学校帰りに夕焼けを眺めていた。

  オレンジ色の光が目に痛いくらい強く差し込んできて、町を一色に染めてしまう。

  どこかに帰りたくなる気持ちが強くなるのは、そんな時。

  懐かしいような痛みと、もう探せないクローバー。

  私は、少し、目を閉じる。

  今のこの瞬間を焼き付けるために。

 

 

  『わたしがいた』

 

 

  学園祭がもうすぐ始まるから山百合会の手伝いをする。

  白薔薇さまがいて、乃梨子さんがいて、黄薔薇さまがいて、黄薔薇の蕾がいて…

  紅薔薇さまがいて、瞳子さんがいて、そして、あなたがいた。

  「そこの書類枚数数えて」

  「漫画研究会の資料どうなってるかしら?」

  「二階の教室おさえた?」

  「飲食店に使うコンロあるでしょう、あれが…」

  忙しく、あわただしく、皆が準備をしている。

  やらなければいけないこと。

  一段落つくまで、みんな真剣に、真面目に。

  このメンバーでこうして一つのことに一生懸命になるのは、これが最後だと、この時の私は気づいていたのだろうか。

  「可南子ちゃん、一休みしましょう」

 

 

  「ねえ、目玉焼きには醤油だよね?」

  「ぶはっ」

  思わず耐え切れないように黄薔薇さまが笑い出す。

  「祐巳ちゃん!なんていうか、選んだ話題が小学生?」

  「あ、黄薔薇さまひどい!傷つきます」

  黄薔薇さまは「ごめんごめん」と言って笑うんだけど、その顔は本当に格好いい少年みたいで。

  「令ちゃんはマヨネーズつけるのよ」

  「由乃は塩コショウじゃない」

  「素材の味なのよ、江戸の人はみんな素材の味を愛したんだからね!」

  「またそういう時代ものの影響なんだから」

  喧嘩している2人の姿を見ているのは微笑ましくて。

  「ねえ、可南子ちゃんは、醤油?」

  そういって微笑むあなたは。

  「私は……醤油です」

  「あ、おんなじなんだ!やったね!気が合うね!お姉さまは何もつけないって言うし…きっと卵が高級だからだと思うのよね」

  えへへ、と祐巳さまは笑う。瞳子がこっちを睨んでくる。

  「まったく、祐巳さまと一緒で醤油だなんて、いやですわ。明日からやめなくては」

  「え、瞳子ちゃん一緒なの?やったあ!」

  「やったじゃありません、私は祐巳さまと一緒で嫌だと言ってるんです」

  「でも私は嬉しいもの」

  「おめでたいことですわね」

  瞳子の、頬が赤く染まっていて。

  乃梨子がくすくす笑う。

  「瞳子、あんたの弁当に入ってた目玉焼き、ケチャップかかってたじゃない」

  そう言われると、ますます瞳子は赤くなって。

  祐巳さまは益々ニコニコと、まるで、向日葵みたいで。

  そうやって微笑むあなたは

  眩しかった。

 

 

  なんだか解散になって帰るのが惜しいような気持ちとか。

  カリカリと響くシャープペンシルの音とか。

  遠くから館に聞こえるざわめきとか。

  怒って拗ねる黄薔薇の蕾とか。

  ふんわりと微笑む白薔薇さまとか。

  置かれた紅茶の匂いとか。

  砂糖がさらさらと流れていく聞こえない音とか。

  黒い髪がうっすらと濡れて光る様子とか。

  紅薔薇さまのヒステリーとか。

  瞳子の巻き髪とか。

  目を瞑って思い出したら、全部動き出しそうで。

  私はなかなか、目を開けられない。

 

 

