「白薔薇さまは敬虔なクリスチャンであられるのですよね」

 

冬の寒い日だった。

服の生地が厚くなり、スクールコートをまとう季節だ。

マリア像の前で聖書研究会の会長は私に尋ねる。

私が、敬虔なクリスチャンかどうかを。

たちどころに、そうです、と言おうとした私は、何かに後ろから髪の毛をつかまれるみたいに沈黙した。

シンプルな疑問が前触れなく私にぶつかってきて、沈黙する以外の選択肢を吹き飛ばしてしまう。突然の竜巻みたいに。

シンプルな疑問。

つまり、そもそも私は本当に敬虔なクリスチャンなのだろうか?寺の娘なのに。

迷いや悩みが消えない棘となって私の胸には刺さっている。

そんな私がマリアさまの前で敬虔なクリスチャンと断言するのは不遜な行為ではないのか?

私なんかが、敬虔だなどとはとても言えない。

そうだ、そんなことは言えない。

だから私はこう答えた。

「そうであれたらいいとは思っているわ」

私の答えに、会長は戸惑う表情を見せた。

「あの、それではまるで、今は敬虔なクリスチャンではないように聞こえますわ」

「ええ、私はマリアさまの前で敬虔なクリスチャンと断言できるほど敬虔ではありません。それは、私より敬虔な方たちに

 失礼な気がします」

私がそう言うと、会長は得心がいったように微笑む。

「素晴らしい信仰心ですわ。謙遜の徳は主も尊びます」

彼女はにこにこと笑う。

「今度、聖書研究会に来てくださらない?」

 

 

   『姫さまに捧げる』

 

 

断る理由はなかった。

もとから私は聖書やキリストの言葉に惹かれてやまない人間なのだ。

家族の宗旨を裏切ってしまうほどに。

「志摩子さん、今日の放課後、空いてる?」

乃梨子が私に尋ねる。

その邪気のない表情に、私の胸は少し痛む。なくしたものを知らせるみたいに。

「ごめんなさい、今日は、聖書研究会を覗きに行こうと思っているの」

「聖書研究会?」

そう言って不思議そうな顔をした乃梨子は、私の表情を窺っている。

「ええ、会長さんに誘われて、私は興味があるから見てみることにしたの」

乃梨子は羨ましそうな顔をして、羨ましそうな声音で、羨ましそうに言う。

「ふうん、いいなあ、志摩子さん」

「どうして?」

「だって、仏像研究会なんて、この学校だったら絶対存在しないじゃない」

乃梨子はそういって微笑む。少し悪戯っぽく。

「ええ、そうね、なんだか私ばかり良い思いをしてごめんなさい」

「謝らなくていいって、真面目だなあ、志摩子さんは」

そう言った乃梨子の視線がとても優しかったから、私は、息が止まりそうになる。

乃梨子を愛しくおもっている。間違いなく私は乃梨子が愛しい。それは全くの留保がない真実だ。でも…

「ねえ志摩子さん、キリストの教えには、中途半端な優しさが人を傷つけることについては、何か言ってたりするのかな」

「どうして?」

「キリストの教えって、優しさを凄く尊びそうだから、優しさの駄目なところとか、どうフォローしてるのかなって」

「ごめんなさい、分からないわ」

「そっか、変なこと聞いてごめんね」

乃梨子は普段通りの、変わったところのない表情をしている。

乃梨子が何を思ってるのか分からない。

優しさの駄目なところ?

それも私には分からない。

私は乃梨子を愛している。

でも、それ以上に祐巳さんを愛していた。

どうしていいかは分からない。

「志摩子さんでも、聖書を全部読んでたりはしないんだね」

「ええ、分からなくてごめんなさい」

そう。

私には、分からないことが多すぎる。

 

 

                                 1

 

 

