きっとあなたが琥珀を割って・後編
目が覚めると、ヨーコが泣いていた。
白い病室。
レースのカーテンが揺れている。
「あれ?私?」
「馬鹿!馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!何で!何でよ!」
ヨーコが泣きながら私に拳をぶつけている。
何で?そんなことは、私も知りたい。
「ヨーコ」
「私、絶対絶対あなたを許さないから!どうして私に何も言ってくれないの!私は…」
あなたを許さない、というヨーコの言葉が胸に刺さる。
「ごめん、ヨーコ、落ち着いて」
「落ち着いて!?これが落ち着けると思うの!?
私、あなたが起きるまでどんな気持ちだったか!!考えたことがあって!?残される人のこと、考えた!?」
「考えなかった」
「馬鹿!!じゃあ、あなたは、誰を…」
ヨーコが涙で言葉を詰まらせた。
それだけじゃない、聞いてはいけない質問だと思ったのだろう。
誰のことを考えてた?
答えは決まっている。
「ごめん」
「謝ってほしい訳じゃない!」
私の謝罪をヨーコは切り捨てた。
「謝ったって、また、あなたは同じことをするかも知れないもの。ねえ、セイ、私、あなたに何がしてあげられる?
私は、何ができる?」
何をして欲しい、私は?
「分からない」
とだけ答える。
ヨーコは、色んな人にこの事を秘密にしていた。
貧血か何かで倒れたみたいな話になっているようだ。
そしてその配慮は、私をとても救った。
自殺しようとして無様に失敗した話なんか、誰にもしたくない。
本当に色々なことが面倒に思えてくる。
だから、ヨーコは社会が振るう刃から、私を守ってくれているのだろう。
その様々な憶測や中傷や、真実さえ、私を傷つけるだろう。
私はそれに、耐えられる気分ではなかった。
だから、いくら感謝しても、したりない。
本当に、私のことがよく分かるんだな、ヨーコは。
私はヨーコに、何を返してあげられるだろう。
ヨーコは定期的に病室に来た。
といっても、外傷もないので、そんなに長く入院するわけではないけれど、
それでもヨーコは頻繁に来てくれた。
「いい天気ね」
「ねえ、ヨーコ」
「なにかしら」
「別に変な意味じゃないんだけど、私にとっては、この世界が砂を噛むみたいに味気ない気がしてきて、とても辛いのよ。
分かる?そういうの」
「…ええ、そういうのは、みんな通る道だと思うわ。その時は、自分だけが世界に拒絶されてる気がするけど、みんな一緒よ」
「どうやって、ヨーコは抜け出したの?そこから」
「そうね、周囲には友達が居たから、それに…」
「それに?」
「私は現実的であろうとしたんだと思う。とりあえずそういう事は置いといて、現実的に対処したの」
分かるような、気もした。
ヨーコなら、そうかも知れない。
「私は栞に出会って、はじめて味気ない世界から抜け出せた。栞が私にこの世界を見せてくれたんだと思う」
息苦しく閉じ込められた、救いようのない鉛の箱の蓋を、栞が開けてくれた。
「そして栞がいなくなったら、世界は元の砂漠に戻ると思っていた。でもそうじゃなかった。ちゃんと、世界には色がつい
ていた。栞はいないのに」
「セイ…」
「私は栞を、きっと苦しめた。傷つけた。それなのに私は、回復しているのよ」
彼女は私の為に天使の羽を折り、代わりに私は閉じ込められた場所から抜け出した。
それで、私だけが、幸福に。
