星をみたいわけじゃなかった
<後編>
〜第4話〜
『果たされない約束』
「サトウさん、プラネタリウム好き?」
と彼女は小さな声で呟くように言った。
彼女は私にプラネタリウムの素晴らしさをひねくれた表現で語り、最後には捨てられた子犬のような目で、私と一緒に行きたいと訴えた。
彼女がどこのプラネタリウムに行く気だったのかは覚えていない。
一緒に星をみましょう、と言った彼女の表情は明るくて、何だか眩しかったのを覚えている。
でも、その約束は果たされなかった。
星を見たいな、とユミちゃんに言ったのは、それが理由なんだと思う。
ユミちゃんを彼女の代わりにして?
彼女とは、普通の友達として親しかった。
友達にランクをつけるなんて、人間性を疑われるかも知れないけれど、それでもユミちゃんの方が、私の中では彼女よりずっとずっと大切な人だと思う。
それなのに、何故、私はユミちゃんを彼女の代わりみたいにしているのだろう。
きっと、私が弱いから、こうなってしまったんだと思う。
それでも、私は、プラネタリウムで誰かと星を見なければ、彼女との事に区切りをつけられない。
巻き込まれたユミちゃんはいい迷惑だよな。
車を降りた私達は、郊外と呼んで良いひっそりとした、森へと抜ける道を歩いていた。
私の脳内地図が、この光景があるということは正しい、と全力で主張している。
少しだけ、この先は山になっている筈だ。
「ユミちゃん、疲れた?」
「いいえ?」
ユミちゃんは不思議そうな顔をした。
確かに、平坦な道を少し歩いただけだから、疲れる理由はない。
「いや、ずっと車で座ってたでしょ、それでいきなり歩きだから」
「それは、聖さまも同じじゃないですか」
「まあね」
ユミちゃんは、本当に私とプラネタリウムなんか行っていいんだろうか。
いや、今更後悔するまい。
これで、いいんだ。全て、何とかなる。
果たされなかった約束は、ユミちゃんとの絆に変える、そうしてみせる。
私は、少し荒い息を吐いた。
『手紙を燃やそう』
授業中に、手紙を回したことはないだろうか?
たいていは、どうでもいい内容だけど、その時はとても伝えたいこと。
それが手紙として回ってくる。私は、部屋に、幾つか彼女の手紙を保管している。
本当にどうでもいい、はなわの歌はガッツが面白いだけじゃないかとか、そういうレベルの、心底どうでもいい話が回ってくる。
でも、それが心地いいのだし、何も間違っていないと断言できる。
しかし、もうその手紙が回ってくることはない。
「ユミちゃん、交換日記したら?」
「え?」
「サチコと」
「む、難しいですよ」
「意外と、文章だと本音が言えたりするものだけどね。
たとえば、サチコがユミちゃんを叱った日に回ってくる日記には、絶対に謝りの言葉が書いてあると思うな」
「うー、でも」
「ユミちゃんの方から、交換日記したいです、って言って、断られるなんて有り得ないと思うよ」
ユミちゃんの表情がコロコロと変わる。
もし交換日記ができたらどんなにいいだろう、とか、今時交換日記か、とか、サチコさまにもっと近づけるかも、とかそんなことを考えているのだろう。
「まあ、無理強いするような話じゃないから」
一通だけ、彼女が真面目な手紙を寄越したことがある。
例の男への想いが綴られていて、私に相談してきた。
それで、私は彼女が真剣なのを知った。
その手紙は今でも家にある。でも、捨ててしまおう。
ライターで火をつけて、アパートの庭で灰になるまで、日差しの中を立ち続けるのだ。
そして昇っていく煙を見ながら、物思いに耽る。
前からそうしようと思っていたのに、できなかったのは、区切りがつけられなかったからなんだと思う。
プラネタリウムにさえ行けば、きっとできる。
私は、強く地面を踏みしめた。
『指先が指し示すもの』
色々なことを、地面を踏みしめるたび思い出す。
「人を好きになるなんて、大したことじゃないよ」とそいつは言った。
そいつは、毎日毎日人に好きだと告白されて、それを断る職業の話をした。
要するに精神科医の話だった。
転移と呼ばれる現象がどうたら、教育分析がどうたら言っていたが、要点は簡単だった。
世の中には、毎日好きだと告白されてそれを断る職業がある。ということだ。
そんな世界では、人に好きになられて、それを断るなんてことは大したことではない。
いや、人が人を好きになること自体、大したことではない。
そういうようなことを、そいつは言った。「でも、お前精神科医じゃないじゃん」と私は言う。
そいつは、「僕は精神科医ではないけど、人の好意に応えられる立場にない、それは職業的倫理だ」、と言った。
心底、むかついた。
自分が彼女と付き合わない理由を、職業のせいにするべきではない。
彼女の本気の愛にそいつが応えないのは、そいつ自身の問題の筈だ。
その責任を、職業だの何だの、別のもののせいにするんじゃねえ、と叫びかけた。
でも、たぶん、何を言っても無駄なのだろう。
それを言ったところで、そいつが彼女を愛するようになる訳ではない。
私はそういう風に、ますますそいつの事が嫌いになった。
道の途中に、古そうな教会が見える。
「あ、お聖堂」
「へえ、こんなとこにね。時間あるし、覗く?」
「いえ、帰りにしましょう、ほら」
教会の周りに集まる人達が、時間を気にしながらソワソワしていた。
「結婚式みたいですね」
「プラネタリウム帰りに、丁度式がやってたらいいなあ、別に中に入れる訳じゃないけど、ブーケ投げるとことか見たいな」
「受け取っちゃったりして」
「結婚相手はユミちゃんだね」
「私、女の子ですよ」
「愛があれば大丈夫さ〜」ユミちゃんを抱きしめる。
「もう、何度セクハラするんですか」
「何度でも、ずっと」
そうだ。
何度でも、ずっと、ユミちゃんのことを想う。
何度でも、ずっと、ユミちゃんを抱きしめる。
何度でも、ずっと、私は人を愛するし、人が人を好きになることは大変なことだと信じる。
そうじゃないか?