放課後のお御堂に、聖書の朗読と説教を聞きに行く。

今日の聖書研究会の活動だ。

私はそれを一番後ろの席で聞いていた。

説教壇に一人の女性徒が進み出る。

「綺麗な人でしょう?」

隣に居た背の低い、華奢な女の子が私にそう囁く。

「ええ」

「あの人は、聖書研究会でちょっとしたカリスマになっているのよ。真名緑さま」

説教壇で朗読している彼女は、色素の薄い髪に大きな瞳、雪のように白い肌をしている。

彼女の顔は、ふと、私に冷たい水を思い出させた。深い山奥に少しづつ溜まる雪解け水。その中でも最も透明で、最も

美しい部分。

彼女の表情は慈愛に満ち、一方で受難に溢れ、彼女の存在の全てが彼女の神性を証明しているように見える。

「説教が始まるよ」

と少女は壇上の彼女をじっと見ながら言った。

緑さんは言う。

「私が今日お話したいのは、痛みについてです。この地上には、無数の痛みや苦しみ、穢れが満ちています。私達は

私達の胸の内を傷つけずに生きることが出来ない」

お御堂に響き渡る声は、実に堂々と張りがあり、託宣を受けているかのような印象を私に与えた。

これが、神の言葉であるかのような確信。

いきなり雰囲気に呑まれそうになる。

「私達はこの学び舎で神の教えを学んでいる筈です。そこから見て、余りにも地上は矛盾や苦しみに満ちてはいないで

しょうか。この学び舎でさえ、成績が劣る、誰かの姉妹になりたい、誰かを独占したい、そういう欲望を抑えることができ

ず、苦しんでいる子羊は多いのではないかと思えてなりません」

誰かを独占したい。

祐巳さん。

乃梨子。

いつのまにか、私は連想している。

「しかしそのような欲望は相手を傷つけ、また自分自身も傷つけるのです。打った手は、打たれた頬と同じように痛む。

キリストは私達のそのような罪を、代わりに背負って死んだのです。死んでくれたのです。この世界の全ての罪を代わ

りに引き受けて、私達の為に死んでくださった。だからキリストを信じる者は、私達は、もうすでに許されている」

強調すべきところを歌うように高らかに言い、抑えるべきところは抑える。だから私の耳には彼女の言葉が残る。

私達は、もうすでに許されている。

許されている、私。

キリストの受難は私達の代わりであるという、幸福な痛み。

聞いてて、気持ちがよくなってくる。

彼女の熱狂的な説教は続き、皆が高揚していくのがわかる。

「私達はそのような神の教えを忘れ、穢れに満ちた社会に出ていいのでしょうか?より強く神を思って生きるべきなの

 ではないでしょうか」

説教が終わると、周囲は喝采に包まれる。

説教というのは、喝采を受けるようなものだったかしら?

隣の少女はいつの間にかいなくなっていた。

お御堂を出て行く彼女は喝采に包まれ、なにかの政治集会みたいな雰囲気になっている。彼女は新進気鋭のカリス

マ議員みたいだった。

皆がお御堂を出て行き、私と会長だけがその場に残っていた。

最初から、お御堂を出ないよう言われている。

「どうでした、白薔薇さま」

「とても素敵な説教だったと思うわ。彼女の心がそのまま表れていて」

「ええ、そうですね。確かに彼女は嘘を言わない。魅力も人望もあります」

会長はそこで沈黙した。

続きがある筈なのに、そこから先の言葉がない。

中断された夢のような沈黙があたりを包んでいる。

「それで、昌子さまは、何を言いたいのでしょう?」

仕方ないので私は率直に聞いた。彼女は、南條昌子という。

昌子さまは、ゆっくりと話し出す。

「私は、ずっと迷ってはいました。私が彼女に苦言を呈したくなるのは、嫉妬ではないかという思いがありました。ただの

部員であるにも関わらず、彼女が会長の私より人望が篤いのは明白でしたから…。それに、彼女を批判する理由も、単

純な問題ではないです。簡単に良いとか悪いとかいえない」

昌子さまは、苦悩を表情に出していた。それは表情に出したというよりは、自然といつの間にか出てしまう率直な感情

だった。

 私は彼女の苦悩の、更に奥に進むために言う。

「でも、あなたは私を呼びました」

昌子さまは頷く。

「そうです、白薔薇さま、たとえ誰にどんな風に思われても、私はこれを黙り続ける訳にはいかないと考えたからです。

いま、聖書研究会は大きくその様相を変えています。部員の何人かは彼女に帰依し、彼女の言う通りに信者になりま

した」

「信者?」

「新興宗教です」

彼女はお御堂の中で、罪の告解をするように苦しげに言った。

「真名緑さんは、聖書研究会の部員を新興宗教に勧誘しています」

 