  「祐巳さま!祐巳さまは大体無防備すぎるんです!」

  瞳子の大きな声。

  「え〜?そうかなあ〜?」

  「そうです!にやにやへらへらして、一年生に愛想を振り撒いて!」

  「でも、話し掛けてくれたんだから、嬉しいじゃない。優しくしなきゃ」

  「ものには限度があります」

  「限度なんか超えてないとおもうけどなあ」

  「いいえ、祐巳さまは自分の立場を分かっていません」

  そうして見ているときの、2人の世界が出来そうなのを、嫉妬する気持ちとか。

  「私は、祐巳さまが間違っているとは思いません」

  案の定、瞳子は私を睨んでくる。

  「あら可南子さん、祐巳さまがにやにやへらへら、一年生の方たちと話すのは正しいと」

  「薔薇の館の敷居を低くするのに役立つでしょう。聞くところによれば、前の紅薔薇さまもそれを望んでいたとか」

  「敷居を低くするのと、誰彼かまわずへらへらするのは違います。それに祐巳さまはまだ」「優しさは」

  私は、遮るように。

  「優しさは、祐巳さまのよいところだと思います」

  「可南子ちゃん…」

  「だから、くれぐれも」

  「くれぐれも?」

  私は瞳子を指差す。

  「こういうのにひっかっからないようにしてください」

  瞳子の怒声が響いた。

 

 

  瞳子と、祐巳さまを取り合うみたいにはしゃいだこととか。

  乃梨子さんに仕事のフォローをされたこととか。

  紅薔薇さまに怒られたこととか。

  みんなで笑いあったこととか。

  まだ全部鼓動を残したまま、私の中で生きている。

  幾らでも、幾らでも。

  私の中で生きている。

 

 

  夕方になって家に帰るとき、みんなで一緒に校門まで歩いた。

  少しだけ冷たくなった風と、夕焼け。

  学園祭が近づいてきている。

  由乃さまがふざけて先頭を走って、心配して令さまが追いかけて。

  志摩子さまと乃梨子さんが肩を寄せ合って歩いていて。

  祥子さまと並んで眩しいくらい素敵な笑顔を見せるあなたがいて。

  私は、瞳子と並んで歩いた。

  会話はない。

  オレンジ色の世界が眩しくて、なんだか寂しくて。

  いたたまれないみたいな。駆け出したくなるような。

  そんな…

  「ねえ!瞳子ちゃん!可南子ちゃん!」

  あなたはいつも、そうやって無邪気で。

  「手、つなご?」

  瞳子は膨れて。

  「どうして私が祐巳さまなんかと」

  「いいから繋ぐの!えい!」

  そういってたちまち繋いでしまう。

  「可南子ちゃんも、ね?」

  可憐で。清らかで。

  「…はい」

  三人で手を繋ぐ。

  夕焼けの中で並んだ私達三人は、こんな風に過ごすのがもしかしたら最後かも知れないって、ほんとはわかっていたと思う。

  あなたがいて

  みんながいて

  たった一つのことを目指した。

  全てが過ぎ去って何もかも思い出になっても、きっと繰り返し思い出す。

  夕焼けの赤さと、握った手の暖かさと、そして、そして。

 

  なにもかもが眩しかった。

  みんながいて、あなたがいて、そして、私がいた。

 

  私は、目を開いた。

 

  くるくると変わるあなたの表情とか。

  館から見る雨の様子とか。

  機嫌が悪いふりをして照れている瞳子とか。

  紙が立てるカサカサとした音とか。

  志摩子さんのことを惚気るときの乃梨子さんとか。

  紅茶のかすかな渋みとか。

  黄薔薇姉妹の夫婦喧嘩とか。

  夕方の風の匂いとか。

  紅薔薇さまの凛とした声とか。

  ガチャガチャと続くホッチキスの音とか。

  私と瞳子を仲良くさせようと企むあなたとか。

  祐巳さまを巡って対抗意識を燃やす瞳子とか。

  ぜんぶぜんぶ、ぜーーーーーーーーーーーーーーーんぶっ!

  私は、この世界が、大好きだってこと。

  言いたいのはそれだけ。

 

  私はこの世界が、大好き。

 

  目を閉じていつも思い出すのは

  華のような日々

 

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