人間の終着点、人生の到達点.
それは全て同じことを意味する。
あるいは人間だけでなく、おしなべて総てのものが辿り着く場所は同じなのかもしれない。
虚無。
私達が何を目指し、何を求め、どう生きようとも最終的に辿り着くべき場所はひとつしかない。
死。
『人間は、「死ぬために」生きている』
しかし果して……私達は眼前でまさに発生する『死』を目撃することなどあったろうか。
リリアンという『温室』に住む私達が?
ましてや……体を真ん中でぶった切られて上半身と下半身が生き別れになり、臓物撒き散らしながら白目を剥く男の悲鳴を聞いた経験など、ある筈がない。
スプラッタ映画のように『滑稽』でさえあるそれは、しかし当事者である私達にとってはなんら滑稽ではなく、分かりやすいほど強烈でむき出しの『死』だった。
冗談のように飛び散る血液が裏路地を赤く染め上げ、聳え立つ死神が踏み潰した男の下半身の肉片が壁にへばりつく。男の絶叫が止んだ。
私達の前には、ただただ『死』があった。
11月2日(木)
逃げなくてはならない。
殆ど直感的にそう感じて、私は叫ぶ「走れ!」だが硬直しきった仲間達の反応は鈍い、どうする、一瞬の逡巡、私は召還機をホルスターから引き抜く。
「ペルソナ!」
呼び出されたペルソナの放つ強烈な冷気/ブフーラの技能、しかし死神は全く、完全にその冷気を気にすることなく、手に持った銃を私に向ける。私は路地の向こうを指差してもう一度叫ぶ。
「走れ!!」
放たれた弾丸、ツインテールの端を弾が掠めて毛先を抉り取る。ようやく走り出す皆、。そして私は。
走らなかった。
ここで時間を稼ぐために。
それは死に向かう選択肢だろうか?
このシャドウは明らかに他のシャドウとは違う。
圧倒的な存在感と力、まるで死そのもののような気配。
人間が、死そのものと戦うことなど出来るのだろうか?
路地に落ちて転がる男の上半身、人間であった筈のそれが、物と化している光景。違和感。死。
死神が手に持った銃を振り上げた、男を両断した振り下ろしの一閃、私は飛びのいてかわしブフーラを放つ、殆ど効いた様子がない。「祐巳ちゃん!」聖さまの声、私の返答「早く逃げて下さい!」聖さまは言う。
「駄目だ!祐巳ちゃんも!」
皆を逃がすためには、誰かがこいつに接触する必要があると、そう思う。しかし……
死神の二挺拳銃が一斉に火を噴く、かわされる弾丸、のけぞった私の目の前を弾丸が通り過ぎる、そのままバク転して後退、曲がり角まで逃走、待っていた聖さま「早く!」握られた手、駆け出す。
「私が時間を稼ぐつもりでした」
「馬鹿!」
聖さまがかなり本気で怒っているのが分かる。
「このメンバーで、一番死んじゃいけないのは祐巳ちゃんだよ」
付け替えの力のためだろうか。だが人生の暗黒と失望は、ある意味で既に私を殺している。私は他の人間のように希望を持って生きていない、つまり死ぬべきなのは、私にとっては私自身にしか思えなかった。
背後から迫る鎖の音。
ちゃりん、ちゃりん、と可愛らしくさえあるその音は、裏路地に何度も反響した。
脳内の地図が素早く埋められていく。私達はバラバラにはぐれて行動していたが、それによって、かえって地図は物凄い勢いで埋められていく。志摩子さんの通信。
「全員の位置を送ります。私はこのまま合流せずに階段を探します。上へ昇ればきっと振り切れると思うから……」
背後から飛んでくる弾丸が裏路地の壁にめりこむ、当たれば即死、そんな危機迫る私達の前方に、通常のシャドウが見えた。
「こんな時に……!」
私達はタルタロスを侮ったのかも知れない。
金を探し回り、戻れる時に戻らず、結果がこれだ。
我々は、いつ死んでもおかしくないのに、タルタロスで油断していた。
報いか、これは。
通常のシャドウと死神の挟み撃ち、狭い路地裏、どうする、どうする?
「ペルソナ!」
前方のシャドウへ槍による一閃、展開、鋼鉄のギガス三体。間髪入れず放たれる聖さまの電撃、総攻撃、だが敵は未だ健在、背後から響く鎖の音。
私は瞬時にペルソナを付け替えた。
「タケミカヅチ!」
迸る電撃、一掃される敵、そして私達は死神に追いつかれた。
鎖の音、そびえたつ死神。
死ぬ覚悟は出来ているか?
