10月31日(水)
新しい朝。初めて寮で迎える朝は静かで、澄み切った空気に満ちていた。知らない天井を見上げ、私は制服に着替える。
余りにも早い朝。
初めての場所からの登校だから余裕を持ちたいとは思ったけれど、どうやら早すぎるようだ。
やることもなくロビーへ降りた。誰もいないと思ったのにそこには人影、ロビーの机に聖さまが座っていた。
「祐巳ちゃん、早いね」
「聖さまこそ」
聖さまは新聞を広げて読んでいる。ただそれだけなのに、大人という感じがした。何をしても絵になる人だ。
「新聞、とってるんですね」
「うん、無気力症に関して何かないかなー、とかね」
無気力症、精神を喰われた人間の末路。あるいは私の先に待つ運命。
「私達しか、何とかできないんですよね」
「うん」
「今晩にでも、あのタルタロスとか言うところへ行きましょう」
私の中から失われた福沢祐巳を取り返す。それは早ければ早いほど良い。だが聖さまの回答は拒絶。
「駄目だよ、祐巳ちゃん。2人じゃ無理だ」
「無理?」
何故?
「どっちにせよ説明する気だったんだけど、今しようか、ペルソナでの戦い方のこと」
そう言って聖さまが新聞を畳む。
さて、と一息ついて聖さまは言った。
「私のペルソナはクー・フーリンって言ってね、ケルトの英雄なんだ。クー・フーリンは妖精と深く関わって、色々な試練を戦い抜いた存在なの。伝承によれば、重傷を負いながらも倒れないために、自分を木に括りつけてまでも戦ったそうよ。まあそんな風に自分の中に眠るペルソナは、神話や伝承の中の悪魔や神、妖精とかだったりするのよ。しかしこれ、ちょっと格好良過ぎて気が引けるね」
「いえ、聖さまによくお似合いだと思います」
不断の意志と……どこか不遇な縛られた運命が。
「あはは、ありがと。で、私のペルソナは、貫通と雷に耐性があって、闇に弱い。って言っても何が何だか分からないと思うんだけど、ペルソナの攻撃方法には10の分類があるの。斬撃・打撃・貫通・火炎・氷結・電撃・疾風・光・闇・万能、この十個ね。常識的に考えて、刀で切りつけるのが通用して、銃で打ち抜くのが通用しない、なんて考えられないんだけど、ペルソナでの戦いではそうなるのよ」
「刀が斬撃、銃が貫通に分類されるからってことですか?」
「そういうこと。なんで殴るのはOKで、弓矢が効かなくなるのか意味不明に感じられるけど、ペルソナやシャドウは精神の産物だから、通常の物理法則的な考えで捉えちゃ駄目らしいよ。神話的な分類法則で考えるべきなんだって。私達から見れば同じように分類できるものが、正反対になったりする。レヴィ・ストロース的神話学解釈がどうとか幾月さんは言ってたけど、私達が覚えるべきなのは、この十種類のどれに自分は弱くて、相手はどれに弱いのか、または相手がどれに強くて、自分はどれに強いのかってこと」
「なるほど」
敵を知り、己を知る。基本だ。
「恐ろしいことにね、敵の中にはこちらの攻撃を反射したり、吸収したりする奴がいる。何も知らずに切り付けた瞬間、切られていたのは自分だった、なんて事がありうるの。私も何回か自分のペルソナの電撃や槍を食らわされた。ペルソナを降ろしている時の人間は、常人を遥かに超える耐久力や力、再生力を持つとは言え、何回かは死ぬかと思ったわ。しかし、切りつけたら傷が治るって、どんな原理よ、って思っちゃうわ」
私は聖さまが何故、タルタロスに行くことは出来ない、と言ったか理解した。
だから言う。
「聖さま、私のペルソナは雷と闇に弱い『感じ』がします。出来ることは火炎系の攻撃と打撃攻撃、という感じです。だからこういう事ですね。私達にとりうる攻撃方法は僅か四種類、聖さまの電撃・貫通、私の火炎・打撃、たったこれだけ。だから敵地を戦い抜く事が出来ない」
聖さまが驚いた顔をした。福沢祐巳がいなくなって、私の制限が少し緩くなっているのかも知れない。だがこの程度、構うまい。
「えらく飲み込みが早いね、祐巳ちゃん。まあそういうこと。私と祐巳ちゃんだけでタルタロスに行くのは無理だ。私達は仲よく2人とも闇の攻撃に弱いしね。この前の戦いだって、敵に先手をとられれば危なかった。弱点に攻撃を受けたペルソナは、問答無用で動けなくなるからね。シャドウは総攻撃こそしてこないけど、弱点を攻撃されたら、私達は何も出来ずに一方的にやられる羽目になる」
