竹刀を振り下ろす。

確かな感触。

何も考えない。

竹刀の風を切る音、自分の足音。

静寂と言っても構わないぐらい、かすかな音。

由乃のこと、キリイさんのこと。

考えるな。

竹刀を振り下ろす。

現実逃避?

それでも、これ以外のやり方を知らない。

 

    『支倉令の逡巡 後編』

 

再び、大学に呼ばれた。

今度は、教授に呼ばれた。

私の何が気に入ったのだろう。

大学に行くと、キリイさんに会える。

しかし…

部屋の中を見回す。いつも読んでいる少女小説が、本棚に詰まっている。

あんな可愛い恋愛が出来たらな、と思っていたのは事実だ。

しかし…

玄関のチャイムが鳴った。

最愛の幼馴染の声。

中へ入るよう、部屋から大声で告げた。

 

 

「令ちゃん、あの人のこと好きでしょ」

「分からないな。何のこと?」

「クラモトさん、とかいう人のこと。私わかるもん」

「まさか」

長年の付き合いというのは、厄介なものだな。

「令ちゃんが、私のことを気にしているなら」

「やめてよ。そんなんじゃないんだから」

「だって…」

時計の音だけが、部屋を包む。

カチカチカチカチ。

静寂。

それ以外の音は聞こえない。

カチカチカチカチ。

自分の言葉を反芻する。

やめてよ。そんなんじゃないんだから。

そんなんじゃない、とは?

何が、そんなんじゃないのか?

ねえ、嘘をついて、由乃をあしらって、意味があるのかな。

率直に、迷っていると言う?

私はキリイさんにも惹かれているし、女同士ということに対する不安がどうしても拭えない。永遠に由乃の

騎士であり続けることにある種の不可能性を予感しているし、結局のところ編物や料理や少女小説の好き

な私の内面は、とことん女でしかないんじゃないかとも思っている。と?

言えない。

言えるわけがない。

時計の音だけが響いている。

カチカチカチカチ。

 

 

結局、上手く話すことのできないまま、由乃は帰った。

いつもみたいに、怒り散らして帰らなかったことが、かえって私を、深く傷つけた。

そしてたぶん、由乃はもっともっと傷ついているだろう。

私は、たかだか十代の小娘に過ぎない。

それでも、いまからの選択が、私の一生を決定するものだと予感している。

一生。

まるで、永遠みたいな長さの話だ。

私は、女の子なのか、騎士なのか。

本棚の少女小説は、無言で私を抗議している。

 

 

今度こそ、お姉さまに会えるのだろうと思いながら、教授の部屋に向う。

大学の構内は人影が少なく、よそよそしかった。

歩く人々の中に緑色の眼を探してしまうのは、弱い精神のためだろうか。

教授室まで、まっすぐ歩いていく。

扉を開けると、教授が一人で座っていた。

スチール棚に、机と椅子、イーゼルに書きかけの絵がかかっている。

「来たか…」

「お久しぶりです」

「もうすぐ、キリイ君も来る」

どこか、教授は疲れた様子だった。

「お体、大丈夫ですか?」

「体か…体は、問題はない。しかし、年は取ったな」

教授は虚空を睨んでいる。

「支倉さん、私は、実は、同性愛者だ」

は!?

いきなり!?

なにを!?

