くぷ日記
in Archeage

これまでの探検
(2016年3月)


 2016年 3月26日(土) <球体の模型><大陸考古学会の闇>

エズナの王宮の近く、執政官邸を訪れたとき、机の上に気になるメモを発見しました。




イフナ文字の書かれた紙です。

何が書かれているか調べてみましたが、これは単に、
アルファベットをABC・・・と書いてあるようなものでした。
(2016年2月20日の調査で掲載した文字一覧と、同じ順番で書かれています。)

ちなみにこの机、蜃気楼の島でも「王家の机」として展示されていて、メモもセットものです。
豪邸などでは、よく置いてある机です。

ただ、この執政官邸の机の上には、他では見かけない模型があります。

何かを示した、球体の模型です。



これはきっと、この世界を表したものにちがいありません。



六分儀で緯度や経度っぽいものを調べることができるので、
試しにリリエットの座標(西経8度、南緯13度)を探してみると・・・



だいたい、赤い点の位置になります。
海の上ですね。

何かがちがうようです。

六分儀は、アイテムの解説を見ると「デルフィナードから自分の位置を測定できる」と書いてあります。
デルフィナードとは、旧大陸にあった都市の名前です。

西大陸や東大陸、そしてぼくらが行動できる範囲の旧大陸では、
六分儀を使うと、すべて「Sいくつ」と表示されます。
これは、ぼくらの行動範囲が、デルフィナードより南であることを示しているようです。南半球である、ということではなくて。

[参考]英語版の六分儀の解説
This tool allows you to measure your geographical position based on the location of the ancient city of Delphinad , which was once Auroria's capital.
(これを使えば、古代都市デルフィナードの位置に基づいた 地理的な位置を測定することができる。デルフィナードはかつて旧大陸の首都だった。)


となると、この模型におけるリリエットの位置を調べるためには、
地形を照らし合わせるしかないのですが・・・



なんとなく、この世界の模型ではないような気もしてきました。
(上の画像では、中国大陸やインドネシア、オーストラリアが描かれているように見えます。)



テーマは変わって、前回も登場した大陸考古学会の建物を、再び訪ねたときのこと。
(ちなみに、なぜまた来たかというと、ここにも「王家の机」があるから、それを確認するため。
 結局、机はあったけど、模型など特別なものは何もありませんでしたが。)

この建物も、エズナの王宮近くにあります。

サロニキたちが、今日も掃除をしていますね。



あら、あの下りの階段は?
今まで何度か訪れていたものの、見落としていました。

階段をおりて、

重々しい木の扉を開けて、地下室に入ると、



何やら怪しげな集団が。
なんか、やばいんじゃない?


さらに下におりていくと、



破壊神の石像を発見しました。

この像は、ロカのチェス駒でも見たことがあります。
キリオスの像ですね。

旧大陸を崩壊に導いたとされる、破壊神キリオス。
その信奉者たちが、王宮の近くに潜んでいたなんて・・・



台座の下には、人がいるようです。





正気を失った考古学者たちでした。

一人落ち着いて座っているパムピリウスは、
大陸考古学会の団長とされている人物です。
彼が元凶で、学者たちを洗脳していってるのかもしれません。

 

ああ、なんて恐ろしい! 早くここから逃げなければ!

ウェイトマナでNMに会ったときのごとく、
探検家くぷには、逃げることしかできないのであった。


 2016年 3月19日(土)<ツインクラウンとサロニキ><鍵と星>

前回の続きです。
イクリプス戦争で敗れたサリウム王国ですが、生き残りの多くは東大陸に渡り、ハリハランになりました。

逃げ遅れたのかなんなのか、彼らのうち西大陸に残った人たちはその出自ゆえ「サロニキ」と呼ばれ、今なお差別を受けています。

月夜の村の、テサール隊長いわく
「イクリプス戦争以来、サリウム王国出身の者も、国王陛下の慈悲によってツインクラウンの民として迎え入れられた。」
「しかし、一定階級以上の公職に就くことはできないし、エズナへの出入りも厳しく制限される。」

ヌイアンは、保守的で義理堅く、それゆえ復讐心の強い種族でもあります。
だからわれわれは、彼らを許さなかったのでしょうか。
彼らを訪ねてみました。

まず、ゴールド平原の「吟遊詩人」さんです。

サロニキの特徴は、背が低くて顔が丸っこいこと。



ちなみにサロニキの吟遊詩人は、月夜の村にもいたりします。



続いて、サンセット村のサロニキ・キャロルさん。



サンセット村のサロニキは、見たところ彼女一人のようです。
若く見えますが実は子持ちで、娘のソフィーは現在、行方不明になっているそうです。
身なりはあまり、よくありませんね。



こちらは、首都エズナのサロニキたち。

   

