いろいろ 2007年6月29日


「腸閉塞症」というのは、悪性の病気ではないのですが、私は生き物ですから食べることができないと衰えて行き、普通に生きて行かれないという単純な問題が生じてきます。
人間として、一番のポジティブな生き方は、口から物を食べる事なのですから、 栄養補助剤、経鼻、そして中心栄養と手を変え品を変え、全うな方法から逃げるかのような自分に嫌気もさすのです。人間以外の生き物はこんな手段に逃げはしないと思うし。

そんなことを思いながらも昨日、在宅静脈栄養(HPN)用のポート(リザーバー)造設術をしてきました。
簡単なものではありませんでした。
放射線科の部屋に入ると、電メス、ペアン、コッヘル、モスキートなどが準備されているのが見えました。
右腕には、血圧計、サチレーションモニターがつけられ、脚には電メスを使用するので電極が張られてという小さな手術でした。要した時間は一時間弱。
痛みは、昨日ほどではありませんが、鈍痛を感じます。

主治医のM先生が他の病院の日でしたので、グループの先生が造設手術を行って下さったのですが、開始する前に、「このリザーバーを埋め込むと、取り外すというのはとても大変で、ほとんどそれをすることはない。もしも、後100年生き続けてもつけててもよいの・・・」と確認されました。
そこら辺の話は聞いていなかったので、ふと迷いも生じたのですが、了解しました。

これを造るにあたっては、いつも相談に乗って下さるETのEさんにも相談しましたが、こんなにイレウスを繰り返すのだからと賛成意見でした。

HPNを実際にやっていらっしゃる方のHPもいくつかありました。
そこには、利点が書かれていましたが、この心境にたどり着くには時間が必要です。 今のところ私が得ている情報では、在宅医療管理量で決められているルートや針の本数では、毎日針の抜き差しすることは不可能の様です。
在宅医療管理料で決められていることとして、ルートは一月に6本、直接ポートにさす針(コアレスニードル)も6本だそうです。
訪問看護で一週間に一度両方とも交換するのが普通のやりかただそうです。
私の様に動く事が可能な人ならば、慣れてきたら、必要に応じて針を抜かずに途中からヘパリンでロックしてルートを外すことが出来る様になる様です。例えばシャワーを浴びるとき等です。

つまり、慣れるまでは最初は24時間つけたままで練習する生活になり、常時連れてあるか歩かなければなりません。

今日10時に外科でセッティングしてスタートしますが、今日のメニューは1120kcal、液の量は1806mlです。 かなり重く、連れて歩く体力が必要です。

余談

このHPはストーマになったことをきっかけに始めたページ。
もちろん、もともとの骨盤内臓器脱に関しては書いてきました。
ところがそこから先は、なんだかわけ解らなくなって、ここ一年は入院中のことが多くなって、楽しい話題が並ぶ時がくることを私自身が期待します。


いろいろ 2007年6月29日


宇宙に日本人宇宙飛行士が長期滞在する時の日本食の宇宙食の開発のニュースを冷めた感じで私は見た。

何も宇宙でサバの味噌煮を食べなくても、何も宇宙で蕎麦を食べなくてもと。
地球に居ても食べられない人がたくさんいるのに、宇宙に行っているだけで充分じゃない・・・。郷にいったら郷に従えでしょ。

地球に戻って蕎麦を食べた方がその旨さは格別なのではないか。
たった数人の宇宙に行く人の為に企業が力をあげて開発するんだね。

このニュースに、夢を感じられないどころか腹が立って仕方がない。今。

今日は、11時半に点滴ポートの埋め込み。
在宅中心静脈栄養管理(HPN : Home Parenteral Nutrition)が始められます。

在宅中心静脈栄養管理(HPN : Home Parenteral Nutrition)というのは、 中心静脈(心臓に近い太い静脈)に挿入しているカテーテル(点滴の管)へ、高カロリーの栄養を供給することで、生活を維持する方法を高カロリー静脈栄養または経中心静脈高カロリー輸液(IVH:Intravenous Hyperalimentation)あるいは中心静脈栄養 (TPN: Total Parenteral Nutrition)と言います。
このIVHは 患者が口から食べられないとき、または、食べても養分がほどんど吸収されない場合(腸の疾患など)に、静脈に直接必須な栄養素を入れる方法です。 つまり、HPNはIVHを自宅(在宅)で管理することです。