「しかし敵も同じ十属性のルールに従った攻撃をし、同じように十属性に弱点を持つってことですか?なんだかそれって、ペルソナとシャドウは同じルールの中にいる、同じような存在に思えます」
「さあ、その辺は幾月さんの領分かな。とまあ、祐巳ちゃんの飲み込みは早いおかげで説明はお仕舞い。今はとにかく、攻撃の幅を増やすためにもペルソナ使いを探すのが先決なんだ。そのための召還機も用意されてる」
今は攻撃の幅が足りない。
しかし・・・なんだろう。私は私のペルソナが、『これで終わり』という感じがしない。もっと別のペルソナが、無数に、無限に、自分の中に眠っている気がしてならない。何故だろう?個人の精神が神話的存在を通して表出されるのならば、人間の精神が複数に分割されるものでない以上、個人が所有するペルソナも一つと考えるのが自然だというのに。
「私のペルソナは、オルフェウス、なんですよね」
その言葉をどう取ったのか、聖さまが説明する。
「ギリシャ神話だったかな、『死んだ妻を取り戻すために、冥界に下りていく』竪琴の名手だよね。なんだか、祐巳ちゃんのイメージとうまく合致しないなあ」
あはは、と聖さまが笑う。
そう、福沢祐巳では合致しないだろう。
しかし、私ならば。
死んだ妻。
福沢祐巳。
それを取り戻すためならば、冥界でもタルタロスでも私は降りていくだろう。
「酷いですよ〜。人のペルソナに文句言うなんて」
と言って私は微笑む。いつでも無邪気な福沢祐巳。
「でもいいね、タルタロスって確かギリシャ神話で、冥府にあるんじゃなかったかな。私達にぴったりじゃない?」
「そうですね」
私達は微笑み合う。そろそろ学校へ行く時間だ。
果たして聖さまは知ってて言わなかったのだろうか。
オルフェウスは、最終的には妻を連れ戻すのに失敗したことを。
・・・・・・・
通学路、校門を潜ると銀杏並木に入る。
そこには複数の生徒達と、肩を落とした島津由乃がいた。もちろん声をかける。
「由乃さん?」
振り返った表情も暗い。
「祐巳さんか……」
どうしたのだろう?
「由乃さんどうしたの?暗いよ?お腹痛い?」
「別にそういう訳じゃないけど……」
「保健室一緒に行こうか?」
「ちょ、それじゃないわよ!」
「由乃さん、声、大きい」
どうやら健康上の問題や、月に一度、私にも襲い掛かってくる血の魔獣が原因ではなさそうだ。
しかし、手術以降常に、うざったいほど元気な由乃さんらしくない。調子が狂う。
「たいした事じゃないから」
と由乃さん。そんな訳あるか。
「大した事じゃない顔してない」
「……ちょっと冷静になる時間を頂戴。昼休みにでも話す」
こうして、気になってしょうがないその話は一瞬で打ち切りになった。ジャンプじゃあるまいし。
「祐巳さんこそ、一週間も休んで心配したんだから」
「あはは、なんか、色々こじらせちゃったみたいで」
「面会いけなくてごめん。でもなんか、祐巳さんの御両親、入院先教えてくれなくて……」
「ごめんごめん、でもさ、私がいない間、みんなどうしてたの?」
とにかく話を変える。余りその辺は突っ込まれたくない。嘘で塗り固められた部分だ。
だから話を薔薇の館の様子や、その他のことへと軌道修正する。
由乃さんは割とあっさり、そんな思惑通り話を変えてくれた。
「そうねえ、薔薇の館では……」
私なんかいなくても、当然皆は問題なく事務を片付けていたそうだ。しかし由乃さん曰く「祐巳さんはいなきゃ駄目、職場の花」だそうな。なんだそれは、OLか私は。
薔薇の館の愉快な話は私の精神を和ませるが、しかしそれよりも、由乃さんが聞かせてくれる校内の噂の方が情報としては重要だった。
不登校者=恐らく無気力症患者の噂、そしてペルソナ様遊びの噂。
「なんかね、ペルソナ様遊びで『特別な自分』になれた、って言う人が現れちゃったのよ」
ペルソナ様遊びの噂は変形し、夜の十二時に自分に電話をかけ、成功すると『特別な自分』になれ、失敗すると十二時の世界に閉じ込められる、という内容になっているらしい。
そして本当に、『特別な自分』になれた人間が現れたという。
「誰?」
由乃さんの即答。
「桂さん」
何だと?
