福沢祐巳の童心
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第一話
お姉さまに怒られた。
それはいつものヒステリーなのかも知れないけど、私の心にはグサリと刺さった。
ヨシノさんは「よくあんな我が儘に耐えられるわね」と言っていたけど、あなたも結構我が儘です。
レイさまも結構呆れ気味だったけれど「サチコはユミちゃんが好きだからああ言うんだよ」と慰めてくれた。
でも、私は、私がサチコさまに相応しい妹に、まだなれていないから怒られたんだと思う。
そう思いたい。
ユミは、これから頑張ります。
家に帰ったら郵便受けにビデオテープが入っていた。
「お父さん、こんなの入ってたよ」
お父さんにそのことを告げると、お母さんが疑わしそうな目を向けた。
「あなた、何かいかがわしいものを注文したんじゃないでしょうね」
「馬鹿なことを言うなよ、なんなら今からみんなで見てもいいぐらいだ」
と言ってお父さんはしげしげとビデオテープを見て、首を傾げた。
「あれ、なんか変だな、このビデオテープ」
お父さんはしばらくそれを調べて、一つの結論を出した。
「うん、これはVHSではない、ベータだ」
「なにそれ」
「知らないのかユミ、ベータというのはかつてソニーが開発した不遇の映像記録システムだ。 画質自体は決して負けていなかったにも関わらず、当時の」
「はい、そこまで、そんなマニアックな話はどうでもいいから」
お母さんがちゃんとお父さんを遮ってくれた。
「ユミ、明日も学校あるでしょう、こんなどうでもいいもののことは気にせず寝なさい」
「はーい。でも、気になるね、それ、気持ち悪いし」
「捨ててしまおうかしら」
「何を馬鹿な、ベータはこれからより貴重になっていく、それはまさしく宝とさえ」
「あなたは黙ってて」
「あ、知り合いにそういうの詳しそうな子がいるし、聞いてみようか」
お母さんは思案顔になった。
「何かの悪戯かも知れないし、そこまでしなくても」
お母さんはそういうけれど、私はそのビデオの中身が気になりはじめていた。
「なんか見ないと気になるし、明日、学校に持っていってみる」
この日は、何事もなく眠った。
次の日、私はツタコさんにベータを持ってないか聞いてみた。
「ベータぁ?そんなの、持ってないわよ、どうして?」
「うん、実はね…」
私はツタコさんに事情を説明する。
「ふうん、それでユミさんは、私がベータを持ってると思ったんだ」
「うん?そうだけど」
「私って、そんなにマニアックに見えるかな、まあ、見える気もするけど」
「え、何?なんで?」
「あらら、ユミさんはベータのマニアックさを知らないんだ。
あのね、あれを今どき持ってるとしたら、結構なマニアだと思うわよ。
偏見かも知れないけど」
「え〜、じゃあ、このビデオ見れないの?」
「う〜ん、今どきベータを持ってそうな子かあ…リリアンにはいない気がするけど」
「全く思いつかない?ツタコさん?」
「真っ先に思いつくのは、新聞部、根拠はないけど。あとは…意外なところで紅薔薇さまかな」
「サチコさま?」
サチコさまのどこをどうしたら、マニアックなんて発想が出て来るんだろう?
「お金持ちだから、何でも持ってるかも知れない、と思ったから」
「ああ、なるほど」
マニアックな訳じゃなかったんだ。何だか安心。
サチコさまに変なイメージを持たれていたら、私まで嫌な気分になる。
だって、祥子さまは高潔な薔薇なんだから。
「ちょっと、ユミさん、顔顔」
「え?」
「百面相してたよ、もうシャッター切っちゃったけど、題して、惚ける紅薔薇のつぼみ」
「やめてよね、その写真、公表禁止」
「ちぇ、なかなかいい写真だったのに」
とりあえずツタコさんに聞けるのはここまでだろう。
新聞部には余り聞きたくないなあ。
かと言って祥子さまに聞くのも気がひける。
どうしよう?