奴隷や物乞いをやっています。

その他、考古学会の建物の、掃除を担ってる者もいるようです。



(左の子は、ちょっとサボリ気味ですね。)

おそらく何百年もこのような扱いを受けている彼らですが、最近は、差別解消に向けた動きも見られます。

穏健派の「サロニキ解放戦線」や過激派の「レッドセプテンバー」が、ツインクラウンで活動しています。
フルムーンの貴族のなかにも、サロニキに恋人がいたなどの理由で、活動に手を貸す人もいるようです。
(サロニキの身分について説明してくれたテサール隊長も、実はそんな人物の一人で・・・。)

レッドセプテンバーは、エズナの橋の手前をうろうろしてるのを、よく見かけます。
影で邪悪な召喚術を使い、人魔戦争の名残を呼び出して、ツインクラウンを混乱させようとしているようです。
かなり危険な集団といえるでしょう。
(以前の調査(2016年1月30日)で見つけた黒魔道師サルディオンはヌイアンですが、
 娘の「ヨアンナ」の復讐のために活動していました。彼の妻がサロニキで、それで娘のヨアンナは迫害を受けて・・・とか、そういった経緯があるのかもしれません。)

ツインクラウンとサロニキの対立は、歴史的にも根深く、簡単には解決しそうにありません。



続いて、イクリプス戦争を仕掛けたイリオン王子について、
縁のあるものが残っていないか、調べてみることにしました。

これは、クレセントスローンの城内にある像。



(ちなみに、エズナの城内にもまったく同じ像があります。)

左が建国者のソルズリアンで、右がイリオン王子でしょうか。
ソルズリアンは魔術師だったから、本や杖を持っててもおかしくないですね。
それに、右の像は若々しく、いかにも「王子」らしい。



だから、右がイリオン王子だとしたら、



この巨大な鍵のようなものは、なんでしょうか。

イリオン王子と鍵、接点が思いつきませんね。
(迷宮を最初に制したソルズリアンであれば、迷宮の「鍵」を持っているといった関連付けは可能でしたが、
建国者である彼なら、もっと年輩に描かれるはずです。)




そこで、スパーキングビーチのイリオン基地を訪ねてみました。

イリオンの名前がついているので、何か手がかりが見つかるかもしれません。



テーブルの周りで見つけた、特徴的な置物。
鳥のとまっている部分が、鍵の形とよく似ています。
(蜃気楼の島で調べたところ、このアイテムの名前は「星の鷲装飾」。
どこら辺が「星」なのでしょうか。)

同じ置物は、クレセントとエズナ両方の王の間にもあるので、
王家と鍵は、何か関連があるのかもしれません。



あとこれは、トリスチ家の邸宅と、エズナの考古学会で見られる飾り。



王冠の前に交差した鍵が2つ、さらにその前に盾、といったつくりです。

マリアノープルは、ツインクラウンへの王妃(マリアン)の輩出権を持っているので、
御三家であるトリスチ家が、王家に関連する飾りをもっていたとしても、不思議ではないのです。




しかし結局、鍵が何を意味するのかは、今回の調査ではわかりませんでした。



ところで、城内にあった像ですが、

実は、同じ像がマリアノープルの広場にもあります。
こちらは、もう一人加わり3人になってますが。



(剣をもったヒゲのおっさん、誰なんでしょうね。)

像の頭の上は、探検ポイントです。



ここの像は、「星の石像」と呼ばれているようです。
これも、どこら辺が「星」なんでしょうね。






広場のブロックが、星の模様に近いのと何か関連がある?

今回は、鍵と星といったキーワードが見えてきました。
今後の探検の手がかりになればいいなと、思ってます。


 2016年3月12日(土)<イクリプス戦争の由来は>

古いメンヒルには、「イクリプス戦争」の記録がありました。

クレセントスローンの王座につくためには、危険な迷宮を踏破しなければなりません。
イリオン王子は、迷宮に挑戦しなかったために、クレセントスローンの王にはなれなかったそうです。
かわりに軍備を強化して、サリウム王国に戦争を仕掛けました。それが、イクリプス戦争と呼ばれています。



夜の語り部が売っている本『女神の子、イリオン』に、記載があります。



(本と言いつつ、内容はこれ1枚だけですが。)



主な戦場だったと思われる、クロススター平原。


昼デイリー参加時に撮影。

イクリプスの名前が残っています。
今でも夜になると、両軍の兵士たちが化けて出てきますね。

ところで、イクリプス(eclipse)とは、日食のことです。
何か意味がありそうな名前ですね。
今回は、その由来を考えてみました。

考え方<その1>



ゴールド平原は、太陽を象徴している。
(黄金の麦畑、そして西の村はサンセット(日の入り)、東の村はモーニング(日の出)と呼ばれていることから)
一方、ツインクラウンという地方は、月を象徴している。
(月夜の村、フルムーン居住地などの村があることから)