彼女は不登校になっていると思ったが、復帰していたのか?
「今、テニス部で先輩達を打ち負かすほどになってるらしいし、とにかく物凄いんだって。まるで別人って話」
その話は引っかかる。
戻ってくると別人。
数日の休み。
運動能力の向上。
そういえば私は『一週間の不登校』から現在復帰し、その気になればペルソナを降ろし、凄まじい運動能力を持った『特別な自分』になれる。
偶然の符合か?
どちらにせよ、桂さんは親友だ。話してみる価値はある。
「ありがとう、由乃さん」
「うん?何が?」
「久しぶりの登校で不安だったけど、由乃さんのお陰で何か安心した」
微笑み。
「もう、祐巳さんは」
照れる由乃さん。
そういう由乃さんは、かなり暗さから立ち直っていた。良かった。
靴箱まで2人で並んで行って、噂をすれば影、そこで桂さんを発見することが出来た。
幸先がいい、調査の手順を省ける。
「ごきげんよう、桂さん」
「ごきげんよう、祐巳さん、由乃さん」
自信に満ち溢れた態度。
何かが違う。確かに別人、ある種のオーラのようなものさえ感じる。
「一週間、長い休みだったわね、祐巳さん」
「心配かけてごめんね」
私の言葉に、桂さんは言葉を返さない。
心配なんてしていなかったわよ、という意志?
いや、そんな筈は……
「休んでる間、酷い噂が色々流れてたわよ。例の不登校と合わせて」
「ちょっと!桂さん!」
由乃さんが抗議する。なるほど、余りにも問題ある噂は、耳にいれないようにしてくれてた訳だ。
「何?事実じゃない。こうも休みになる人間が多いのは、ペルソナ様あそびのせいだとか、実は休んでる人間は影で繋がってて、悪いことをしてた、とかね。でも大丈夫祐巳さん。私がペルソナ様あそびの『成功者』として存在している以上、心清い子羊のみんなが信じるべき噂は、不登校者はペルソナ様あそびの『失敗者』だって噂だけだわ。さしづめ生還した祐巳さんは、『成功者』なのかしらね?」
「桂さん」
こいつは確かに別人だな。
明らかに今までの人格と違うし、何かを知っている。
「成功者である桂さんは、特別な自分になれたの?」
「勿論。私ね、今まで見えなかった事が、今は見える気がするのよ。私達はみんな『失望』してる。平凡に続く日常、永遠に続く怠惰、高潔になることが構造上不可能な人間精神。私達の未来は灰色で、そこに希望はなくて。人生を楽しめる者はことごとく、成功者もしくは、鈍感で邪悪な者なんだわ」
「自分の意見が偏ってると思うことは?」
「今、丁度そう思ったわ。でもね、人間は皆、自分が『主役』として人生を歩む事を熱望している。誰もが特別な自分になりたい、そうでしょう?そして私はその機会を得た。祐巳さんみたいにね」
「私?」
噛み付きそうな由乃さんを目で制する。今は、桂の言葉を聞きたい。
「だって、紅薔薇の蕾じゃない、祐巳さんは」
下らない。
私が事務屋の集団に過ぎない生徒会で得たものは失望だけだ。
大体、生徒会など、所詮学園事務を行う事務屋に過ぎない。リリアンの生徒会を支えているものは幻想だ。
一般生徒に開かれた生徒会、などと大仰なことを卒業した生徒会役員・水野蓉子が言っていたが、そんなものは日本中の高校に溢れかえっている。一体誰が、自分と同じ大したことのない若造の事務屋を尊敬する?
異常なのはこの学校で、その異常なシステムの上で運営されている生徒会を、開かれた形にするなどと当の生徒会役員が言うのは、大資本家が共産主義を唱えるくらい滑稽な事ではないのか?
