目を開いても閉じても変わらぬ闇の大伽藍に、朱塗りの巨大な柱が幾つもそびえ立っている。

ぼう、と浮かび上がる朱塗りの柱を照らすのは炎の明りのようだが、光源となるべき炎はどこにも見当たらず、ただただ柱と柱の間の無限の闇だけが広がっている。

不意に、闇が喋った。

その声は宇宙の遥か深淵から響き渡るような低さと深みをもって祐巳を飲み込もうとする。

「愚かな人の子よ」

何度も反響する闇の声は、遥か高みから響くようでもあり、地の底から届くようでもあった。

混沌を支配するカオスの頂点、天魔アスラ王の闇からの呼び声だ。

「ロウに与しても未来はない。何故カオスに歯向かう」

祐巳は声のすると思う方向へ向かって剣を抜いて駆け出した。さながら弾丸のような勢いで進む祐巳の足音が大伽藍に響き渡り、燃え盛るヒノカグツチがぎらりと不穏な光を暗闇に放つ。

「何故だと、貴様らは、由乃さんを弄んだ!」

闇は哄笑する。祐巳が切り裂く闇の中に、その姿はない。

「奴は自ら望んで戦い、自ら死んだ。諸行無常、弱肉強食、カオスの理の中で死んだに過ぎず、そしてまた、魂は輪廻するのだ。弄ぶも弄ばないもない」

確かに由乃さんには、己の意思もあった。闇の言うことにも少しは理があるのを、祐巳は認めざるを得ない。

「この宇宙の根源の理は、混沌なのだ。カオスの中に生命の本質が宿る」

その瞬間、周囲の闇に星々が瞬き、巨大な回転する銀河の恒星の光が闇に浮かび上がり、宇宙の誕生の瞬間のカオスから、すべてが滅びさる宇宙の最後の膨張までの光景が、闇の中に絵巻のように浮かび上がり祐巳を飲み込んだ。カオスから始まり、すべてが均質な分子に変化して滅びさる宇宙の歴史、しかしそれも神々から見れば花火の瞬きに過ぎないのだ、と祐巳は理解する。

宇宙の星々の光の渦に巻き込まれた祐巳は方向を見失い、足は踏んでいた筈の床の感触を無くして空を切る。

「見よ、愚かな人の子よ」

そのような宇宙の一大叙事詩の中の、ほんの小さな点に過ぎない小さな星の、更に小さな人々が、灰色の交差点の中で吐き出されるように動き出す。

気づけば祐巳は都会の大交差点の真ん中で、無数の灰色の人々の間で立っていた、多くの人々の表情が暗く、全ては灰色に染まっている。

時計ばかりを気にするスーツ姿の人々、どんなに笑っても心底からは愉しそうではない若者たち、生活に疲れ果てた年かさの女……都会を生きる人々は皆生気の無い目をしていた。

「ロウによる秩序が生み出すものは魂の疲労でしかないのだ。自然の混沌へ帰れ人の子よ」

遂に核の炎が世界を焼き、人々の争いはとどまる事を知らず、世界は汚染されていく。しかし権力や管理と無関係な人々は強かに生き残り、そこには独特の生命の輝きさえ宿るようだった。

「このままロウが勝利すれば、この世界に未来はないのだ」

ふと気づけば、カテドラルを中心とした管理社会に祐巳はおり、メシア教徒以外の全ての人間がスラムにおいやられているディストピアに世界は変化していた。

更にはスラムにいる人々さえ、最後には神の炎により皆殺しにされ、この星さえ破壊して、箱舟に乗った人間だけが生き残る未来が示される。

「これがロウの考える未来だ。人の子よ、カオスに協力するのだ。それが人を真理へとたどり着かせる道となるだろう」

気づけば祐巳は再び闇の中にいて、ただ大伽藍に響き渡る声を聞いていた。駆け出した筈の祐巳は、実際には一歩も動いていなかった。

「なるほど、それがあんたらの言い分か……」

祐巳は召還機をこめかみにあてた。ひやりとした感覚が、意識を呼び覚ますような気がした。

「私はカオスにもロウにも与しない。人の未来は、人の力で切り開く……ペルソナ!」

祐巳からザ・ヒーローのペルソナが現われると、大伽藍を包むアスラ王の幻術を打ち砕いた。たちまち、大伽藍の暗闇の中は巨大な気配に満ち、祐巳はその巨大な闇に向かって跳躍した。