 

                                   2

 

 

真名緑は極めて真面目で、聖書の研究にも熱心な優秀な会員だった。

昌子も非常に好印象を持ったし、部員の誰からも好かれていた。

何もかもが変わってしまったのは、部員の悩みを彼女が聞いて、それを『治療』してからだ。

 始まりはなんてことのない、些細な風景で、どこにでもあるものだった。

けれど、大抵のことの始まりは、些細なものなのだ。しかし一度始まってしまえば、それが私達をどこに運び去ってし

まうのか、誰にもわからない。

 その最初の光景。

 ずっと冷え性が酷いとか、偏頭痛が酷いとか、ありがちな痛みや苦しみを友だち同士で話し合っていた。

 よくある、さいきんしんどいとか言い合う、本当にありふれた光景だった。

しかし、彼女は言ったのだ。

 

──治そうか?

 

そして緑は実際に彼女達を治した。

それはまごうことなき『奇跡』であり、『霊能』だった。

聖書研究会の部員を中心に、彼女のことはひっそりと広まる。固い口止めの戒めと、その破戒を通じて。

もともと緑の聖書解釈は熱く、率直で、論理的で、異端ではあったけど生徒達の心に直接届いていた。

更に奇跡まで起こせるとなれば、カリスマにならないほうがおかしい。

緑は自分に惹かれた人たちに奇跡を起こし、神への帰依を熱心に説く。

この純真な子羊の庭で、それをされてぐらつかない人間はそうはいない。

そして緑が説教をしたり、人を治したりすることは周囲の生徒に大きな影響を与えたが、それは決して周囲の人間だけ

でなく、緑自身にも大きな影響を与えていた。恐らく本人も気づかぬうちに。

 彼女はますます熱心に信仰にのめりこみ、また説教も熱心になっていった。

聖書研究会には、もはや真名緑教としかいいようのない派閥が出来ている。

 そしてその信者はそのまま、緑が信じている新興宗教の信者にもなってしまうのだ。

昌子はその状況を良いとは思えなかったものの、緑の信仰を否定することも出来なかった。

一体、誰が他人の信仰を否定できるというのか?彼女を信仰して一体何が悪い?異端であるなんて言葉が彼女達に

届く訳がない。

 だから昌子は宗教に理解が深いであろう、白薔薇さまに何とか状況を見せたかったのだった。

 

 

「それだけでは、私はなんとも言えません」

と私は率直に言う。

信仰は自由な筈だ。

新興宗教というのは、凄く響きの悪い言葉になってしまうけれど、それだけで否定することなんて絶対に出来ない。

宗教に貴賎なんてない筈なんだ。まともな新興宗教だってあるはず。

私はキリスト教者だけど、寺の娘でもあるから、余計にそう思う。異端弾圧とか、悲しいことにキリスト教にはたくさんあ

るけれど、キリスト教者がやったことでも、間違っているものは間違っている筈だと思う。

「ええ、白薔薇さまのおっしゃるとおりです。しかし、いつか学校の倶楽部活動の範囲を超えて、良くない事態になる

可能性もあります。こういうことは、とても危ういんです。だから白薔薇さまにとりあえずは知っておいてほしかった」

「昌子さまは、彼女の信じる神は信じないのですね」

「ええ、一応、キリスト教系なんでしょうけれど…私は幼い頃から『正当な』キリスト教の教えを受けていたものですから、

 それで聖書研究会に入ったんです」

彼女には、彼女の信仰。緑さんには、緑さんの信仰。

「そうですか…わかりました。気にとめておきますね。また明日も、研究会に来てよろしいかしら」

「もちろんです。いつでも来てください」

「そういえば」

私は気になったことを聞いてみる。

「最初私の隣にいた方、ご存知ないかしら?」

「?いえ、わかりません」

「そうですか…、ありがとうございます」

傷や痛みを救うのが宗教なら……

 キリスト教は私を救ってくれているだろうか。

 

 

                               3

 

 