殆ど伝統と言っていいこの奇矯な生徒会システムは、むしろその珍しさから言って、残すべき財産のような気さえする。
どちらにせよ紅薔薇の蕾の特別性など、長い人生の車輪の上では、塵芥に等しい『特別』に過ぎない。
むしろ一般生徒が憧れる特別性の中で、やはり何も特別なものなどない事を確信しただけだ。
私達が得るべきなのは特別性などという幻想ではなく、無限に続く人間や人生への『失望』に耐える方策だ。
たとえどこへ行っても、世界など絵柄入りの飴のように同じものに過ぎない。
「そんな、私なんか全然……」
と私は曖昧に微笑む。無難な対応。持たざる者に対する『持つ者』の余裕になっていないかだけを気にかける。
「いいえ、祐巳さんは『上昇』への道を昇ったわ。人生は階段を駆け上がる『上昇』のためにあると思わない?そして、階段の上はとても狭いんだわ」
「エリートビジネスマンみたい」
「そう、大勢の大人の目指すべきスタイルって事よね。結局は大半の人間がサラリーマンになるのなら、エリートビジネスマンが『上昇』していく人生モデルは、多くの人間が目指すべき理想でもある。私は今、社会へ適応していく考えを身に着けた事になるわね」
「うん、凄い。桂さん変わった。大人みたい」
お世辞にならないように。本心から思っているかのような演技。
私が彼女を褒める演技が、彼女の心のガードを下げさせる予感がした。
つまり、彼女は私に執着している。私に認められることが、彼女にとって何か意味のある事のように思えるのだ。
その理由も、邪推だが推測が可能だ。つまり、平凡な生徒に過ぎない福沢祐巳の生徒会入りが桂の精神に屈折を与えた。根拠の一つとして、桂は黄薔薇革命時に騒動を起こしている。特別な自分、『主役』になるための通過儀礼、そういう発想を持っていてもおかしくはない。
「ありがとう」
桂の微笑み。悪意の存在は感じられない。
「ねえ祐巳さん、一週間休んだのは、ペルソナ様あそびのせい?」
こちらが聞きたい核心を、向こうが聞いてきた。どうする?
福沢祐巳なら、嘘をつかない。
「まあ、実は、そうだったりするんだけど」
と告げた時の桂の表情。
怒り、諦観、納得、傷心。
間違いない、桂はペルソナ使いだ。そして『上昇』したかつての親友が、やはり自分と同じ『特別』へ上昇してきた事について、複雑な感情を持っている。
同時に私は、自分が桂の感情を、手に取るように読める事に驚愕する。
福沢祐巳がいなくなった事と関係しているのかも知れない。
「祐巳さんもやったの!?」
と由乃さんの驚きの声。
予鈴がなる。
「長話しすぎたわ、またね、祐巳さん」
「うん、何があっても、私達親友だよね?」
ずるい聞き方。必要以上の危険な踏み込み。
「ええ」
冷たい響き。
桂の事が今まで以上に分かった気がする。
不意に。
声が響く。
(我は汝、汝は我)
(汝は、悪魔の絆を手に入れた)
声は消える。
私達は教室へ急いだ。
昼休み。
教室で、私と由乃さんは弁当をつつきあっている。
寄せられた机、向かい合う私達。
「今の桂さん、なんか、なんか好きじゃないな」
正直な由乃さん。
「うーん、いや、良い子だよ」
無難な回答。
卵焼きを食べる。
自分で作った。
「なにそれ?ハンバーガー?」
失礼な。確かに色々茶色いが、それは醤油や焦げ目のせいであって、これはパンではない。
「卵焼き」
「ええ!?有り得ないって!」
この話題は早急に打ち切る必要がある。
「それより、昼休みになったよ」
「え、ああ、うん」
朝、由乃さんは昼休みに話すと言っていた。私の料理技術の話よりも、明らかに有意義な会話が存在している。それならば、優先順位が高い方の会話を選ぶのは当然だ。別に貶されるのが嫌な訳じゃないよ?