「愚かな……その驕りは死によって報いられるだろう」

「どんなに言いつくろっても、あんたらは由乃さんの心の傷を弄んで利用した。私は、あんたらには与しない!」

「よかろう、それもまたカオスの弱肉強食の理の内にある行動だ。それならば、圧倒的強者に打ちのめされ思い知るがいい」

ヒノカグツチの炎の輝きが闇に潜んでいた巨人、天魔アスラ王を照らし出し、剣がその巨体を一閃する、しかし次の瞬間には、もうそこにアスラ王の姿は無かった。

「何!?」

滑るように背後に回った混沌の王がその六本の腕から光を放ち祐巳を打ち据える、吹き飛ばされた祐巳は朱塗りの柱に激突し、力を失い床へと落下していく。

「どうした人の子、もう終わりか」

祐巳はアスラ王の使った瞬間移動の正体を見極めていた。おそらくは、由乃さんも使っていたアカシャアーツの力……「気」を使うことで指一本動かす事なく移動しているのだ。

そしてアスラ王の使うアカシャアーツは、由乃さんを遥かに上回っている。倒れていた祐巳が瞬時に跳ね上がり、不意打ちに抜刀した瞬間、もうアスラ王の姿は闇の中に消えていた。

大伽藍の闇の中を、音もたてずに移動し、無数の光弾を放ってくるアスラ王に、祐巳が対抗する術がない。

一方的な攻撃を耐え忍びながら、祐巳がアスラ王の気配を探しても、それはとどまることなく移動し、とらえる事が出来ない。

大伽藍の闇は深く、まるで祐巳は闇そのものと敵対しているような気さえした。

万能属性の光弾が再び祐巳を打ち据え、体勢を崩した祐巳に山のような光弾が殺到する、闇を照らす光の爆発が、祐巳に致命の打撃を与えるために巻き起こった。

「カオスの力の前に人間は無力と悟れ」

ふらふらになりながら立ち上がると、祐巳の視界を己の血が赤く染めた。頭部のどこからか出血しているらしい。

闇の中に敵の姿は見えず、また、いつ攻撃が来るのかも分からない。体中を激痛が苛み、常人であれば恐怖に震えだす状況だった。

「無為自然に生きる人間は混沌に帰り、自然と共に生きる事が可能となるだろう・・・文明や、秩序が、世界を腐らせた」

「随分、エコロジーな意見だな、スローライフでも提唱するのか?」

声の位置が特定できない。アスラ王は闇の中を自在に移動している。

「唯一神に真に対抗できるのは同じく神なのだ。イスラムもキリストも同じ神を崇める同根のもの、また多くの、真の意味での悪魔たちも、神の生み出したものに過ぎない。あの明けの明星の堕天使でさえもだ……私がカオスの総帥を務めるのもまた、真に新たな混沌を、仏法の内なる混沌を実現しうるからなのだ」

アスラ王は自らを仏教世界の代表者と見做しているようだった。キリスト教の唱える秩序とは別種の、諸行無常を基盤とする混沌の世界・・・それは今言われている「ロウ」とは別の「秩序」を意味するのだろう。

「来るがいい、運命の人の子よ」

朱塗りの柱を照らす光源が、ゆらりと揺れた。

「共にカオスをもたらさん」

「断る!」

その瞬間、光弾の神罰が祐巳を襲った。なす術もなく吹き飛ばされた祐巳は、大伽藍の床を何度もバウンドして倒れ伏す。血まみれのその姿は、もはや死んでいるのではないかと思えるほどだった。

祐巳はしかし、闇の恐怖に屈さない。痛みや、恐れを超えてなお、戦う意思を失わない。

「これが最後の問いになるだろう。人の子よ、カオスの軍門に下れ」

「お前たちは好きなようにカオスでも何でもお題目を唱えていればいい、だが人間は、秩序も混沌も飲み込んで生きてきた。自然に帰ることは最早できない。たとえこの世界が諸行無常だとしても、私達はこの一瞬を、お前たちから見れば花火よりも短い生命を、己の確信に従って生きるのだ!」

「何も分からず何も持たない愚か者め、望み通り花火のように死ぬがいい」

一際巨大な光がやみの中に現われたかと思うと、それは太陽のように輝く巨大な光弾となって、祐巳めがけて放たれた。

祐巳はここで死ぬのかという諦観に襲われ、ここで死ぬことで多くの挫折する物事について思った。志摩子さんのこと、悪魔たちの侵略のこと、由乃さんのこと、影時間のこと……しかしそれもただ、無に帰る。

宇宙誕生の瞬間の火の玉のような輝きが、やがて祐巳を飲み込む、と思ったその時、不意にその全ての誕生の光を飲み込むほどの圧倒的闇が大伽藍に訪れた。

今まで大伽藍を覆っていた闇などまるで児戯だと言わんばかりの凄まじい暗黒が光弾を飲み込み、後に残るのは今までのただの闇ではなく、人間の精神を蝕み、その内奥にある罪を暴き立てる本物の暗黒だった。

そしてその凄まじい暗黒の支配者として、一人の女が空中で、漆黒の椅子に腰掛けるように傲然として全てを見下していた。

「カオスとやらも、案外くだらないわね」

蝿の羽音が、聞こえる。

闇を圧する、無数の蝿の羽音。

闇を制するのは暗黒の主、罪の支配者、蝿の王。

鳥居江利子だった。

「元気だった?祐巳ちゃん?」

彼女は全ての人間を絶望させる圧倒的暗黒の中で、一人笑った。

 

 

 To be continued

 

 

 

 あとがき

 

 

 

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