「あ、志摩子さん、これから薔薇の館?」

と尻尾を振る仔犬のように祐巳さんが言う。

彼女がいなければ、私はもっと孤独で、もっと苦悩して、そしてこの学園にはいなかったかも知れない。

乃梨子よりも付き合いは長いのに、想いに気づくのに回り道をしてしまった。

でも仮に想いに早く気づいたからといって何が出来ただろう。

気づいた今でも、何も出来はしないというのに。

「ええ、一緒に行きましょう?」

校内を歩いていると、遠い潮騒のように生徒達の声が聞こえ、私はこの世界を少しだけ好きになれる。

遠くから人の声を微かに聞くと、どうしてこんなに罪がなく聞こえるのだろう。

「祐巳さんは、神様って信じる?」

「え?なにいきなり?」

祐巳さんがとまどっている。

私は後悔した。私がクリスチャンだと知っている祐巳さんには答え難い質問じゃないか。

神様って信じる?なんて、まるで宗教の勧誘みたい。

でも祐巳さんは真剣に考え込んでしまう。

考え込む姿も可愛い。

「う〜ん、いてくださると思いたい、かなあ」

いてくださると、思いたい。

「だって、いてくれたら、凄く偉い人がずっと私達を見守ってくれているんだし、救いがあるっていうか、とにかくいいなあ

って思うよ」

「祐巳さんらしいわね」

「あわわ、なんか、もっと賢く返答できたらいいんだけどね。祥子さまならなんておっしゃるかなあ」

「そうね、なんておっしゃるかしら」

祥子さまなら…

祐巳、神様はいらっしゃるわ、そしてちゃんと私達を見守っていてくださるわ。

と、言うだろうか?私は祥子さまになったつもりで考える。と同時に、私が祥子さまだったら、という想いが湧きあがって

くる。

私が祥子さまなら、祐巳さんを自分のものに出来る。

そんな邪な考えが私の胸をよぎった。夜道に突然飛んできた蝙蝠みたいに、私はその考えを避けることが出来ない。

「志摩子さんは、信じてるんだよね」

「何をかしら?」

「神様」

信じている。

本当に?

今もこうして邪な想いに揺れ続けているのに?

「志摩子さん、どうしたの?暗い顔して」

私は首を振る。

「なんでもないの。心配かけてごめんなさいね」

「謝ることなんてないよ」

祐巳さんは私の手を握る。暖かい。

「志摩子さんとは友だちじゃない。絶対に何でも力になるからね!」

そう言った祐巳さんの表情の美しさ、気高さ、純真さに触れた私は、どうしようもなく祐巳さんを愛しているのだ。

ねえ、神様を信じられなくなる時がいつか来たとしても、もしかしたら、私は祐巳さんのことだけは信じているかも知れな

い。

それって、冒涜かしらね?

「うう、でも、私じゃ大した力になれないかもだし。でもでも、頑張るからね!」

「祐巳さんには、凄い力があるわよ」

「え?」

「人の心を暖かくする力」

私は強く祐巳さんの手を握り返す。

あなたに会えて、良かった。

 

 

                                  4

 

 

翌日。

 

