩子さんが次弾を装填済みだ。箸が祐巳の口へ運ばれる。

「はい、祐巳さん」

もぐもぐ。

「うわ。この昆布巻きおいしいね」

「うふふ。祐巳さんの笑顔にはかなわないわ」

「いや意味わかんないけど」

「はい!祐巳さん!はい!はい!」

「そんで由乃さんは何でそんなにせかすの!?」

もぐもぐ。

「うまい!さすが令さま!」

へへへ、祐巳さんのから揚げには適わないわ」

「いや意味わかんないから!」

なんだかんだと楽しい昼食時間が過ぎていく。弁当は箱の紛失が痛いな、なんて思いながら。

休憩時間が終わり、志摩子さんは一足早く美化委員の用事で出ていき、私と由乃さんは2人で、ビスケット扉を出て階段をおり始めた。

私は階段の真ん中で立ち止まり、由乃さんが階段を折りきるのを見送った。

「ん?」

笑顔と共に、少し不思議そうに由乃さんが振り返る。

私は言う。

 

 

「由乃さん、なんで私のお弁当とったの?」

 

 

 

8.

 

祐巳としても、たった一人で消えうせたお弁当という事態を前にしていた時にそれを思いついた訳ではなかった。

だがそれは、余りに思わせぶりと言えば思わせぶり。

 

──へへへ、祐巳さんのから揚げには敵わないわ。

 

聞いた直後には確かに意味不明だったが、祐巳の前を歩き階段を降りていく 由乃さんの後ろ姿を見るにつれ思い至ったのだ。言わなければ分からなかったのに、何故そんな思わせぶりなセリフを言ったのかという大いなる疑念と共に。

だが祐巳としては聞くしかない。なんで私の弁当をとったのか、と。

由乃さんは悪戯小僧のような顔で言う。

「ばれちゃしょうがない。実はさ、もうお腹が空いて空いてしょうがなくって……」

「嘘!」

祐巳は思わず叫んでいた。

祐巳の大声に驚いたのか、由乃さんは一瞬だけ肩をびくりと震わせたが、やがて諦めたように鞄の中から何かを取り出す。言うまでも無い。おそらく空になった祐巳の弁当箱だろう。

「ごめん。魔が差した」

「いいよ。それはいいの。でも由乃さんがどうして……って」

予想に反して渡された弁当箱はずっしりとした重さを感じさせた。中身がほとんど手付かずで残っている証拠である。

弁当箱の蓋を開けると、やはり中身はほぼ手付かずで残っていた。明言どおりというか何と言うか、から揚げひとつ分のスペースをぽっかりと空けた状態で。

祐巳が顔を上げると、そこには由乃さんの奇妙に落ち着いたような顔があった。

 

「……だって、私の方が先だっただよ。祥子さまよりも。祐巳さんと出会ったのは」

 

 

 

9.

 

そう言った由乃さんの顔が思いのほか真剣で、祐巳は狼狽しながら何とか言葉を紡いだ。

「どういう意味・・・?」

やっぱり覚えてないのね、と言って由乃さんは不敵に笑った。

「昔、祐巳さん、誰かとお弁当を交換しながら食べたりしなかった?たとえば、初等部の時とかに」

その言葉にふと、祐巳は思い出すことがあった。同じように春の風が吹き始めた頃、新しく二年生になった祐巳は、クラス換えのせいで周囲が見知らぬ子ばかりになったせいか、ふと思いついて教室を出てお弁当を食べようと思ったのだ。

そこには、前のクラスの友達と一緒に食べれるかも、などという打算もあったが、結局は他人のクラスで食べれる筈もなく、なんとなく校舎裏一人お弁当を食べようと思ったのだった。校舎裏から見える桜が鮮やかで、そしてそこには先客がいた。

 桜の鮮やかさも、その子の顔も、今なら鮮明に思い出せる。鋭く不機嫌な表情で彼女はまずこう言ったのだ。

「なにあなた、私を連れもどしにきたの?」

祐巳が訳も分からず首を振ると、彼女は不機嫌なお姫さまめいた表情のまま言葉を続ける。

「わたしはぜったい、病院になんか戻らないだから。今日はここでお昼たべるの」

祐巳にはその子の事情はよくわからなかった。

だから単純に丁度良いお食事相手が見つかったとだけ思い、素直に微笑んで言った。

「じゃあ、一緒に食べよ?」

風が桜の花びらを運び、やがて大空へ舞い上げていった。

「うん・・・」

そしてそういえばあの時も、私のお弁当にはから揚げが入っていたな、と祐巳は思った。

 

 

10.

 

春といえど風はまだまだ冷たい。

比喩でも何でもなく病人のように白い肌を持つ同年代の少女は、その雰囲気 と反対に気の強そうなまなざしをたたえていた。まるで何かと戦っているか のように。

だが彼女の肩は小さく震えていた。やはり寒いのだろう。

「あの、病気なら病院に戻ったほうが」

「別につらくない。大丈夫。心配しないで」

そういわれてしまえば何も言えない。

祐巳はその名も知らぬ少女と桜の木の下で、奇妙だがとても穏やかなお昼の時間を過ごした。から揚げを差し出したり、お返しにタコさんウィンナーを貰ったりと、子供らしく弁当のおかずを交換したりしながら。

 

 

11.

 

「あの時の子、由乃さんだっただ・・・」

私はようやく思い出した記憶に驚いて、呆然と言った。

由乃さんは変わらず不敵に笑っている。

「私も不意に思い出してね。祐巳さんのお弁当が広げられているのを見てたら、あの時と同じからあげがあったから。それでつい、食べちゃったの」

悪戯っぽい目つきの由乃さんは、私を試すようだ。

「食べてしまうと、なんだか悪い気がして、つい隠しちゃったのよね。ごめんね、祐巳さん」

「ううん、いいよ、こっちこそ、今まで忘れててごめん」

「何言ってんの、私だって今日まで忘れてたんだから

由乃さんはそう言って笑う。

でも本当かな。

由乃さんはもっと前から思い出していて、それで、私にも思い出して欲しくて、なんて考えすぎかな?

「授業に遅れちゃうわ。行きましょ

由乃さんに連れられて私は歩き出す。

そういえば、由乃さんは言っていた。

犯人は、私のお弁当を手に入れること自体に意味がある、と。

それはたしかにその通りだった。

私はあの時のことを思い出して。

由乃さんとはずっと昔に出会っていて。

それで、由乃さんは何を得たのだろう?

(私の方が、祥子さまより先なのに)

私は銀杏並木を歩きながら、今日だけ、そっと由乃さんと手を繋いだ。

 

 

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