そんなことが許されるのか。
彼女がいないのに、生きていて良いのか。
「栞さんが、あなたに自殺して欲しいと思う訳ない、って、思わない?」
「分かってる。でも、自信がない。 ヨーコ、私はシオリがいないのに生きていけるのか、生きていっていいのか、それに、
彼女を忘れていいのか、混乱してるのよ、本当に」
自分でも、感情を整理できない。
ヨーコが窓を開けた、風が澱んだ空気を吹き払う。
「忘れるわけじゃ、ないと思うな。ねえ、セイ、もっと自分に自信を持ったら?あなた、 いつもは不敵なのに、急に不安
定になるのね。生きていけるわよ、生きていっていいに決まってるじゃない? どうしてそんなことに迷うの?もっと自信を
持って。自分の行動を後悔なんかせず、大切に思ってあげて」
「ヨーコ…」
「何もあなたのこと分からないのに、偉そうなことばかり言ってるわね、私」
「そんなことないよ」
「懸命に生きたら、必ず、その日々は報われると思うわ。セイを認めてくれる人達がいることを、絶対に忘れないで。
私も、セイが好きだから」
「ヨーコ…」
泣きそうになる自分を抑える。
「私も、ヨーコのことは好きだよ」
両親が来た
病室に。
流石に、両親には隠せない。
私は、彼らの喋る新聞の一面記事みたいに面白みもなければ間違いもない言葉をただ聞いていた。
それはやはり新聞の一面記事のように、只の事実のような言葉に過ぎず、胸に響くことはなかった。
マラソンを二回走ったような疲労感と、夏休みの終わりのような諦念だけが私を包んでいる。
両親が帰った病室に、ヨーコが来た。
たぶん、ヨーコは、私が両親との対話に耐えられるか、心配して来たのだろう。
「セイ、具合はどう?」
「まずまず、かな」
「そう」
ヨーコが花瓶に、持ってきた花を挿した。
そう言えば、両親は花は持ってこなかったな。
メロンを置いていった。
「ヨーコ、メロン食べる?」
「いいの?」
「私、ヨーコと一緒に食べたい」
「いただくわ」
ヨーコはメロンを切り分けてくれた。
「はい、ヨーコ、あ〜ん」
「なに?いきなり?」
「病人なんだから動いちゃ駄目」
「それはあなたでしょう?」
「あ〜ん」
「もう」
ヨーコは赤くなりながら食べてくれた。
「じゃあ、今度は私の番、セイは本当に病人なんだから」
「え、いいよ、別に」
「駄〜目、はい」
今度は私が赤くなる番だった。
そうやって、ふざけあいながら、メロンを食べた。
なんだか、メロンはいつも以上に甘く感じた。
食べ終わると、何か区切りがついたような、そんなささやかな沈黙に包まれる。
ヨーコが私を見た。
「ねえ、セイ、私ね。あなたと会わせてくれたこと、マリア様に感謝してる。でも、それ以上にあなたにも感謝してるわ」
「何で?」
私は、感謝されるようなものは何一つ持っていない。
ただただ周りを傷つけてしまう茨のような人間だ。
それをなぜ、ヨーコが感謝するのだろうか。
「私にも分からない。でも、あなたがいることが、私は嬉しいわ。
ねえ、セイ。全く傷や穢れを知らない人間が、相手を思いやることができるかしら?
シオリさんとの出会いは、きっと素晴らしいことなのよ、そうでしょう?後悔する必要ある?
傷も穢れも、全部愛しい自分自身だとは、思えないかしら?
彼女のこと、思い出にしなくてもいい。でも、思いっきり人生を楽しめばいいじゃない。それって矛盾してる?