「ようこそ、聖書研究会へ」

そう言って真名緑教のメンバーは、私を部室に案内した。

「白薔薇さまに来ていただけるなんて光栄ですわ」

そう言った表情の歓喜の中には、何か虚ろなものが感じられた。

何故なのかは分からない。

「もうすぐ、緑さまのお話がありますの」

前回に続き、また、一生徒に過ぎない緑さんが話すというのだろうか。

それは何か、歪んではいないだろうか。部活動として。

そんな私の疑問に世界が構うはずもなく、緑さんの説教が始まる。

緑さんは、今回は極めて個人的な話からはじめた。

それは周囲の生徒には周知の事実のようで、つまりこれは、私の為の説教であり、自己紹介だった。

人にとって救いとは何か。

運命を受け入れられないことこそが苦しみなのだと、緑さんは言う。

「私は天主さまのところで、癌に苦しむ人たちが救われるのを見ました。病に倒れ、どうしてこんなに自分は不幸なのか

と思っていた人がいました。しかし、癌になったことが原因で遠くに行ったきりの息子が戻り、散々な目に合わせていた

はずの妻が自分をいたわるようになり、今まで自分がいかに家庭を省みなかったのかを悟ったのです。最後にはその

人は、私は癌になったことを感謝していますと言っていたのです。いいですか、癌になったことを感謝する、と言ったので

す。孤独な老人だったその人は、運命を受け入れることにより、癌になった自分を心配してくれる家族を発見しました」

緑さんは、人情話としか思えないような話を、上手く喋っている。

「また、活け花の先生であった人が、癌で教室を閉じ、どう生きて良いかわからないといっているのを見て、天主さまは

教室を再びはじめることをお薦めになられました。天主さまはおっしゃっていました。どうしてその死に向う魂を自分の花

で表現して弟子に伝えないのか、と。そしてその人は雷に打たれたように、ハッとしたのです。そして言います。分かり

ました、もう一度教室をやってみます、と。そうしてその人は余命半年のはずが、三年生きました。しかし、年数が問題

なのではありません。その人は『もういつ死んでも平気です、朝目覚めるたび、生きてて良かったと思えて、毎日が充実

しています』と天主さまに語っているのです。これが、運命を受け入れるということなのです。それは、幸福そのものです」

ちょっとすると胸をうってしまうかも知れないエピソードを、確かな自信により、実話として話す。

緑さんの話法には、技術が介在しているように私には思えた。

話は、緑さんがかつて迫害を周囲から受けたこと、病弱だったこと、そこから死を選びそうになり、天主に導かれ、人を

治せるようになったことへと進んでいく。

 親から受けた暴力の話など、一歩間違えれば聞いてる人を引かせそうなものだが、緑さんの場合は明らかな聖痕

になっている。極めて神性を帯びた、それは受難なのだ。

「霊能の起源、説法、預言者としての力、見事にそういう連中の話し方だね」

隣には、いつの間にかあの時の小柄な女の子が居た。

緑さんの話は続いている。

「そうした神の意思に比べ、この世界は汚れています。人は己のことしか考えず。他人を傷つけ、奪い、争いは止むこ

とがありません。天主さまはもうすぐ終末が来ると予言されておられます。私達は最後の時を生き延びるため、天主

さまと共にあらなければならないのです。それこそが神の御心なのです」

いつのまにか話が、変な方向に?

「この汚れた世界は浄化され、神を信じる清らかな魂だけが残ります。また、汚れた人たちはたとえ死んでも、罪が

許され天国へ行くことが出来るのです。祈りましょう。アーメン」

いま、明らかにおかしな内容が含まれていた。

一体?