それが、間違ったことだなんて、絶対に絶対に思えない。
私は、だから何があろうと愛を信じる。
それは、揺らぐことのない信念なのだと思う。
「彼は、とても綺麗な指先をしているよね」と彼女が言ったことがある。
彼女は、指先とかそういうのに、性的魅力を感じるタイプの人間だった節はあった。
でもあいつは、その綺麗な指先で、たぶん多くの人間を傷つけて生きていく。そういう人間だ。
「僕は、ほんの些細な僕の利益のために生きているだけだよ」とそいつは言った。
そして私はそいつが何回か、とても酷薄に人を傷つけるのを見たことがある。
彼女も、そうして、あいつに傷つけられた無数の人間の列に加わってしまった。
あいつの指先は、いつも空を差している。
まるで、そこしか目指すべき場所がないみたいに。
だから、他人の愛も自分への愛もこの世界への愛も振り捨てて、ただただ間違った場所にすぎないこの場所から出ようと、あいつはいつももがいているのだ。
でも、あいつの指先が指し示す場所には実はなにもない。
あいつだけが、それに気づいていないのだ。
まるで、シオリに会う前の私のように。
私は、いつかあいつの指先が、シオリに出会うことによって変われた私のように、自分が生きているこの場所を指し示すように祈ってやまない。
それはあいつのためではなく、あいつに傷つけられた無数の人間のためであり、そして、彼女のためなのだ。
私の指先は、今この場所を、そしてユミちゃんを指し示している。
『リボンを結べるささやかな強さについて』
もうすぐ、プラネタリウムだ、と私は思った。
物思いにふけって歩みの遅くなった私を追い抜き、ユミちゃんが私の前を行く。
目の前でリボンが揺れていた。
ユミちゃんの髪は、ふわふわと木漏れ日の中で気持ちよさそうにしている。
「ユミちゃん」
「なんですか?」
「ちょっと、触らせて」
「もう触ってるじゃないですか」
確かに、言い終わる前に私はユミちゃんの髪に触れていた。
思わずリボンをほどいてしまう。
私は、リボンなんか似合わないだろうな。
付けたいとも思わない。
むしろ、あいつの方が似合うくらいだ。
そいつは、男の癖にリボンが似合いそうな奴だった。
上手く表現できないが、きっと、違和感なくあいつの髪にリボンはおさまる。
まるで、はめられるのを待つジグソーパズルみたいに、しっくりとおさまるだろう。
あいつはそういう外見の弱弱しさを埋めるように、弱さや繊細さや甘えを自分に許さないようだった。
「僕は、繊細さや純粋さを、全く評価しない」とあいつは言った。
でも、それはただ、無理をしているように私には見えた。
自分の殻に閉じこもり、他人を拒絶することが、ずっとずっとうまくなって、まるで拒絶していないように見えるほど成長した人間だった、そいつは。
それは、シオリともし私が出会わなかったら、私もなっていたかも知れない道だ。
昔の、間違っていたと思える頃の自分に似ている人間を、果たして人は好感をもって迎えられるのだろうか?
人間は、自分に似ている人間を嫌悪するというけれど、私にとって、あいつが丁度そういう存在なのだと思う。
「愛情に、そんなに価値があるのかな?」とあいつは言った。
今なら、はっきりと返答できるのにな、と思う。
リボンをした自分を周囲に見せられるような強さを、とうとうあいつは手に入れられなかったのだろう。
私はふざけて、ユミちゃんのリボンをしてみる。
「どう?」
「よく似合いますけど、返してください」
「似合うなんて、嘘ばっかりだな、ユミちゃん。私はリボンは似合わないよ」
「そうですか?ちゃんとリボンに合わせた髪形にしたら、似合うと思いますよ」
「じゃあ、このリボンもらっちゃおうかな」
「駄目です、それはサチコさまが、あっ」
「へー、サチコがねー、愛されてるね、ユミちゃん」
私はリボンをユミちゃんに返してあげる。
サチコの名前が出ても、ユミちゃんはもう悲しそうな表情はしない。
それは、とても素敵な強さだと思う、
私も、リボンなんかは結べない。
私も、リボンをした自分を周囲に見せられる強さは得られなかった。
でも、代わりにユミちゃんがいる。そういう風に、人は繋がっていくんじゃないかと思う。
「私が結んであげよう」
私は私の手で、ユミちゃんの髪にリボンを結んであげて、心の底から、それがユミちゃんに似合っているなと思った。
それは、私にも、あいつにも、手に入れることができなかった強さだ。