星をみたいわけじゃなかった
<前編>
『薔薇色の人生などないということ』
薔薇の館に行くと、ユミちゃんが泣いていた。
私は、大した用事もないのに、ここに来た。
私はもう、ここにいるべき人間ではないけれど、どこかに居るべき場所がある訳でもなかった。
だから、ここに来たのだろう。
「ユミちゃん、どうしたの?」
と私が言うと、彼女はその小さな体を震わせて「すいません、何でもないんです」と言った。
いったい、何を私に謝っているんだろうか。
泣いていること?それとも、質問に答えられないこと?
それらは全て、彼女が気にするべきことではなかった。
サチコと喧嘩でもしたんだろうか。
私も、少し悲しいことがあって、気持ちが沈んでいた。
だからこそ、こんなところにフラフラと来てしまった。この嫌な気分を変えたかった。
「ユミちゃん、ドライブに行こうか」
と私は思いつきで言う。
「え?」
「私、行きたいところがあるんだ」
そんなところはなかった。
正確には、ここでなければどこでも良かった。
私はたぶん、どこへも行けない。
ユミちゃんは暫く迷っていたけれど、私が強く誘うと頷いてついてきた。
校門の近くに泊めた緑のプリウスのドアを開け、ユミちゃんを助手席に乗せた。
後部座席には、読みかけの本と、薔薇の花弁が残っていた。
『車で行けるところに、本当に行きたいところがあるのだろうか』
車は快調に走り出した。
助手席で、最初ユミちゃんは黙っていたけれど、私がドリフトしたりスピンターンしたりすると大きな声をあげはじめ、元気になったと私は安心した。
何故か顔が青いけど。
「お願いです!お願いですからやめて下さい白薔薇さま!」
「元だよ元、元白薔薇!」
「で、でも」
「愛しい人って呼んでよ」
「呼びません!」
私は運転を普通に戻し、一応の安全運転を心がけた。
「どこへ向かってるんですか?」
と首を傾げるユミちゃん、仕草のいちいちが可愛い子だ。
「そんなの私が知りたいよ」
「え、考えてないんですか」
「もー、いいじゃんユミちゃん、私とどこかへ行けたら、それだけで満足じゃない?」
「自意識過剰ですよ」
「つれないなあ、ハンドル持ってるから抱きしめられないし」
「やめてください」
そろそろ巫山戯るのをやめて、真剣に行き先を考えなければいけない頃だ。これ以上適当に車を走らせ続ければ、東北地方に行きつくのは目に見えている。
「プラネタリウムへ行こうか」
「え、いいですけど?」
「星を見たくなったんだ」
「すごいセリフですけど、白薔薇さまが言うと違和感なくて、それが更に凄いですね」
「星さえ見えれば、山でも東北地方でも、何でもいいんだけどね」
「東北地方だけはやめてください、遠すぎます」
「東北地方にユミちゃんと一泊、サチコ怒るだろうなあ」
サチコの名前を出した瞬間、ユミちゃんは辛そうな顔をした。やはり、サチコ絡みだったのだろう。
サチコ絡み以外で、ユミちゃんがあんなに悲しそうになることはない。私はそう思っている。
「ほんとに泊まる?それがいいなら、そうするよ」
ユミちゃんが首を振る。
そうか、何も言うまい。
本当は、プラネタリウムに行きたい訳ではなかった。
星を見たい訳でもなかった。
ただ、ユミちゃんの悲しみをもしも癒せれば、私自身も少しは明るい気分になれるかもしれない、と今は思う。
「できるだけ遠くに行こう、そういう気分なんだけど、私は。ユミちゃんは、嫌かな?」
「いえ」
これで決定だ。
車は遠くへ向けて、高速道路に入った。
『コーヒーへのこだわり、上手い缶コーヒーについて』
自分が行き当たりばったりであるとは、前から認識してはいた。
私は以前見た、マイナーな雑誌に小さく紹介されていたプラネタリウムに、いい加減な記憶だけをもとに行こうとしている。
そんなあやふやなもので、高速道路にまで入ってしまう。
痛快じゃないか?