みなが黙祷し、拍手し、緑さんの話は終わる。

「いかがでした、白薔薇さま」

とみなが口々に言う。餌を求める雛鳥みたいだった。

「そうね、いつも、緑さんがお話をするのかしら」

眼鏡をかけた、痩せきった女の子が答えた。

「ええ、緑さまのお話には力がありますから。優秀な人の話を聞く。悪いことでしょうか?」

「いいえ、ただ、部活動なら、皆が力を合わせて活動するほうが望ましいとも思ったものですから」

「白薔薇さま、心配なさらずとも、他の部の人間より、よほど私達は団結し、力を合わせています。形が違うだけです」

「そうですか…あの、終末が来るとか、浄化とかいうのは、どういう意味かしら?」

実際には私が言い終わる前に、どういう意味「か」、ぐらいのところで眼鏡の生徒は喋りはじめていた。

「白薔薇さま、天主さまはもうすぐこの世界に終末が来るとお考えです。この汚れきった地上が粛清されて、汚れた

魂は神のもとへ行くのです」

「それは私にはとても不思議な考えに思えるのだけど、地上は、汚れきっているのかしら?」

「白薔薇さま、歴史が進めば進むほど一回の戦争の死者の数は増えています。それでいて飢餓や、争いや、さまざまな

問題は解決しないままほっておかれている。そして私達の社会はより即物的になり、人々は愚かな自分本位のことばか

り考えて生きている。いったい、これが神の御心に沿っているといえるでしょうか」

「人はそれでも許されているわ。神の御心は常に私達と共にあります」

「それは現実逃避です」

「下がりなさい島田さん」

いきなり、美しく大きな声が眼鏡の生徒を遮った。

…真名緑。

「白薔薇さまが色々と疑問を持たれるのは分かります」

「ええ」

「ただ、私は、白薔薇さまは救われているのか気になるのです」

人の心を見透かしそうな真っ直ぐな瞳。

「どういう意味でしょう?」

「あなたは、自分にもどうにも出来ないことで悩んでいるのではないでしょうか。そして、今のところ神の救いの手は

そこにはない。誰かを、手に入れたいと想っているのでは?」

表情が変わらない。

何も動じていない。

嘘をつくときの動揺、そういうものがない。

私は初めて真名緑を本気で恐ろしく思った。

「天主さまは、常に救いを用意しておられます。あるいは、白薔薇さまの信じているものよりも」

「私は救いのために何かを信じている訳ではないですから」

ふっ、と緑さんが笑った。

「救いが必要なら、いつでも私は待っています」

「ええ、覚えておきますね」

そうして私はその場を辞去した。

止まらない鼓動を抱えながら。

 

 

                                  5

 

 

「いくら白薔薇さまでも許せません」

そう言う生徒たちに囲まれた。

部室を出てしばらくしてからの話だ。

「何がかしら」

「緑さまを侮辱したでしょう!酷いわ!」

彼女達はヒステリックで、私は何だか悲しくなった。

正直に言えば、私は真名緑教を見直していた。

少し、好感さえもったほどなのだ。

怪しげなところもあれば、危ういところもある。

でも、決して憎むようなものではなかった。

だが、こうしてその信者達に囲まれると、やはりあれは危険なものなのだとしか思いようがなくなる。

それが私には哀しい。

「誤解です。私は、緑さんを侮辱しようと思って発言したことはありません」

「部活らしくないとか!不思議とか、馬鹿にしたじゃないですか!」

「馬鹿にしたわけじゃないの。不愉快な思いをさせたならごめんなさい」

私の台詞に黙ったものの、彼らは囲みを解いてくれる訳でもなかった。

「白薔薇さま、この世界が汚れていることの何が不思議なんですか。みんな、下らないテレビや低俗な欲望を満たす

ことばかり考えて生きています。神がそんなのお許しになりません」

ああ、彼女達は、繊細なんだ。

この世界では生きづらいくらいに。

だから自分達の唯一の居場所を守りたくて必死なのだ。

「そうかも知れないわね。でも、私はそうは思わない。それだけのことなのよ」

「どうしてですか!白薔薇さまも世俗の醜い人なんですか!」

私は身動きが出来ないままだ。

「白薔薇さまは、聖書研究会を潰しにきたって本当ですか」

「会長の言いなりで私達を追い出すんだって」

「緑さまが可哀想!」

周囲が非難一色になってくる。

私は身の危険を感じた。

彼女達は冷静さを失っている。

「白薔薇さま、もしもそうなら、ただでは帰しません」

彼女の手が、私に伸びた。

狂信者は…人を殺すのをためらわない。

私は、暴力の予感を感じた。そしてそこには純粋な恐怖がある。

手が、触れた。

その瞬間、シャッターを切る音と共に、フラッシュが焚かれる。

彼女達が身を硬くした隙に間をすりぬけて逃げる。

「あーらら、変な写真撮っちゃった」

逃げた先には、蔦子さんと真美さんがいる。

「いいネタが出来たわね」

真美さんはメモに何か書き込んでいる。

「わ、私達は白薔薇さまとお話していただけです!」

彼女達は青ざめた顔をして足早にどこかへ逃げていってしまった。

「大変だったわね」

と蔦子さんは軽い調子で言ったけど、真美さんは真剣な顔をしていた。

「志摩子さん、詳しい話、聞かせてもらえるかしら?」

「真美さん?」

「どうしても、知る必要があるから」

私はできるだけあたりさわりないように、聖書研究会であったことを話した。

新興宗教のことは隠して。

真美さんは暫く沈黙してから言った。

「私の友達が聖書研究会に入って、それから新興宗教に入ったの。志摩子さんの話したことも、今の、聖書研究会の

 人間がしたことも、真名緑のことも、新興宗教のことも」

真美さんがはっきりと断言する。

「全部明日のリリアンかわら版に載せるわ」

 

 

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