廊下をのたうつ触手が、その先にある尖った牙で可南子に噛み付こうと、次々と襲い掛かる。
そんな地獄絵図の中を走り抜ける可南子が纏う光は徐々に強さを増し、それが最高潮に達した時、触れようとした触手が弾け飛び、可南子は叫ぶ。
「スサノオ!!」
恐るべき赤き巨神が顕現する。
『12月16日 21:00』
鋭角の真紅の甲冑を来た魔神。
筋骨隆々の大男。
腕の一振りで暴風を巻き起こし、拳の一撃は岩をも砕く。
魔神スサノオ。
顕現した怒り狂う荒神が、猛然と走る可南子の背後で咆哮をあげた。
幻覚の管が弾け飛ぶ。
そして駆け抜ける可南子の前に立ちふさがるのは、菜々と公弥さんだ。
悲鳴を上げながら公弥さんが放つ銃弾を、可南子が前へ転がり出て回避する。
──狙いが甘い、幻覚のせい?
恐らく、久我姉妹は幻覚を見せる事が出来ても、幻覚を見た結果の行動までは制御できない。
もし、行動まで制御できるなら、最初から可南子は逃げ出す事が出来なかった筈だ。言うなれば、全感覚に錯覚を起こしているだけ……。
菜々の振るう剣の下を、可南子が素早く潜り抜ける。
──そんな誰を狙っているかも分かっていない、腑抜けた攻撃なんて!!
荒ぶる神のペルソナに目覚めた、今の可南子に回避できない訳がない。
猛然と迫る可南子に、しかし久我姉妹は余裕を崩さない。
「あらあら、たいしたものだわ」
「さぞ、よい生贄になるわね」
「生贄になるのはあんた達よ!!」
怒れる神の鉄槌が、久我姉妹に叩きつけられた!!
今まで皹一つ入らなかった校舎の床が砕けて破片が飛び散り、同時に肉片と貸した久我姉妹の片割れが赤い血肉と共に飛び散った。
天井まで真っ赤に染まった廊下は凄惨な光景に変わり、それでも久我の片割れは微笑みをやめない。
「私のペルソナは、お前達をぶち殺せと言っている」
「強引なのね。乱暴な女の子じゃ殿方に好かれませんわ」
「殿方に好かれるつもりなんか無いからいい」
殆ど無造作なまでの拳の一撃。
何の予備動作もなく巨大な破壊神の拳が振りぬかれる。
ガードする間もなく壁と拳の間に挟まれた久我がべちゃりと潰れた。溢れる血が床を池に変える。靴の中まで血に真っ赤に染まった可南子が振り返ると、そこには久我が居た。
「え!?」
「せっかちなのは、女の子にも嫌われますわ」
幻覚の管がたちまち可南子に襲い掛かり、間一髪床を転がり逃れた可南子が血まみれになり、その長く黒い髪が赤く染まる。だが転がった先に居たのも、久我だった。
「よい夢は見れまして?」
久我のペルソナ、妖艶な娼婦のような女神のペルソナが、燃え盛る炎を可南子に投げつけた。直撃を受けた可南子が火達磨になる。
「スサノオ!!」
破壊神の息吹が炎を吹き飛ばし、しかし可南子は動揺を隠せない。
──確かに倒した筈だ。その証拠に血まみれじゃないか?
可南子は、何度か久我姉妹が『死んでみせた』のを幻覚の能力だと思っていた。
──違うのか?
────それとも、私はもう既に、奴らの作った幻覚の中に居るのか?
疑い出せば切りの無い疑惑の渦中に可南子は投げ込まれてしまう。それが敵の狙いだとしても、疑わずにはいられない。
──大丈夫だ、幻覚の管は外した筈だ。現にさっき、奴らは私に管をけしかけた。
でもそれ自体が幻覚だったら?
どこまでを信じ、どこまでを疑えばいいのか?
久我姉妹は全く同じに見えるペルソナを二人揃って出現させ、その、美しくも恐ろしい女神はスカートの裾から例の触手を何本も伸ばしている。
──大丈夫だ、私は現実に居る……筈だ。
しかしそれなら何故、久我姉妹は死んでいないのか?