いろいろ 2007年6月28日


口から物を食べることが出来る様になり喜んだばかりで、目標もそこにあるのですが、退院後もどんどん減り続ける体重、昨夜の強い腹痛、そしてこの暑さが早くも自身をなくさせました。

結果、明日点滴ポートを造ってもらうことにしました。
なにしろ、7月の実践講座に出席しようと思っているので時間がありません。
お粥、ラコール、それだけでは夏の暑さには不十分。
経鼻栄養を補助的に使うことは、まだ私としては、怖くてできない。

こう考えると、入院せずに栄養をいれるには、在宅での点滴のこの方法しかないと考えお願いしました。

口から物を食べることの大切さは、ますます解ってきてます。そしてその復活には時間が必要だということも。
もしかすると、実際は通過するかもしれない物でも、頭の方が「また詰まるかもしれないよ」と拒みます。


いろいろ 2007年6月26日


診断書出しに行ってきました。
看護部長は、「こんなに細くなってしまって」と私の腕をにぎってらっしゃいました。
腕より脚の方がかなり厳しい状況だと思うのですが。
記録として、このパンツのぶかぶかさを残して置きましょ・・・とセルフタイマーで撮って・・・。

昨年の今日は、砺波の泌尿器科に入院した日。ここからの一年に130日程をも病院で過ごすことになったのでした。今、膀胱は違和感ありません。


いろいろ 2007年6月26日


退院初日の夜の献立は味の素のお粥少々。ずっと私の食事代わりで命を支えてきた点滴の”ソリタT3”も味の素の製造ですから、大変味の素にお世話になる事になってる。
と、キャベツのお味噌汁の上澄み、と介護食の海老のすり身。

たったこれだけがお腹に入っただけなのに、腸はぐるぐるぐしゅぎゅーを。
私は自分の体の中の音なので耳の外から入ってくるのではなく、頭蓋骨伝導様にこんなに良く聞こえるのかと思いきや、周囲もこの音に反応している。
眠ろうとして横になると更にぐるぐるぐしゅぎゅーは、激しくなり、腸の動きが外から観察できる。
つっかかるところが拳大にふくらむから。それを手作業で肛門側に押しやる。
音がぽんぽんぽんぽんと栓を開けたてのボトルの様になってきたら要注意。
こんな事をやっているから安心して眠れやしない。

そのうち腹痛感じ、トイレで下方向に力入れたつもりなのに胃からの逆流。黄色い液を嘔吐。力は真反対に加わってしまった。

退院祝いと誕生日祝いで常年にはない、たくさんのプレゼントを頂いた誕生日。

もしかしたら最後の誕生日だったり・・・ふと頭をよぎり。

母が亡くなった時に私もリビングウィルを書いた。
そこには、経管栄養の拒否も記した。なのに経管栄養で、先日の講座でも出てきたスパゲッティ症候群やってんの。これが頭にひっかている。書き直しする・・イヤ口から食べる・・・。

とにかく蒸し暑い。たまらない。

今日は、患者としてではなく、職員として7月分の診断書を提出に病院に行く。
パジャマだとあまり解らなかった痩せ具合がそうでなくなると目立ち弱味の露出。久しぶりに化粧をしたら、眼の上側も落ち込んでいて眼と眉との距離感が変わっている。