私は、気分がいい。
でも、ユミちゃんは違うかも知れないな、と思ったので言わないでおく、いかにも行き先を知ってるように自信満々で運転しよう。
「まだ先は長いし、インターチェンジで休憩しようか?」
などと、いかにも行き先を分かってる風な口を利く。
これで迷ったら迷ったで、それもいい思い出だ、とはユミちゃんは思わないだろうなあ…
私は楽しいんだけれど。
インターチェンジに車を止めて、トイレ休憩にした。
ついつい売店なんかを覗いてしまうが、買うのはやめておこう、
高速道路のインターチェンジの中には、妙に土産もの屋っぽいところがあって、私はそういうのが好きなのでつい買ってしまう。
意識を珍しいポッキーから振り払い、コーヒーを買おうと思って自販機を見に行く。
ユミちゃんが居た。
「あ、白薔薇さま、車どこだったか分かんなくなっちゃって」
などと言って可愛い表情を見せる。
「元、元白薔薇、なにか別な風に呼んでよ、マイラバーとか」
「呼びませんって、それより、飲み物買われるんですか?」
「うん、おごるよ、なにがいい?」
ユミちゃんの目はオレンジジュースや紅茶の辺りを行き来する。迷った末、私の方を見た。
「聖さまは、何にされるんですか?」
「う〜ん、そこに落ち着いたか」
「え、なにがです?」
「呼び方、もっと愛のある呼び方がいいんだけど、口づけまでした仲なのに」
「その話をしたら怒りますよ」
ちょっと本気っぽかった。それもまた可愛いけど、これ以上からかうのはやめておこう。
「私ね、コーヒーにはこだわりがあるのよ」
「あ、それ、前から思ってました」
「分かる?やっぱり、私のことを熱い視線で見ててくれたんだ」
「普通に見てれば分かります」
「そうかな?でね、私、缶コーヒーは本当はあんまり好きじゃないんだけど… それでも、コーヒーへのこだわりを貫き通すには、
ありとあらゆる缶コーヒーを全て飲み尽くして比較検討する必要があると思ったわけよ」
「け、検討したんですか」
「うん、した。もう二度と缶コーヒーは飲みたくないっていうぐらいした。これがまた思ったより多いのよ缶コーヒーの種類。糖尿病になるかと思った」
「何でそこまでするんですか」
「そこに缶コーヒーがあるから。それでね、まず、砂糖が入ってるコーヒーは駄目。 缶コーヒーは糖分多いんだ、これが。
だから絶対にブラック、まあ、普通のコーヒーでも私ブラックだけどね」
「私、苦いの駄目なんですよ」
「でも、缶コーヒーの糖分入ったやつは太るよ〜、せめて微糖にしなさいね。そしてブラックの缶コーヒーを飲み比べた結果!」
「結果?」
「腹を下した」
「そんなこと聞いてません」
「いや、でも、体調悪くするよ。あと、缶コーヒーの味なんかどうでもいいな、と思った」
「今までの話全部無意味じゃないですか!」
「時には無駄なこともしなきゃね。えい」
私は適当にブラックの缶コーヒーを選んだ。
「それじゃユミちゃん、おごってあげる代わりにコーヒーしか買っちゃ駄目だよ」
「え?え?」
「さあ、どうするどうする」
百面相するユミちゃん、全くもって可愛いとしか言いようがない。
「ええ〜〜〜っと、ええい!」
ユミちゃんが迷いに迷った末えらんだのは
牛乳屋さんのコーヒーだった。
『嘘で塗り固めなければ傷ついてしまう、ということ』
「それにしても、ぷっ、牛乳屋さんの、ぷっ」
「もう!いいじゃないですか!わざと意地悪してるでしょう」
「いや、だって、可愛いなあ、普通あれだけ言われたら甘いものにはしないよ」
「苦いの駄目だって言ってるじゃないですか」
「ミルクと砂糖がたっぷり入りました、福沢祐巳です」
「変なキャッチコピーつけないで下さい!」
ああ、ちょっと楽しくなってきた。