「若ければ、それもいい。若さは、醜さを隠してくれる。年をとれば、女性でも平気になるかと思った。しかし

 そうはならなかった。何も残らなかった。相手も、もういない。いまの私は惨めな老人だ。絵さえ描けない」

なんて返答していいか分からない。

答えられるわけがない。

「助手がトリイ・エリコを確保している。キリイを呼ぶためだ。そして君も、キリイを呼ぶためのえさだ」

私は席を立つ。この人は頭がおかしい。

ドアにはいつの間にか鍵がかかっていた。何故か開かない。

「焦らなくても、もうすぐキリイが来る。あいつは私や助手を殺しに来る」

「何が目的です」

「大したことじゃない。君もトリイさんも、怪我はしない」

「どういうつもりなんですか」

「私はね、疲れたんだ。そして絶望している。もう、これから先はない」

「あなたは、同性愛者だから希望がないというつもりなんですか、それは」

「そういうつもりはない、私に希望がないのは、私個人の問題だ。しかしそれは、同性愛と全く無関係という

 訳にはいかないだろう。違うか」

分からない。

「全てが綺麗に理想通りにいく訳ではない」

「ご明察ですね」

いきなりドアが開いた。緑色の眼。

「トリイさんはこちらで確保しました。あなたは、おしまいです」

「だろうな。とっくの昔にお終いだった」

私には、状況がわからない。

「どういうことですか」

キリイさんの緑色の眼が、私を見る。

「教授は、前の助手を殺している。他にも幾つかの不正や犯罪に加担していた。私はそれを調べていたん

 だ。君や、トリイさんに接触する計画も持っていた」

「なぜ、私やお姉さまに」

「君にはそれを知る権利がない。残念だけど」

唐突だった。

なにか、嘘があるような気もするが、それがなんなのかさえ分からない。

教授が顔を抑えた。

「前の助手は、私を拒絶した。当然だ。まともな人間ならそうする。支倉さん、私はね。その助手に抱かれ

 たかったんだ。このよぼよぼの、皺だらけの老人がだよ。誰がこんな醜いものを抱ける。誰がその救い

 ようのない醜さに耐えられる?出て行ってくれ。もう私の除名処分は終わっただろう」

「終わりました」

「一人にしてくれ」

キリイさんが出て行く。

何かかけるべき言葉があるんだろうか。

私は何か言おうと思ったけれど、穴の開いた風船みたいに、私の中から言葉は失われていった。

何もいえない。

だから、一礼して退室した。

閉めた扉の向こうで、乾いた銃声がした。

 

キャンパスをキリイさんと歩く。

「なんだったんですか」

「教授は哀れな犯罪者だった。そう思ってくれればいい」

「あなたは、何者ですか」

無言で名刺をくれた。

内閣特別調査室 調査官 蔵本霧亥と書かれている。

物凄く嘘臭かったし、嘘だと思ったけれど言わない。

「私に近づいたのも、この、調査と関係がありますね?」

「否定はしない。しかし、私は殆ど嘘は言わなかった」

何も喋らずに、私達は校門まで歩いた。

別れ際に、何故かキリイさんはこう言った。

「君は私の、死んでしまった恋人に似ている」

と。

 

 

家に帰ると、妙な雰囲気があった。

いつもと違う空気。

空き巣?

何かがおかしい。

道場の方だ。

私は、父が飾っている真剣を持つ。重い。

道場へ走る。

戸を開けると、助手だった人がいた。

由乃が縛られている。

「あなたは」

「教授は死んだだろう」

何も言えない。

「別にそれほど、恩義があるわけでもない」

助手は、スーツ姿で、そのポケットから金属の塊を出した。それは銃に見える。

「しかし、自分の中でのけじめというものはある」

私に銃を向ける。

「動くなよ、キリイが来るための餌だ。あいつに一矢報いないことには、納まらない。あいつが教授を殺した

 ようなものだ」

どうする?

とてもじゃないが、銃を向けられた状態では動けない。

「あんたを撃ち殺せば、キリイも悔やむかもな」

助手の言葉には、感情の起伏のようなものがない。

機械の合成音声のように、感情が排されている。

どうする?

柄は握っている。

居合?

できるか?

引き金を引くより早く、相手の腕を切れるか?

この距離なら、刀は届く、それは分かる。

しかし…

父の言葉を思い出す。

(平常心を保て)

で き る か な?

(疑念は即ち失敗に通ず)

はいはい、わかってますよ、お父様。

縛られている由乃が、体当たりしようとしている。

分かっている。タイミングとしてはそれしかない。

由乃!

「令ちゃん!」

声が聞こえた気がした。

由乃が助手にぶつかる。

一瞬の隙。

全てがこの一瞬にかかる。

何万回とした素振りや、訓練や鍛錬が、この瞬間にかかっている。

刀が鞘の中を走る。銃弾よりも早く。

刃の煌き。

ただ無心に…

 

 

 

                         振りぬく!!