「で、私なわけ」
放課後の薔薇の館で不機嫌そうにヨシノさんは言った。
「ごめん、ヨシノさん、ベータ持ってない?」
「持ってる訳ないでしょ、今どきそんなもの持ってる人、この地球上にはいないわよ」
それはちょっと言い過ぎだと思ったけれど、私はあえて反論しないでおく。
「じゃあ、誰なら持ってると思う?」
「レイちゃんは持ってないし…リリアンにはいないんじゃない?」
ありゃりゃ、ツタコさんと同じ結論だ。
「ユミさん、弟さんが花寺に通っているんだし、花寺で聞いた方がいいんじゃない?」
「え?ユーキ?」
「男の人の方が詳しいんじゃない?そういうの?」
「ええ?そうかなあ、なんで?」
「そんなの、私も分からないわよ、ずっとリリアンだったんだから」
「う〜」
「あ、そうだ、サチコさまなら持ってるかも」
「お金持ちだから?」
「そう、今日のユミさん冴えてるわね」
そりゃ、さっき同じ推論を聞かされてましたから、とはあえて言わない。
だって、せっかく賢いイメージを与えられたんだもの。
わざわざ賢くないことをバラしたくない乙女心でした、まる。
階段を上がってくる足音がして、レイさまが入ってきてベータの話は終わった。
新聞部に行こうと思った。
だって、ミナコさまならともかく、マミさんならベータのあるなしぐらい聞いても大丈夫だよね?
たぶん。
新聞部に入ると、なぜかザワザワしていたのが静まり、みんな私の方を見た。
「どうしたんですか、紅薔薇のつぼみ!」
マミさんが駆け寄ってくる。
「い、いえ、大した用件じゃないんだけど…気にせずに、みんな作業を続けてね?」
とりあえず笑顔を振り撒いて場を納めようとしてみる。
「ちょ!なにするんですか紅薔薇のつぼみ!そんなことしたらこいつらは頭沸いてしまいます」
マミさんに引きずられて、私は新聞部から出た。
「ベータ、ですか」
「そう、ベータ、なの」
マミさんはなんだか嫌そうな顔をした。
「それを持っている人を、私は一人知っています」
「本当!」
「そんなに目をキラキラさせないでください。
その人は、紅薔薇のつぼみも良く知っている方です」
「誰?」
「ツキヤマ・ミナコさまです」
ああ、なるほど。
ううん、卒業されてるしなあ。
でも、卒業されてるからこそ、余計なことを書かれずに済むかも。
「ミナコさま、どこに住んでるのか、マミさん分かる?」
「当然です、姉妹でしたから」
でした、なんて過去形にして、マミさんドライだなあ、と私は思う。
でも、ビデオを見たい気持ちはあるけど、卒業生の家にまで行ってすることかなあ?
お忙しいかも知れないし。
「心配することないですよ紅薔薇のつぼみ、あの方、たぶん暇ですから」
「え!」
「今の話をすれば、興味津々で話に乗ってきます」
「そうじゃなくて、私の考えてること、どうして分かるの?」
「何をいまさら、顔に出てますよ、顔です顔」
いつも言われるんだけど、本当に顔だけでそんなに分かるのかなあ?
マミさんが電話をかける間も、私はずっと怪訝な表情をしていたと思う。
それは案の定、マミさんに指摘されたのだった。
ビデオを持ってマミさんと一緒にミナコさまの家に行くことになった。
本当は明日にしたかったのだけど、ミナコさまが興味津々になってしまって、
今すぐになってしまったのだ。
どうも、わざとミナコさまゴコロをくすぐる言い方をしていた節がある。
さすがは姉妹、と思う。
ミナコさまをどうコントロールすればいいか、マミさんは分かっているのだろう。
ミナコさまの家まで、私とマミさんはたわいない話をした。
時々、山百合会の内情を探ろうとする鋭い質問をするので、油断できない。
ミナコさまの家につく頃には、少し疲れてしまっていた。
「ここです」
普通の一軒家に見えた、木造二階建て?