「祐巳さん!」
「早く階段を……!」
悲鳴に近い通信、死神が放とうとする魔法、私のペルソナチェンジ、魔法発動。
周囲が一瞬で氷の世界に変わった。
壁一面に霜が走り、氷の柱が周囲に立ち並び、裏路地は一瞬で凍りつく。恐るべき氷結技能・マハブフダインの力だった。そして私がさっきまで付けていたペルソナ・タケミカヅチの弱点は氷結であり、本来なら私は死んでいる。
しかし一瞬の差で、私は氷結を無効化するパールバティのペルソナに付け替えることに成功していた。
「聖さま!!」
この凄まじい冷気を聖さまは避けることが出来ず、激しいダメージを受けて膝をついている。死んでもおかしくない絶対零度の攻撃、ディアラマの光で聖さまを治療し、肩を貸しながら私は走る。接触・逃走、それが死神相手に私達が出来る唯一のことだった。
さっき、ペルソナをつけかえるのが遅ければ死んでいたな。
手に届くところにある死。
誰も、それを避けることは出来ない。
あるいは私も、今ここで。
背後の鎖の音は死を意識させる。
「祐巳ちゃん、もう大丈夫、自分で走れる」
ディアラマの効果もあって聖さまが復帰、勝ち目のない死と戦うこと、そう、この死神に現状、私は勝つことが出来ない。しかし勝てなくても、戦わなければならない事があるのだろう。
「階段、発見しました!みんな、早く来て!」
悲鳴に近い志摩子さんの叫び、しかし脳裏に表示されている地図のその場所は遠すぎた。
そして私達の走っている場所の地図が埋まった。
どこにも繋がらない一本道の奥にある、私と聖さまの光点。
つまり聖さまと私が辿り着いたのは行き止まり。迫る鎖の音。
志摩子さんのところまで行くには、死神をすりぬけていくしかない。
絶対に避けられない死と戦うこと。
戦うのならば、誰かは、いつかは、死ぬかもしれない。最初から分かっていた。分かっていたことじゃないか。
「祐巳ちゃん」
一瞬、聖さまが私の手を強く握る。
「祐巳ちゃんだけでも逃げて、私が時間を稼ぐから」
「却下ですね」
「祐巳ちゃん、君は必要な人だ」
「不要な人なんていません。聖さまもです」
「祐巳ちゃん」「2人同時に走り抜ければ、どっちかは上手く抜けられるかも知れませんし、もしかしたら2人とも助かるかもしれない」
聖さまの真剣な目。
一瞬だけ繋いだ手の温もり。
聖さまとの絆が深まった気がする。
命。
死。
生。
死神が眼前まで来た。
「走って!」
聖さまが走り出す。そして私は。
こめかみに召還機を当てた。
「ペルソナ!!」「祐巳ちゃん!」
死神の注意は私に向けられている。
死神が回避不能な、見たこともない凄まじい魔法を放とうとしているのが分かる。
私はそれに答えよう。
人生最後の一撃。
現れたペルソナ・オオミツヌの渾身の拳が振りぬかれた。
「祐巳ちゃん!!」
聖さま、貴方は生きてください。
私は無駄に死にます。
つまり、全ての人生の存在自体は無駄だからです。
その虚無に帰ります。
私は。
命中するオオミツヌの拳。
もちろん、それが与えるダメージなど無いに等しい。
しかし、奇跡が起こった。
放たれた拳はクリティカルな一撃として放たれ、死神は『体勢を崩した』
そうでなければ死んでいただろう。聖さまはさっき、冷気の攻撃を一撃食らって、なんとか生きていた。しかしそれとは比べ物にならない何かを死神はしようとしていた。だがそれも……。
もちろん、総攻撃などしない。走り出す、床を蹴る、体勢を崩した死神の脇を通り抜けた。
その向こうに居た聖さまが怒鳴る。
「なんて無茶をするんだ!祐巳ちゃん!」
「聖さまだけでも助かって欲しくて」
「二度とこんな事はしないって約束して!」
聖さまは凄まじく怒っている。
だが約束など、恐らく何の意味もない。
「善処します」
「祐巳ちゃん」
怖い顔。景さまの病院で見たような。
聖さまが本気で私を心配しているのを感じた。絆。その存在。
だがいまは、それに浸っている場合ではない。2人で走る。
そして私達は、階段前で待っている由乃さんと志摩子さんに辿り着いた。
「早く上へ!」
私達は階段を駆け上がる。タルタロスでは階段を昇りきると、その階段は消える。つまり降りて戻ることは出来ない。階段の形をしている、実際は別の『何か』なのかもしれない。
私達がその階段を駆け上がって危機を脱し、そして上の階で待っていたのは。
スプーキーズだった。
「ようこそ、運命の決闘場へ」
江利子さまの笑顔。
円形の闘技場のような場所、観客席の淵に焚かれている無数のかがり火。
照らされているその中心に、江利子さま、桂さん、そしてもう一人女の子が居た。
一難去って、という奴だ。
「貴方達が来て、加藤がいないってことは、あいつ死んだのね」
江利子さまは何でもないことのように言う。
「私達がやった訳じゃない」
「別に言い訳しなくてもいいのに。聖が殺したって気にしないわよ。どうせ死神でしょ。タルタロスで同じ階に長くとどまるとあれが出てくる。加藤はタルタロスを甘く見すぎてたわ」
「江利子……」
「でもまあ、私はこっちでスプーキーズと合流できたし、問題ないわ」
桂さんも、もう一人の女の子も……いや、見覚えがある子だ。
彼女は確か、二年の立浪繭さんだ。彼女もスプーキーズだというのか?