 

 

 

カアンという金属音が響く。

道場の上を銃が滑って転がっていく。

助手の手から血が吹き上がった、道場の床を濡らす。

居合切り。剣道の技術じゃないけど、練習しといて良かった。

「うううっ!」

助手がうめく。道場にかけてあった木刀を取り、思いっきり面に打ち込んだ。たまらず助手が倒れる。

更に胴を打ち、篭手を打ち、足を打つ。

足を打ったときにちょっとまずい手ごたえがあったので、由乃の縄をとこう、たぶん骨を折った。もう動けない

から安全だろうとは思う。

「令ちゃん!」

由乃が私の胸に飛び込んでくる。

「怖かったね」

よしよし。

そのとき、ふと、やはり私は、由乃を愛しているな、と思った。

それは揺るぐことのない確信だった。

雷に打たれるように、確信したのだ。

そういうものが長く続くとは限らないのは知っている。

しかし、私には由乃しかないのだ。そう信じる。信じて貫く。

誰かが玄関のチャイムを鳴らしているけど、出ない。

いまは由乃と抱き合っていたいから。

足音がする。こっちへ向ってくる。

それは予想通り、キリイさんだった。

「無事ですか」

「ええ、見ての通りです」

私達は抱き合ったままだ。

「大したものだ」

とキリイさんは寝転がっている助手を見ながら言った。

「私がこいつについては手続きします、心配はいりません」

キリイさんの部下らしき、スーツの人たちが来て助手を運んでいった。

その中の一人は、雑巾で床を拭いてくれた、少し滑稽な情景だった。

「支倉さん、今でなくてもいいんですが、私を手伝ってくれませんか?」

とキリイさんは言った。

「手伝う?何をするんですか?」

「いや、もう、ハッキリ言いましょう。私と付き合ってくれないですか?」

そう。

信じられない。

私はそれを夢想さえしていた。

大人の男の人が私を相手する訳がない、と自分を納得させようとしていた。

それで諦めて自分の気持ちから逃げてしまおうと思っていた。

いま、その人が、私に好意を示してくれている。

由乃が上目使いに私を見ている。

どうする?

 

私は、どのように生きるのか。

 

(好きな人には、告白すべきだと思うか?)

(令ちゃんが、私のことを気にしているなら)

(君は私の、死んでしまった恋人に似ている)

 

私は、ハッキリと言った。

 

「私が愛するのは、島津由乃ただ一人だけです」

 

「令ちゃん!!」

由乃が更に抱きついてくる。

キリイさんが背を向けて道場を出て行く。

「あなたの未来が、幸福なものであることを祈ります」

「…すいません」

「いえ、いいんです。ただ、あなたは、あなたの肉体が女性であることからは、逃れられない」

頭を撃ちぬいた孤独な老人が居た。

「それはいつかあなたに襲い掛かってくる。現実という名で」

「分かっています」

「未練なことを言ってすいませんでした」

キリイさんも、部下の人も、みんな去っていった。

私と由乃だけが残された。

抱き合って、額にくちづけ、目を閉じる。

静かだった。時計の音さえない。

まるでこの世界に二人だけしかいないみたいだった。

 

                       

私は本を紐で縛ってゴミ捨て場へ持っていく。

本棚は空になった。

全ての少女小説を捨てる。

代わりにいったい、どのような本を買うのかは、まだ決めてはいない。

結局、また少女小説になるのかも知れないけれど。

それと、新しく額縁を買い、絵を飾ることにした。

死ぬ前に、教授は私宛に絵を送っていたのだ。

気味が悪いだろうから捨ててくれ、と添えられた手紙には書いてある。

しかし捨てない。捨てさせるためだけに、私に送ってくるわけがない。

だからそれは私の部屋に飾られている。

かつて存在した孤独な魂の証として。

 

                                                      了

 

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あとがき

マ ジ で す い ま せ ん!!!!!!

新しくサイト出来て書いた奴には、基本的にあとがきつけてないんですが、これはちょっと余りにも

あまりなので、あとがき書いてしまいます。

なんというのか、マジで、全然、書けなかった。

もうほんと、言い訳のためにあとがきつけてる訳です。

もうマジですいません。

ほんとすいません。

うまれてきてすいません。

では…(切腹)