と、こんな記事になった今朝は、機嫌がイマイチ


いろいろ 2007年6月24日


検温の時に、Nikonの一眼を持っていて、でもそんなに使っていないのだけれど、とてもきれいに撮れた虹の写真を退院の前に是非見て欲しいと思っていたとそんな話から、今度一緒に写真を撮りましょうとその会話は広がりました。

明日の帰宅予定を控えた朝、こんな何気ない会話の後に自然に涙がこぼれ。
入院荷物の中のjour jourを見返し。見ていただける方がまた少し増えました。

中心栄養の話もありましたが、抹消からの点滴で頑張れました。それでも段々体力衰え、目覚めも悪くなり、日中は怠かったりで、何も出来ずにイライラも。
そんな気分が、夕方静かに陽が傾く頃になると、何となく落ち着いて、食欲のことなどから解放されます。

最低必要栄養さえ摂れればよいと考え、経口の栄養補助剤で復職し、経鼻の栄養補給も取り入れて過ごしていた生活。やはり無理が生じてきて、ここから進み出る事を目的として踏み切った手術でした。
ところが、前回の術後と同じ様に、今回もまた術後腸閉塞になるという事態に陥りました。厄介な腸です。
今回の目的が食べることにあるので、こうなると、その目的を達成したい、食べたいという気持ちが強くなり、イレウスチューブは一層気分を焦らせるものでした。
そして導尿と違い、まだ可能な口から食べるという基本の生き方に対して考えと努力が充分であったかと振り返りです。

メンタルケア論の本の中にこんな事が書かれていました。
「食べるという事は、喋るという事と同じ口の幸福です。
口は幸福と不幸がいちばんはっきり現れる場所で、口というのは体の中で一番忙しい、たくさんの仕事をするところです。」と。

今回の入院中は今までとは違い、日々の事を「いろいろ」に書いていますが、期間が長くなっていますので、ここに簡単な経過を記します。

5.25  発熱のため予定より早く入院
5.30  手術
6.06 術後腸閉塞になり、鼻よりイレウスチューブ挿入
6.11 イレウス管造影
6.13 イレウス管造影
6.15 イレウス管造影
6.18 イレウス管造影
6.19 イレウス管造影イレウスチューブ抜去

「物が食べたい、そうなりたい」ははっきりわかりました。
同時に「私の腸は、まるで爆弾を抱えているかの様な状態である」という腸事情もよくわかりました。

ある看護師さんの話では、6月6日の時点で、医師から私にも話はありましたが、いろいろに書いた様に、再手術、ストーマに戻る必要があるかもしれない状態もあったようでした。
手術はもうたくさんですが、そうなった時は、その状況を受け入れる事が出来る様な心つもりも備えていないといけません。

小腸の部分のこと、大腸の部分のこと、排泄の部分のこと
そして、食べる、通過させる、出せる
この3ポイントにこれからも気配りのある「上級テクニック」を要するようです。

今回の退院も完全な回復をもってのものではなく、自宅での生活が可能な状態の時に帰宅して、少しでも自宅で自力での食生活に慣れるという感覚です。


いろいろ 2007年6月23日


注意深くではあるが三部粥通過している、点滴が漏れたためにこれから解放された。
こんな条件で、月曜日に退院を希望をしてみて、了承されました。

腸が浮腫してしまわない様にと
この様な状態とこれからもつきあってゆくのだし、管理できなければ、またの入院チューブもありと頭の中に入れて。

なのに昼食後、 何となくお腹が苦しい。 トイレに行くと嘔吐。黄色いイヤな感じの嘔吐。 三回程繰り返す。
その後、ガスが溜まって出したい感じがあり、摘便。 ガスと便が出る。
ここから、排便が始まり、繰り返し下痢で吐き気も消失。