「あのさ、祐巳さんも、ペルソナ様遊び、やったんだよね」
「うん」
「なんともない?」
なんともある。
精神の破滅への軌道が加速するくらいには、なんともある。
「もしかして、由乃さんも?」
カマかけ。
見事な命中。
「最初は気づかなかったの、寝てたから。でもね、夜の十二時になると……」
「人が棺桶になる?」
「そう!!」
由乃さんは思わず席を立ち上がっていた。机が揺れてバランスが崩れそうになった。急いで弁当を守る。
「落ち着いて、由乃さん」
「なんで祐巳さんは落ち着いていられるのよ!あんな、あんな……」
「声も大きいよ」
「大きくもなるわよ!」
「とりあえず座ろう、ね?」
由乃さんが座り、興奮をぶつけるように弁当をがつがつ食べた。マリア様には見せられない。
「あ、もしかして祐巳さんの入院って」
「まあね」
と曖昧に濁す。
由乃さんに影時間への適正があるのは間違いない。
召還機を渡せば、ペルソナを降魔出来るかもしれない。新たな戦力の確保。
説得の見込みもかなりある。少なくても、桂さんよりは。
「じゃあさ、放課後、由乃さんの家に行っていい?他にも、あの時間が見える人がいるんだ」
「他にもいるの!?」
「うん、ちょっとその人たちと相談して、由乃さんの家に今日行きたい」
「いいけど……」
「じゃあ、決まりね」
と強引に話を打ち切った。幾月に話を通さないとややこしい事になるだろう。
後は、桂だ。
・・・・・・
放課後。
私はテニス部の活動の様子を見ている。
明らかに一人だけ動きの違う生徒がいる。もちろん桂だ。右に左に飛び交うボールを、ウィンブルドンの選手のように華麗に返し、息も全く乱れていない。撃たれた打球も漫画のような速度で相手コートへと突き刺さっている。やりすぎだ。
そもそも、ペルソナの力をこういう風に使うのはズルくないか?
これでテニス選手にでもなろうものなら、それは重大な不正の気がしてならない。
練習試合を楽勝で終えて、一休みする桂さんに近づいた。
「凄いね、桂さん」
「あら、祐巳さん」
もう腹の探り合いは不要だった。明らか過ぎる。
「これが桂さんの『ペルソナ』の力?」
「やっぱり、祐巳さんもなのね」
認めた。確定だ。
しかし、召還機はどうしているのだろう。幾月は、理論上は召還機なしでも降魔は出来るとは言っていたが。
「こういう使い方って、ありなのかな?」
素朴な疑問を装う。
「『上昇』のためよ。自分の力を、自分の『上昇』のために使う。みんなしてることよ」
「そうだね」
彼女の思考が、一つの明確な目的に収斂し、繰り返しその主張を行う事に違和感を覚える。彼女自身、まだその思想に慣れていない感じがする。
「祐巳さんだって、自分のためにペルソナを使うでしょ」
「うん」
別に世界平和のために使う気はない。福沢祐巳の奪還は、自分自身のためだ。
「でもね、桂さん。この力でしか戦えない敵がいるの」「シャドウのこと?」
どこまで知っている?
「そうそう、シャドウ……」「私をS.E.E.Sに誘いに来たの?」
S.E.E.S?
「なにそれ?」
「自分の所属も知らないの?幾月機関が取り仕切ってる、小笠原グループのペルソナ部門はS.E.E,Sって呼ばれてる。祐巳さんは幾月機関に誘われたんだと思ってたけど」
「知ってるなら話が早いね。桂さんも一緒に」「嫌よ」
即答。
「どうして?」
「祐巳さんは、自分がシャドウに殺されるかもしれない、とは思わないの?」
「覚悟の上だよ」
福沢祐巳がいないのなら、私は死んでいるのと同じだ。
「祐巳さん、ほんわかしてるように見えて、やっぱり違ったのね」
「桂さんは、無気力症になりたくないってこと?」
「なりたい人間がいるの?自分の精神を殺されて、無様な姿を晒すのを喜ぶ人間が?」
「でも放っておけば、多くの人間がその無気力症になるよ?」
「階段の上は狭いから、落ちる人間もいるわ。ねえ、祐巳さん。私と祐巳さんは、長い間親友だったわよね」
過去系。
「今でも親友のつもりだよ?」
「それなら、私達の方へ来ない?自分のために、社会に対してペルソナ使いの有用性を証明していくの。その先には希望があるわ。栄光への階段を『上昇』するの。そのための人生でしょ?祐巳さんだってそうでしょ?」
「私達?」