ようやく、エンジンがかかってきたというところか。
私は、少し、そのことを思い出す。
大学に入ってから知り合った友達だった。
この結果は、仕方のないものだった。
そう思うしか、ない。
「どうしたんです?聖さま」
「何でもないよ」
「いつもと、違うと思います」
勘の良い子だ。
「ユミちゃんだって、いつもとは違ったよ」
「私は…」
「サチコのこと?」
ユミちゃんは答えない。
「聖さまは…」
続きを待った。
ユミちゃんは何も言わない。
車内の沈黙は、何かが訪れるのを待つようにひっそりとしていた。
私は沈黙を破る。
「何かな、ユミちゃん」
ユミちゃんは、私の方を見た。
「聖さまは、自分のことはおっしゃられないんですね」
「そんなことはないよ。缶コーヒーの話、したじゃない、あれは超個人的なことだよ」
「大切なことは、という意味です」
「缶コーヒーの方が大切さ」
「聖さまが言いたくないなら、いいんです。
でも、私ばっかり、いつも助けてもらって、力になりたくて…」
ユミちゃんの声はみるみる小さくなっていった。
私は、ユミちゃんを抱きしめてやりたかったので、ハンドルから片手を離して、ユミちゃんを抱きしめた。
「いいんだよ、そんなこと気にしなくて、ユミちゃんは、そうしているだけで他人に力をくれる子だよ。
どうしても聞きたいなら言うけど、私の親しかった親戚が死んでね。葬式が終わってブルーになってただけ、大したことじゃないんだ」
それは嘘だった。
親戚は別に死んでいない。
まるで中学生のサボりの言い訳みたいで実に嫌な嘘だったが、私はユミちゃんに私の状況をうまく説明できる自信がなかった。
もっと言えば、誰にも説明できる自信はなかった。
「それは、大したことですよ」
とユミちゃんは私を信じてくれる、何故か胸が痛んだ。
「いいんだよ、気分転換すれば、いつもの白薔薇さまに戻るから」
「でも…」
「私のはもう終わったことなんだ、ユミちゃんはこれからのことでしょう。その方が大切だ」
これは、本当のことだった。
私のことは全て終わってしまっていて、もう取り返せない。
ユミちゃんが言う。
「私…サチコさまに嫌われたかも…」
そんなことは有り得ない。
まったく、この姉妹は、まだそんなことを言ってるのか。
何でそんな可能性が万に一つもないことが、当事者には分からないのだろうか。
「何があったの?」
「すいません、今は、まだ…」
ユミちゃんは辛そうにした。
「ごめん、無理に言わせようって訳じゃないんだ。私で力になれたらって、思って」
「そんな、聖さまは、いつも私を助けてくれてます」
「なんか、さっきも似たような会話、したよね」
「え?あっ」
「なにやってるんだろうね、お互い、助けて貰ってるって言い合って、なんだか、おかしくない?」
私は微笑した。ユミちゃんが何故か顔を赤らめる。
「これからも、もちつもたれついきましょうか」
私は片手運転のまま、彼女を抱きしめる腕の力を強くした。
「きゃ、やめてください〜」
ユミちゃんがジタバタする。可愛いなあ。
私は嘘をついて、ユミちゃんからは本当のことを聞く。
私は卑怯者だ。
きっと、何もかもをさらけ出してしまったら、生きていけないような弱い人間なんだと思う、私は。
ユミちゃんは、隠すべきものを持たない。
だから、みんな彼女のことが好きになるんだろう。
ほんの些細な感情も、他人に読みとられるのが嫌な、そういう弱さが、この世界にはある。
嘘で塗り固めなければ、傷ついてしまうということ。
それでいて、嘘であると見抜いてくれなければ、きっと信じあうことができない。
ユミちゃんにだけは、そういう嘘も、見抜いてもらいたい気持ちも、何も必要ではなくなる。
私は、ユミちゃんみたいになれはしないけど、少し……憧れた。