こんな事がこれからもあるのだろう。


いろいろ 2007年6月23日


三部粥にアップ。

お献立は、三部粥、吸い物、マッシュジャガイモ、卵焼き大根下ろし添え。

四つの器が並んだお盆。私は驚愕に近い状況。
「ゴチ」だ。

卵焼きという固形物がそこにあった。

初手術後でこんな食事初体験者など、「米・・何処?」様の三部粥などナンジャコリャだろうけれど、三部粥に対する思いも人様々立場によってという事。

私は、並んでいるこれらを見るだけで十分お腹いっぱいの感。実際は、お粥の上澄みとお吸い物、ジャガイモを「ツマリマセヌヨウニ」にと唱えしつつ、もごもごと頂いたのみ。卵焼きにはついてきた醤油を一応かけてみた。


いろいろ 2007年6月22日


夏至。入院、5週目に入る。

食事が、術後1号食から術後2号食にアップし、カップが3コに。
それでも、お腹の中に食べ物が入ったという事が、昨日のこのカップに対する怒りをも減らした感じ。
この単純さに呆れながらも「食」「口」からの「食べる」の有り難さがもたらす心の平穏・・満足・・・を思う。

私の腸の通過では、カップひとつで腹一杯。

四人部屋の時、私と同日に手術をし、ストーマになったKさんが既に普通食まで食べ、今日退院だそうだ。
手術の前日にストーマになることを話され、黙っていられなかった私だが、その受け止めは、神経質でなかった。

ストーマになった時には、毎日使ったパウチをノートに記して神経がびんびんだった私には考えられない程、なんてことなくスムーズに受け入れた。
退院後の心配とかはないのかと不思議にさえ見えるその原因は、一番は本人の性格だろうけれど、60歳を少し越えたという年齢も関係なくはなさそうだ。

若い女性「ブーケ」ではないのだ。

加えて、四人部屋の中の私も含めて三人がストーマ体験者という稀にみる環境もあったかもしれない。

消化器外科の病棟の患者の中では私は若い。患者年齢層は孫のいる年齢からそれ以上の高齢の方がほとんど。

前にも書いたかもしれないが、私ですら周囲に違和感を感じるので、ブーケの会の会員(50歳以下)のみんなが、入院生活に孤独と辛さを感じるのは当たり前で、だから「ブーケの会」は意味があるのだ。


いろいろ 2007年6月21日


重湯でました。

ところが、我がままなようだけれど、これがひどい。
二つのカップがお盆にボンポンっと。
プラスチックカップ。ひとつには白い重湯。ピンクカップの方は一見ラコールの様で、甘みのない液体。

他の病院といっても砺波しかしらないけれど、おんなじ重湯でも砺波は、

お茶碗に白い重湯
お椀におすまし

すまし汁に天井の蛍光灯が写っていたが、食器に入ったそれには食事が始まった事の感じが感じられた。

こちらはエサみたい。

こんなまずさを無理に飲んで通過障害が起こったら残念。だから、まずい物の方は飲まない事に。

術後一週間程の絶食の後の重湯という通常パターンならよいのだろうけれど、 繰り返し我がままなようだと承知しつつ、長い長い重湯へ道。期待が大き過ぎた私は、沸々と怒りが。


いろいろ 2007年6月20日


「給料が多く支払われていたので、返金して下さい」と看護部副部長が部屋を訪れた。
事務の方ではなく、私に云々いわせない相手がお使いとしてやって来たという感じ。

欠勤分をマイナスするのを忘れていた分があるそう。
給料なんて正しく計算されていると思うとそんなこともないのね。

しかも今日話しがあって、今日の15時に27528円、これまた副部長が病室に集金にこられる・・・とさ。

イレウスチューブ抜けていたからまだ気持ちに少しゆとりがあったけれど、チューブが抜けない状態の時だったらね。

チューブが抜けたことの情報を入手しての集金だったかなというのは考え過ぎ・・。


いろいろ 2007年6月19日


イレウスチューブ抜けました。
挿入記録としては、自己最高の14日間。

およそ半月、遠回りして、術後8日目の6月5日の時点に戻りましたよ。

後は、食に対して、楽しみにするだけです・・・なーんて、勝手な事も書くことができますが、「食」が楽しみになれるのか・・。


いろいろ 2007年6月18日


イレウスチューブ造影。
また、ガストログラフィンを流す。体を右下に向け数分待ち。これを数回。
この結果で判断して、チューブは鼻からは抜きはしませんが、袋をはずし、クランプ。
この袋からはずれるだけで鼻はかなり楽になるのです。 部屋に戻ってから、またガストログラフィンを嘔吐。