「あら、顔色が悪いですわ」
「この夢がお気に召しませんこと?」
これが夢だと? いや。
──何が現実で、何が幻覚かは、私が決める。
可南子は常人には持ち得ない強靭な意志で、揺らぐ自分を律した。
「気に食わないのはあんた達の顔よ。見てると目が腐ってくる」
「あら失礼」
「外部組の言葉使いったら困るわ」
もう一度、とにかくぶん殴る。
殴れば答えも見える筈だ。
幻覚の管が一気に可南子に殺到し、同時に周囲を焼き尽くす火炎が可南子を襲った。
だが可南子は怯まず、とにかく直進する。
──まっすぐいってぶん殴る。
炎の壁を突きぬけ、その身を焼かれてもただ直進する。
その一点の曇りも無い意思で、可南子は再び久我姉妹の前へ躍り出た。
恐ろしいほどの速さ、正確さ、力強さ。
一切の容赦のない、荒ぶる神の一撃が久我姉妹を襲う。
そして、久我姉妹は笑った。
「貴方達は私達を倒すことが出来ない。いがみ合い憎みあう、弱く不完全な人間だから」
物凄い衝撃が可南子を襲った。
………
瞳子は可南子の背を見送った。
可南子は自分に生きろと言った、そして自分はペルソナが使えず、仮に使えたとしてもあの得体の知れない久我姉妹を倒せるとは限らない。
可南子の意思を尊重するなら、瞳子は逃げるべきだった。
可南子を信じて、この場を任せて先に進む、きっと、再開できると信じて……。
いつか久我姉妹をも倒せる仲間を連れて、可南子を取り戻す……。
なんて。
「ありえないですわ」
瞳子は廊下の奥を睨んで言う。
「この松平瞳子が、可南子さんの意志なんかを尊重する必要は、全然無いんですわ」
あの斉藤公弥さんでさえ、生き残れる保証もなく、ペルソナに目覚めてる訳でもないのに死地へと戻った。
それで何故、この松平瞳子が逃げる訳があるのか。
「可南子なんかに守られるのは真っ平だもの」
この判断──。
賢くはない、死ぬだろう。
それでも逃げない。
死……。
積み上げられる自分の死体。
多くの人間が惨い死に方をした。久我姉妹の手引きで。
息をすれば死を吸い込みそうなくらい、それは近くにある。
死にたくないという思いと、行かなければならないという思い。
恐怖を焼き尽くせ。
瞳子は足を伸ばして準備運動する。
「一世一代の晴れ舞台、大根役者の可南子さんなんかに、譲る訳にはいきませんもの」
瞳子が覚悟を決めて走り出した。
まっすぐ、可南子の元へ。
予想通り、触手が延びて瞳子に襲い掛かってくる。だが瞳子はそれを必死に避けながら、とにかく廊下を走った。スカートのプリーツは乱れまくり、襟は翻りまくり、こんなにリリアンの校舎を走ったのは始めてかもしれない。
そして走らなくていい平和を取り返すには、戦うしかないのだ。
襲いかかる触手を手で払いのけ、走ってかわす、今気づいたが、この触手は動きもめちゃくちゃ早い訳ではないし、力も凄まじく強い訳ではない。だからこそ、久我姉妹はひっそりと自分たちに混じって機会を窺ったのだろう。
触手を触った手はぬるぬるした。
気持ち悪かったし、息があがるし、目は眩むし、とにかく休みたかった。
それでも、走る。
そして血みどろの戦場に足を踏み入れれば血溜りのせいで床がぴちゃりと鳴り、立ち塞がるのはかつての仲間、可南子、菜々、公弥さんだ。
「あら、戻ってきたんですの? 紅薔薇の蕾の妹」
「手間が省けましたわ、ロサ・キネンシス・アンブゥトン・プティスール」
瞳子が無言で身構えた。久我姉妹が嘲笑する。
「あらあら、ペルソナもないのに、犬死にをしにきたのね」
「さすがは気高い紅薔薇の蕾の妹ですわ」
瞳子が大きく息を吸い込んで、言った。
「わたくし!!」
久我姉妹を睨みつける。
「友達を見捨てて逃げるほど、落ちぶれてませんわ」
久我姉妹はますます笑う。
「友達?」
「何万組という貴方達が、どれだけ友情なくいがみ合い、殺し合い、見捨てて逃げてきたか」
「貴方の言葉が嘘だというのを、わたくし達散々見てますの」
「友情も信頼も紙切れのように薄っぺらく、貴方達は弱く、いがみ合い、憎みあいますわ」
そして久我姉妹が断言する。
「「友情も、絆も、この世界に存在しません」」
「はっ」
瞳子が笑った。
「何がおかしいんでしょう? 気でもお狂いになられた?」
「哀れだわ、貴方達は」
瞳子が久我姉妹に向けるのは、憐憫と軽蔑の眼差しだ。
「貴方達は、試さなければ他人を信じられない」
瞳子は、それを哀れだと言う。
「一段高いところから見下ろして、こうやって試せば、ほら裏切った、ほらいがみあった。そんな小さな重箱の隅突付きばかり。自分たちの容姿を利用して、ほら貴方はコハクとメノウの区別がつかなかった。だから偽者、あれも偽者、これも偽者。私を、私だけを見ないと偽者って? 下らない」
久我姉妹が笑顔を崩し、瞳子を睨む。
「何を言っているのかしら」
「男性教諭を殺したって、噂があったわ。自分たちで他人が騙されやすいように髪型を変えて、試して、騙そう騙そうとして、騙された相手を引っかかったと笑う。騙そうとしてるんだから、騙されるのは当たり前じゃなくて? 貴方達にとっては、一瞬の告白が全てなわけ? そりゃ、同じ見た目なら間違うこともあるでしょうよ。貴方達が騙そうとしているなら余計に。でも、一度でも間違えれば絆じゃないなら、そんな絆はいらない」
試さなければいけない絆なら、必要ない。
二人の区別が常につかなきゃ友達になれないなら、そんな友達はいらない。
瞳子は言う。
「私達は弱い」
この迷宮をさ迷う間、何度も間違い、憎み、あきらめた。
「私達はいがみあうし、憎みあう」
ただただ純粋に友情しか感じない人間関係などない、憎んだり、嫉妬したり、鬱陶しいと思ったり。
「でもだからこそ、友の大切さを知る」
瞳子はもう、絆の大切さを知っている。
ペルソナは心の力。
心は、絆によって満ちるもの。
久我姉妹はそんな瞳子に、憎悪の眼差しを向けるのを隠せない。
「もういいわ! 説教はたくさんなのよ!!! さっさと死になさい!!」
久我姉妹のペルソナがたちまち瞳子に襲い掛かる。
だが瞳子の体は、既に光に包まれ始めている!!!
瞳子の心は、絆で満ちた。
だから、叫ぶ。
「アマテラス!!!」
To be continued