桂さんが私を睨んだ。
「祐巳さん、悪いけど死んでもらうわ。私、以前に言ったわよね。影時間で会ったら、殺すって」
手に持たれた召還機。
「戦う理由が、ないと思うんだけど」
私の言葉に、江利子さまが首を振る。
「言ったでしょ、タルタロスは運命の『決闘場』だって、この闘技場めいた場所のどこかに、階段があるように見える?」
言われてみれば、階段がない。
「でもここが頂上って訳じゃないわ。ここは負けた人間を炎に変えて閉じ込める決闘場らしいのよ。そして運命の決闘の勝者が、相手を炎に変え、上へ昇る権利を得る……まあ別に炎に変えず、殺してもいい訳だけど」
江利子さまも召還機を抜いている。
「つまり、ここで勝った方が上へ昇れるってこと?」
「さあ?ボスの受け売りだからよくわかんないけどね。ただ私は、祐巳ちゃんたちと戦うのは『面白そう』だと思うわ」
江利子さまの態度は、ただ退屈を避けるという一つの信念にのみ基づいている。
「祐巳さん、あなたを倒して、私は更なる『上昇』への階段を昇るわ」
桂さんは『上昇』への執念と確信において、私達と敵対する。
私は立浪さんを見た。
「立浪さん、よね?どうしてあなたが……」
「初めまして紅薔薇の蕾、とでも挨拶した方がよろしいかしら」
立浪さんもまた、召還機を抜いた。
「紅薔薇の蕾、あなたは平凡な人だったけれど、薔薇の館に行くようになってみるみる変わっていった。『特別』な輝きを身につけるようになった。だから私もそれにならうことにしたんです。『特別』になることだけが人生の目的ですから。『特別な自分』だけが『失望』を乗り越えれると思いませんか?そしてスプーキーズは、私を『特別』にしてくれる」
求められる『特別』な四葉のクローバー。
しかしそれは、ただの自我の肥大に過ぎない。それは私には、失望すべき醜悪さにしか見えなかった。
友好的な関係を築くことは困難だ。
そして彼女達/三人の失望超克者達は、一斉にこめかみに召還機をあてた。
「ベルゼブブ!」
「バエル!」
「へカーテ!」
巨大な蝿、髑髏の巨人の背中から生える悪魔、そして、獅子の顔から耳のように馬の顔が生えた、人間の女性の体を持つペルソナが現れる。初めて見る立浪さんのペルソナ。
四対三、しかし、相手の圧倒的な力を私達は知っている。
もはや逃げ場もなく、死神以上に打つ手のない相手。
死ぬのか?
巨大な蝿の咆哮、世界さえ揺るがしそうな。
バエルの振り上げる四本の腕。
へカーテの振りかぶる鞭。
圧倒的なペルソナのパワーを感じる。勝てる気がしない。
そしてそこへ、突如新たなる声が響いた。
「やれやれ、どうにも下らない事になっているみたいだな」
目を塞ぐ眼帯。
醜い容貌。
くるくると回される召還機。
「浅井さん!」
彼女は不敵に笑っている。
「今はまだ、SEESのような存在が必要だ。加勢させて貰おうか」
浅井さんは私達とスプーキーズの間に立つ。
「助けてくれるの?」
「いいや、私は誰にも属さない。SEESに利用価値があるだけだ」
江利子さまが笑う。
「ボスには止められてたけど、貴方と戦うの、凄く面白そうと思ってたのよね」
「やめておけ。面白半分では、私の『正義』には傷一つつけられんぜ」
くるくると回されていた召還機が、ぴたりと浅井さんのこめかみに当てられた。
彼女は笑ってその引き金を引き、ペルソナの名を呼ぶ。
「ズルワーン」
To be continued