桂は集団名を答えない。
「祐巳さんも上昇のために生きているのよね?私達の『失望』を乗り越える方法は『上昇』しかない、そうでしょ?」
私は首を振った。
「ねえ、桂さん。私は『失望』を乗り越えられるとは思っていないの。桂さんのやり方は、私には新たな失望を呼ぶことになると思う。何故なら桂さんのやり方は、まさに私が失望している相手である『社会』に認めてもらう事が主眼になっているから……私は私が『失望』している相手に認めてもらっても、いかなる喜びも得る事が出来ない……」
「子供の理屈ね」
「大人になっているなら、そもそも『失望』なんてしないと思う」
私では桂を説得できそうもない。
いやそもそも、彼女は既に何らかの集団に所属している。私のやっていることはどうやら、引き抜き行為のようだ。
幾月に確認する必要があるな、色々と。
「祐巳さんは弱いわ。上昇や社会に耐えられないのなら、これ以上この問題に関わるのは辞めた方がいいと思う。影時間は、弱い人間を食い殺すわ」
「忠告?」
「そう、元親友として。私は自分の上昇のために、あらゆる事をする気持ちでいるのよ。でも出来れば、祐巳さんとは戦いたくない」
「私だって、桂さんと戦いたいと思ってる訳じゃないよ。でも」
意志だけは、表明しておく。
「『上昇』のために他人を押し退けることは、まさに私の失望の中心になっている事だわ」
桂が首を振る。周囲に聞き耳をたてている者がいる。部活で喋りすぎたか。まあ、意味不明だったろうけど。
桂はテニスコートに向かって歩き出す前に、私に言った。捨て台詞のように。
「結局、祐巳さんは他人のために力を使うのね」
・・・・・・
夜。
武蔵台寮。
玄関のロビーに置いてある六人がけの大テーブル。
幾月さんと聖さまと私が座っている。シャンデリアの煌びやかで上品な光が、緑を基調にしたテーブルクロスの、複雑なタペストリを照らしている。
私の話は、かなりの驚きをもって迎えられた。
幾月はふんふん、と頷きながら言う。
「なるほど、幾月機関やSEESの事を知っていたかあ。なかなか厄介だね。外部のペルソナ使い機関というのは想定していなかったなあ。幾つか予想はあるけど、どれが正しいのやら」
「ペルソナ使いの集団というのは、たくさんあるんですか?」
「まさか、だったら苦労しないよ。桐条グループ、知ってるだろ?大財閥の。あそこもペルソナ研究をしてるって噂があるが、安定制御下でペルソナの発動に成功したとは聞いていないよ。いま、日本中でペルソナ使いの集団は我々だけだと思ってた。セべクは解散状態だし……まあ、それはこっちで調べてみるよ」
私の知らない、ペルソナの世界があるようだ。
「しかし、由乃ちゃんや、えーと、桂ちゃんだっけ、祐巳ちゃんの同学年に2人もねえ。そしたら、ここに由乃ちゃんも来るのかな。にぎやかになるなあ」
なんだか聖さまは嬉しそうだ。でも、ちょっといやらしい顔。
「何考えてるんですか?」
「後輩が増えて嬉しいな、ってだけだよ」
とてもそうは見えない笑み。
「ぐふふ」
ぐふふって!本当に言う奴初めて見たよ!
「聖さま、なんかいやらしいです」
「いやまあ、冗談だけどね。むしろ心配だよ、由乃ちゃんと仲よくやれるかどうか。高校時代に、もっと可愛がってあげたらよかったね」
「そうですか?」
なんとなく、大人な聖さまが上手く由乃さんをいなしそうだが?
「あはは、なんとなくだよ。ガラスのように繊細な心なのさ、私って」
なんだか嘘臭い。そんな私の内心も気にせず聖さまは言う。
「まあ、それじゃ召還機持って、幾月さんと行ってきて、祐巳ちゃん」
「聖さまは?」
「イレギュラーの出現に備えるよ」
イレギュラー。
シャドウは、基本的にはタルタロスの中で活動している。
しかし時折街に出ては、福沢祐巳や加藤景を食らったように、人を襲う。
そのような街に出たシャドウを、イレギュラーと呼んでおり、タルタロスに行けない今、イレギュラー対策は我々の目下の任務だ。
「じゃあ、聖さまは留守番ですね。聖さまを見たら、由乃さんきっと驚いたのに。なんだか残念です」
「いいって。寮に来てから散々驚かせるから」
そうして話は決まって、私は幾月の黒いリムジンに乗ることになる。
しかしこの車、幾月が買ったのか?