休みの息子に部屋でカップラーメンを食べてもらい、スープをほんの少しなめてみたりして・・・。食べたいの発作。


いろいろ 2007年6月16日


「元気でいいねぇ」なんて言ってシマッタ。スタッフ見ていての正直な感想。
口にしてしまってから、自分が弱っている感じが増した。

抹消からの点滴で頑張っていますが、かぴかぴにならない様に脂肪分も補っています。コラーゲンも入れたいと冗談まじりに言ってみたり。

M先生、回診で調度お腹を診察した時に左側がぽこっとふくらんでいた。 ここさえなんとかなれば・・
月曜日にまた造影。

大きなことを成し遂げるために
強さを求めたのに
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった

入院前に友人が送ってくれた言葉の中のひとつ。まだ理解できてないね。

醤油味のせんべいを買っちゃって。食べるわけではなく、ちょぴっとなめ、芝生でスズメのエサにする。イヤらしい行動。


いろいろ 2007年6月15日


イレウスチューブ造影。
また抜けてきて、十二指腸付近で横向きに巻いているチューブが見える。「なんで進んで行かないのだろう」と医師達の会話とともに、入れ替え。
入れ替えという言葉は正しくないかもしれない。位置を正すのだが、鼻、お腹痛い。
透視下で行うので医師達の眼線は、画面に向いているから、自分の鼻は自分で守らなくてはならない。

お願いはしていたものの遂に朝の検温の時に訴え。個室に移動。

4人の部屋の”寝息””話声””臭い”さえも我慢できなくなってしまって。
耳栓も買ってみたし、マスクもしているけれどね。

平生自宅でも一人のことが多いということもあるけれど、気持ちにゆとりが無し。
同日や後から手術した同室の方が、順調に食事を開始していることも我慢ならなくなったの。私としたことが。


いろいろ 2007年6月13日


イレウスチューブ造影。
イレウスチューブ入れ替え。奥に進める。
ガストログラフィンは月曜日の時よりも私が見ても流れはよく、大腸に向って流れて行っていた。

イレウスチューブが何故私をいらいらさせるのかいうと、

入れて待っているだけだから。

腸の減圧をただひたすら待つだけだから。


いろいろ 2007年6月12日


ニュース!!

講義は終了、もしもの緊急入院に備え、寝る間も惜しんで書いちゃって、早々に提出を済ませていた、精神対話士基礎講座のレポート。やはり提出期限の日には入院していたので・・ね・・・さっさとしておいてよかった。

合否は一ヶ月以内ということでしたが、本日自宅ポストより、父が厚紙が入って固くなっている封筒を運んできました。
丁寧に開けてみると「認定証」が入っておりました。

合格です。

経鼻栄養、昼休憩には生温かいラコールをちびちび飲みつつだったわ・・・と振り返りつつ、満足満足。

次の実践講座に向けて、入院中の支えになるけれど、7月1日に間に合うかしらの心配。


いろいろ 2007年6月11日


朝、検査前にM先生が部屋に。
「どうして」に対しての説明は、どこが閉塞しているのか確認の為に検査をということです。
心配なのは、骨盤内の筋肉の問題と腸神経の問題からくる「偽閉塞症候群??」だったか?これだとイレウスを繰り返す・・・・そうだ。