マミさんは慣れた動作でインターフォンを鳴らし、しばらくしたらミナコさまが出てきた。
「ごきげんよう、お姉さま」
「なんだ、マミか、あ、紅薔薇の蕾の妹」
「今は紅薔薇のつぼみになりました」
「ああ、そうか、時間がたつのって本当にはやいわ、まあ、あがって」
二人でミナコさまのお宅にお邪魔する。
マミさんが耳打ちした。
「まともに挨拶もできない姉でごめんなさいね」
「うううん、気にしてないよ」
そもそも、まともに挨拶してないことに気づいてなかった。
居間に入ると、テレビの周囲がコードでぐちゃぐちゃになっていた。
「いや〜、ベータ引っ張り出すの久しぶりだったのよ。大変だったわ」
「み、見れるんですか」
「ええ、見れるわよ」
そうなると、ここまで来たからにはすぐに見たくなる。
「そんなに焦らくてもいいんじゃないかしら、紅薔薇のつぼみ、お茶でも飲んでよ」
「え、また、顔ですか?」
「そう、顔」
ミナコさまは私達に紅茶を入れてくれた。
「どう?お客さまにお茶を出すぐらい成長したわよ、マミ特派員」
「それぐらい出来て当然です、ミナコ局長」
ふふふ、とミナコさまは笑う。 なんだかんだ言って、久しぶりに会えて嬉しいのだろう。
「さて、それじゃあ見ましょうか」
「市長、ワイとケンカするんならしょうかえ。な、市長。 はっきり言うで、ワイ。あんたがな、ちゃう、ワイにケンカ売ったんや。どや」
60近い角刈りの男が、巻き舌でまくしたてている。
なんだこのビデオは?
「ワシは和歌山のドン。まあ言うたらね、山口やさかい」
皆、異様な雰囲気にのまれてしまった。
スーツ姿の市長と呼ばれた人は、どう見てもまともではない人間達に取り囲まれていた。
まともでない連中のリーダー格の角刈りの男はひたすらまくしたてている。
画面左下に、1987.12.9と表示されていた。
「なんなの、これ?」
「え、ちょっと、分かりません」
えんえんと角刈りの男はスーツの男を怒鳴りつけている。
私は判断不能になってしまった。
まだ男は何か言っている。
「今日まで、警察も俺を嫌いな人間は一つもないんや。
フジタカ、ミヤニシ、アオヤマさんもヤスザキも、全部俺の味方や。
ムラナカちゃんからはじまってカキウチからはじまってね、アサカワはん、オオタはん、
みんなワイを好きでおってくれるよ」
何を言っているのか全く分からない。
インターフォンが鳴った。
ミナコさんが出て行き、しばらくすると、ドアを叩く激しい音が聞こえた。
ミナコさんが青い顔をして戻ってくる。
「が、ガス」
「ガス?」
「ガスの点検って」
ガスの点検員が、あんなに激しくドアを叩くだろうか?
「今は誰もいませんからって、断わったら」
と言って、ミナコさまは玄関の方を見た。
ドアを叩く音はますます激しくなっている。
怖くなってきた。
「警察を呼びましょう」
マミさんは冷静に言い、警察署に電話をかけた。
状況を説明したが、マミさんはどんどん渋い顔になっていった。
「…埒があかないわ」
「どうしたの?」
「ガスの点検員がドアを激しく叩くぐらいじゃ、警察は動けないって、
はっきりとは言わないけど、そんな感じ」
「そんなあ」
バアン、と、ドアが開く音がした。
ミナコさまが物凄い速さで居間のドアを閉めて鍵をかけ、ソファやテレビを置いた。
完全に青ざめている。
ミナコさまは台所から包丁を持ってきた。
入ってきた人間は、なにか怒鳴り散らしている。
聞き取ることさえ困難な巻き舌の言葉だ。
体が震える。
私も、完全に怖くなった。
涙が出そうだ。
マミさんもミナコさまも震えている。
居間のドアがみしみし言いはじめた。
物凄い怒鳴り声と恫喝。
涙が出た。
助けて。 誰か助けて。
心底からそう思った。
殺すぞとか死なすぞとか敵意と悪意と恐怖を撒き散らす言葉が、大音量で聞こえる。
バキ、という音をたててドアが壊れた。
ドアが… 開いてしまう!
「どうも失礼いたします!!!」
罵声を吹き飛ばすぐらいの、絶叫に近いボーイソプラノが聞こえた。
ドアの向こうで罵声が大きくなって、そして消えた。
ドアが開くと、警官の制服を着た、どう見ても女子中学生みたいな子が立っていた。
「あなたは?」
「こういうものです」
そう言ってその人が示した警察手帳には、『巡査部長 佐原砂狼』と書かれていた。