私はそうは思わないな。 彼女のことを思えば、彼女はあなたに幸せになって欲しいと思っているにきまってるから、前
向きに生きればいいんじゃないかしら?」
「ヨーコ」
「なに?」
「ありがと」
「いいえ、言いたいこと言ったら、すっきりしたから帰るわ」
体は、大分介抱に向かっていた。
たぶん、心も。
私は、本当は前から分かってたんだ。
ヨーコに何か言われたら、きっと、私は生きていくだろうって。
でも、私は、シオリのつけた傷とずっと一緒にいたくて、そんな甘い傷と逃避にすがっていた。
ごめん、ヨーコ。
本当にごめん。
分かっていたのに、ここまでしなければどうにもならないなんて、本当に私は馬鹿だ。
こんなになるまで、本当に大切なものを選べないなんて。
もう私は、絶対に私自身を手放さない。
手放せって言われても、絶対に離さないから。
貧血の私のお見舞いに、山百合会のみんなが来た。
「貧血で倒れて検査ですって、長引いてるわね」
とエリコが言った。
もしかしたら、薄々感ずいてる可能性はある。
「退屈でたまらないけどね。お見舞いありがとう」
「お体大丈夫ですか」
とレイが心配そうに言った。
繊細で気のつく子だ。
「セイ、あなた、本当に心配をかけどおしね、もう慣れたけど」
とお姉さまが言う。
みんなが口々にお見舞いの言葉を言ったりして、暫く歓談した。
こういう風に生きるのも
うん悪くない。
こんな風に私を受け入れてくれることがあるなんて、思いもしなかった。
みんなが去って、何故かヨーコが戻ってきた。
「どうしたの?」
「ん、ちょっと、話がしたくて」
「私も、したいかも」
私もヨーコもクスリ、と笑う。
「他人に受け入れてもらうって、当たり前のことじゃなくて、本当に有難い奇跡のようなものだって、セイが一番良く
知ってると思う」
「何?」
「だからセイも、リリアンのみんなを受け入れてあげて」
「心配性だね」
「生まれつきよ」
「私、ヨーコに会えて良かった」
”恋人”や、”親友”、そんな枠組に入ることがなくても、
それ以上に大切な、はっきりとわかる温かい存在はきっと、私を何らかの形で救ってくれている。
「ヨーコは、どうしてそんな風に他人を助けれるの?もしも私がヨーコより上級生なら、間違いなくロザリオを
差し出しているわ」
「受けとってあげてよくってよ」
「じゃあ、卒業したらあげるわ」
「楽しみにしとく」
「ねえ、ヨーコ、私に感謝してるって言ったよね」
「言ったわ」
「ありがとう」
ヨーコ。
心から感謝しているのは、私だよ。
「ねえ、ヨーコ、人が人を受け入れてくれるのは、奇跡みたいなものだって、言ったよね」
奇跡のように受け入れてくれたのは、ヨーコだよ。
「言ったわ」
「じゃあ私にとっては、ヨーコが奇跡だよ」
痛みを乗り越える言葉をくれたのは、ヨーコ以外の誰でもない。
このことは絶対忘れない。忘れてやるものか。
だから私は秘密を囁くようにヨーコの耳に唇を近づけ言うのだ。
「好きだよ」と。
彼女は頬を染めながら笑って、同じ言葉を私に囁いた。
きっと、私も赤くなっていただろう。
朝、久しぶりの通学路でヨーコに会った。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
二人一緒に歩いて、マリア像を通って、私は立ち止まった。
「ごめん、先に行ってくれる?」
ヨーコは頷いて去っていく。
私はシオリと一緒に居た森の地面を少しだけ掘った。
未だ鞄に残っていた睡眠薬を捨てる。
ぶちまけられたそれは小さくて矮小で現実的で。
でも、それは砕けた琥珀の欠片。
きっとヨーコが割ってくれると心のどこかで思っていた。
そんな小さな痛みを伴う感傷を埋めて、私は校舎へ歩き出す。
帰るべき場所へ。
寄贈時あとがき
色々あって、やはり鯨さまにまず感謝したい。
きっと、鯨さまに出会わなければ、このssもなかった。
上手くは言えないですが、色々あっても、それでも私は、 やはりあなたがたが好きだと思う。
これは個人的なssだと、自分でも思います。
しかしそれでも、これにもし公表する価値があるとするならば、
我々は、もしも自分を認めてくれる人間がいるならばどんな傷からでも回復できるという、祈りにも似た思いは、 きっとただの個人的な体験ではなく、普遍的なものだと思うからです。どうもありがとうございました。
じんじゃばんあとがき
ええと、まさか、こんなブルーな話になるとは…
でも、まあ、自殺願望系のドロドロした感じにはしたくなかったし、なってない、と思う。
詩的に美しくできたらいいなあ、と思ってます。いつも。
私の琥珀はまだまだ割れませんね。そういうものですね。
ではでは