彼女の部屋によく行く。
整理整頓のよく行き届いた部屋で、本棚には上品な趣味の幾つかの本、冷蔵庫の上に置かれた小物、木目が光る食器棚。
「あ、これ、かわいいね」
イルカを模した小さな置物を私はつつく。彼女は曖昧な表情で笑って「いいでしょ、それ」と言った。
「そうだね、いいね」
と言った私に彼女は安堵したように微笑んで「聖が分かってくれて嬉しいわ」と言った。
不思議な笑顔だった。
『道のない人』
よく彼女の部屋に泊まる。泊まる度に、そこにあった他人の匂いは薄まり、彼女の匂いは私の匂いになっていく。
今はもう、知っている部屋。
かつての知らない部屋。
「ねえ、聖、人間って、死んだらどうなるのかしらね」
「なに?いきなり?」
「最近、時々気になるの。お母さん、 どうしてるかなって」
「どうなんだろうね」
私は、死んだ後に何かがあるのを信じない。
「死んだ人間の魂が天へ上って行くことよりも、地上にある人間の絆を信じてしまうなあ」
「そう、でもそれって、寂しいわよね」
そうだろうか。
こんなに近くにケイはいるのに。
それは、寂しいことなんだろうか。
部屋の中には、前には見なかった壷が見えた。綺麗な壷だった。
ケイが大学を休んだので私はお見舞いに行く。
休むなんて、珍しいことだ。
彼女は真面目で、ちゃんとした人だから。
庭の芝生を踏んで、彼女の離れをノックする。
「景?いるんでしょ?大丈夫?」
「聖?」
声が聞こえたので開けた。
彼女は部屋の電気も点けずにうずくまっていた。
「どうしたの?聖?」
「景が休んで、心配だったからね」
「ごめん」
彼女はらしくもなく弱々しかった。
部屋に上がると、また置物が増えている。透明な水色の雫、魂みたいに見えた。
「どうしたのよ一体、らしくないじゃん」
「ん、寂しいのよ」
「寂しい?」
「生きていることが、寂しいの」
「何でさ」
「聖は、そういうことってない?」
あるよ。
君に届かない時とか。
誰かが遠い時とか。
その日、彼女と寝た。はじめてのことだった。
でもやっぱり彼女は、大学に来なかった。
私は彼女の部屋に通う。また、壷が増えていた。
「聖、私、待ってるのよ」
「待ってる?」
「今日、お母さんに会えるの、ほんとなの」
「どういうこと?」
「たくさん買ったから、もうすぐお母さんに会えるのよ」
そう言って彼女は壷を見ている。
私はそこでようやく、彼女の部屋に異様に置物が増えていることに気付く。
「これ…」
「それ、武知天空神さまの置物なの。私分かったのよ。母さんが天空神界に行ったのも、お父さんが再婚したのも前世のエピネ輪廻だったのよ」
彼女は平静な目をしていた。
私は言葉を失う。
「今夜、母さんに会えるだけのカルマが溜まったから…」
彼女は少し恥ずかしそうにした。
私は必死に言葉を探す。
「ねえ、景、これは、間違ってる。間違ってるよ。人間は、死んだら、終わりなんだよ」
「違うのよ聖、普通の人はそう思ってるけど違うの、これは科学的にも証明されていることなんだから。今の最先端の科学では死後の世界はちゃんと証明されているのよ」
「そんな訳ないでしょ!景、そんなことはありえない、ありえないのよ…!」
「そうだ、聖も、武知天空神さまの話を聞きに行きましょうよ。きっとためになるから」
彼女の目は本気だった。
言うべき言葉はみつからない。
逃げてしまおうか、と一瞬思った。
でも私は逃げてはいけない。
彼女と共に、生きなければいけない。
たとえ、それがどんなに困難でも。
不意に、部屋の壷が増えている気がした。
それはどんどん増えていき、見る間に部屋を埋め尽くし、私は彼女を見失う。
「母さん」
という彼女の祈りを、確かに私は聞いた。
逃げることは出来ない。
了