透視下でイレウスチューブからガストログラフィンを流し造影。
その後チューブを更に奥に進める。何度経験しても非常にきつい。

鼻穴から小腸に至っているチューブから出てくる、腸液、胃液、胆汁などで、本来は下に流れてゆく物。通常これらの合計は1500cc/1日だそう。ですから、それくらいの量が出てくるということは、腸閉塞(イレウス)ということ。イレウスチューブが入っているときはこんな物を点滴と一緒に点滴棒に下げて、人目にさらしています。

検査中にも胃がパンパンに張っていたそうで、部屋に戻ってから嘔吐の連続。ガーグルベースンお替わり・・・。


いろいろ 2007年6月10日


「どうして・・・・またイレウス?」。

ショックいや、唖然。で、手術に一緒に入っていた若いK先生に質問だ。

答え
手術では小腸は、いったんお腹から全部出して、きれいに剥離できた。
が、大腸のS状結腸部分にどうしてもガチガチの部分があった。

「ガチガチ」とはどういうことかと聞いてみると、塊状ということなのだそうだ。
普通の腸はいわゆるホルモンのような感じだが、それがガチガチの塊状になってしまって触ることに危険があった。

ここは
直腸再建した箇所と
膀胱を支える大事なメッシュがある所。

また質問・・「ここが通らなかったらどうするのですか」・・・聞いてから自分で気がついた。
答えは「人工肛門」になる。のだのだのだのだ・・・ん。と。

これね、術後の説明では大腸のことは聞いていなかったので私はわけがわからなくなった。
月曜日検査すると言われても、訳が分からず納得行かず、夜に不安はかなりひどくなった。 そこで、看護師に検査の前に主治医からもう少し説明が欲しいことをお願い。

お願いはしたものの不安を解消するためには、どのように何を聞くのかこれに悩む。
例によってノートに書き、整理してみた。
今の状態は、経鼻栄養も、ラコールも通過できない状態で、術前より良くない状態だ。
大腸の触ることができなかった部分にのことは、術後の説明には無かったが、予想のついたことなのですか?
今度は大腸が詰まっているかもということで戸惑っています。

こんな風に整理したけれど、結局感情の部分「どうして・・」という点が一番聞きたいとわかった。

「どうしてまたイレウス?」なのだ。

こんな不安な夜、車を走らせとんできてくれたKさん。嬉しかった。


いろいろ 2007年6月6日


術後8日目、イレウス。

前回の術後10日目の記録を書きかえる「術後腸閉塞の術後」「腸閉塞」。
夜中から我慢できない腹痛で朝を迎える。昼に早速透。検討の結果、三度目のイレウスチューブ挿入に。
平常心を失った。「どうしてよ・・・」と動揺。

挿入時の痛みをす少しでも軽くしようとM先生の気持ちとして、キシロカインゼリーが鼻の穴にたくさん流し込まれました。

状況としては、小腸は剥離できている。のにイレウス。


いろいろ 2007年6月3日


バッチっと眼を開いてしまって慌ててそれを閉じた。私は、手術中ではなかったか・・・・と。どのような状況で眼を開いたのでしょう。
前回のN先生の「かたおかさん終わったよーん」の優しい声で気がついたのに比べたら、なんだか衝撃的。
目覚めと言ってもそれからも何にも覚えていない時間が続き、砺波の様にHCUに一泊するわけではなく、病棟のリカバリーにいつしか戻ってました。

手術は終わり、心配していた術後せん妄にも陥らなかった様子です。
小腸は切除することなく、剥離できたようです。
きれいに剥離できたので胃ろうは造ってこなかったそうです。

昨年の砺波の手術では距離的な問題から、家族も付き添うことができませんでしたので、手術結果も電話で息子に伝えられていました。
今回は出迎えられたのか?、虚ろな状況の中おかしな気分でした。 後日メールでiPhotoに「回復室での写真入ってるよ」と。

月毎のいろいろ

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