「いやあ福沢さん、大活躍だねえ。新たな戦力に、新勢力の情報まで。大したもんだ」
車は滑り出し、ハンドルは軽快に回る。
「そう思って頂けるなら、少しいいですか?」
今の生活に、少し疑問がある。
「我々は命を賭けて戦う事になる訳ですけど、それには幾つかの手当てや、必要経費があってしかるべきだと思うんです」
「僕もそう思うね」
思ったよりあっさりとした返答。
「聖さまは何も言わないんですか?」
「彼女は、これを自分の個人的な戦いだと思っている」
「でも、報酬は必要です。戦意の維持のためにも」
いつ終わるか分からない戦いになる可能性もある。
「希望の金額は?」
少し迷った。どれくらい請求すべきなのか。
「月20万、全員にです」
「慎ましいねえ。リムジンを見てもその値段なんだ」
「長期戦や、人数の増加を想定しています。別にお金が目当てではありません。最低限の自由な娯楽の維持を考えました。社会人の一年目、二年目の金額で充分な筈です。豪遊が目的でないならば」
「福沢さん、最初の印象と違うよね。君には、なんだろうな、どこか抑制されたものを感じるよ」
「人間なら、通常は誰でも何かを抑制しています」
「確かに」
と言って幾月は笑った。
私は、福沢祐巳から逸脱し始めているだろうか?
恐らく逸脱し始めているだろう。
それが決定的な、クリティカルな点を越えるまでに、奪還を済ませなければならない。
「なんだか若い女の子ばかりで心苦しいね。僕もペルソナが使えればいいんだけど」
幾月は影時間の適正だけがあり、ペルソナの素養がない。
由乃さんもそうである事を祈ればいいのか、それともペルソナ使いであることを祈ればいいのか、一瞬分からなかった。
私達の末路が病院の景さまでないと、誰が保証できるだろう?
車はやがて、島津家前の道路まで差し掛かる。
そこでヘッドライトは、道路の真ん中に立つ人影を映し出す。クラクション、動かない人影、ブレーキ。
「おいおい、勘弁してくれよ。自殺志願者か?」
幾月が運転席から降り、ヘッドライトが映し出す人影に近づく。ライダースーツにケプラーで出来たベスト、ヘルメットに安全靴。体のラインがぼんやりと分かる。小柄な女性。
幾月が人影に声をかけた。
次の瞬間。
彼はボンネットに背中から落ちていた。軽々宙を舞って。
一瞬で私の精神が戦闘体勢に切り変わる。思考が綺麗に消え、恐怖が死に、興奮が死に、ただ体だけが動く。車を瞬時に飛び出した。
「幾月、下がってろ」
一瞬だけこちらを見た幾月は、すぐさまあとずさった。いつでも逃げれるように運転席へと乗り込む。
私の手には召還機。人影の手にも召還機があった。
ヘルメットを人影が脱ぎ捨てる。
私はもう、見なくても分かる。
ヘルメットの下にあるのは、私の親友の顔。
「桂さん」
「言ったでしょ、階段の上は狭いんだって。これ以上、人は増やせない」
「そう。それなら、私達のやることは決まってるね」
「そう、決まってるわ」
桂さんが笑う。
私も笑った。
2人とも、完全に同時に動く。
ヘッドライトで切り取られた夜のステージで、2人の少女が向かい合い、同時にこめかみに銃をあてた。
狂った夜、狂った光景。
そして少女達は同時に引き金を引く。
「「ペルソナ!!」」
胸騒ぎがして、島津由乃は福沢祐巳を今か今かと待っていた。
窓の外から表通りをじっと眺めて、そこに愛すべき親友の姿が現れるのを待っている。
ふと、表の通りを大きな車が入ってくるのが見えた。
車はなにやら道の真ん中で止まり、道路の中央に立っていた人影と揉めている。
運転席から男が降り、人影に話しかけると男が吹き飛ばされた。
揉め事だ。
恐怖心と野次馬根性。
だがそれも、車の後部座席から降りてきた人影を見て吹っ飛んだ。
揉めている車の後部座席から降りてきたのは、島津由乃にとって愛すべき狸顔の少女だったからだ。
それを見て由乃は、反射的に玄関に向かって駆け出していた。
To be continued