戦場であるクロススターから見て、ゴールド平原(太陽)は、ツインクラウン(月)に覆い隠されている。
この配置は日食を連想させるから、イクリプス戦争。



かなーと思って調べていましたが、
今回調査したなかでは、次の考え方の方が有力です。



考え方<その2>

クレセントスローン(crescent throne)は、三日月の玉座を意味している。
(クレセント海を意識して地図を見ると、地形が三日月形なのがわかります。
三日月の頭に位置しているのが、クレセントスローン。)

イリオン王子は、クレセントスローンを超えた発展を望んでいたから、
自分たちを「フルムーン(満月)」と表現したとしても、不思議ではない。
(エズナの貴族階級は、フルムーンを名乗っています。
指輪クエストで倒すフルムーン・ガプリオンもその貴族の一人です。)



西勢力の本部にある、旗。
月を表しているように見えます。
ちなみに、同じ紋章が、英雄マントにも描かれています。



一方、サリウム王国は、太陽を象徴していたんじゃないかと思います。



ハリハランの旗。
燃え盛る太陽の絵かな?
あと、逃亡先の東大陸でも「サンライズ半島」といった名前をつけていますね。

月の勢力が、太陽の勢力を侵略し始めた。
これは日食を連想させるから、イクリプス戦争。
『女神の子、イリオン』のなかでも、「太陽を覆う満月が南下し始めた」と書かれています。




この後も調査は続きましたが、長くなりそうなので、今回の報告はここまで。
続きは次回また書きたいと思います。



<次回予告>
サリウム王国の生き残りの多くは、東大陸に逃れ、ハリハランとなりました。
一方、西大陸にとどまった人たちも、存在します。
次回は、被差別民となった彼ら「サロニキ」を訪ねるところからはじまります。




あら、いい笛を持っていますね。
サロニキのくせに生意気よ! 


 2016年3月5日(土)<古いメンヒル>

ソルズリード半島・ステア村の南の海辺、ちょっと目立たないところに、追悼碑があります。

追悼碑の横には、

かじられたリンゴが置かれていて・・・



と刻まれています。

(1256-1311)は、生没年を示しているようです。

ここから分かるのは、
この世界にも、いわゆる紀年法(年を数える方法)が存在するということ。
では、今は何年になるなのかな?

というのが、今回の調査のきっかけです。
ステア村の近くには古いメンヒルがたくさん残っているので、見てまわりました。
(ちなみに「メンヒル」というのは、大きな石でできた記念物のこと。ヨーロッパで大昔につくられたものだそうです。)


メンヒル研究家いわく、古いメンヒルには、
西大陸の忘れられた歴史が記されているそうです。
その一部を、レポートします。



旧大陸が崩壊した際、人びとは女神ヌイの力でこの大陸(西大陸)に移動してきました。

未開の土地で最初に力を得たのが、魔術師のソルズリアン。
「ソルズリード半島」は、その名にちなんで付けられた、ということですね。
なお、旧大陸の崩壊は、約2千年前の出来事です。(公式HPのストーリーより。)





アビスに封印された、ナチャッシュのお話。

邪悪な精神は、今でも人びとに影響を与えています。
「血塗られた手」がナチャッシュを崇拝しているのも、その影響を受けてしまってるからなんでしょう。
(ナチャッシュって、クトゥルフ神話要素が豊富ですね。)





エルフやフェレってのは、仕方のないやつらだな。

・・・しかし、ヌイが人びとを逃がす時間を稼ぐために、
エルフの英雄アーランゼブと、フェレの英雄タヤンは、キリオスと戦いました。
二人は命を落としましたが、負けると分かって挑んだとされています。





いつの時代も、若者はけしからんですね。



「古いメンヒル」のなかでは、最も新しいと思われる記録。



メンヒルの記録は、ここで終わっているようです。

(ちなみに、東の地に逃れたサリウム王家の生き残りが、ハリハランです。)



これは、サーベイランス村の近くにある「ソルズリアンの扉」。



メンヒルの記録のなかでも、扉のできた経緯は不明とされています。

でも、石に刻まれているこの特徴的な模様は、なんなんでしょうね。

 

今回の調査はここまで。
結局、年数が書かれている記録がなかったので、今の暦はよくわかりません。

が、いつものように何かしら推測を書いてみましょう。

@ステーブ・ジョブ氏の追悼碑は、遅くともツインクラウン誕生より前につくられた。
 追悼碑は、古いメンヒルと同じ様式 でつくられています。
 またメンヒルのなかには、「私が最後のメンヒル記録者で、これが最後の記録になる」などと記されたものもあります。
 見つけたなかでもっとも新しい記録は、ツインクラウンの誕生です。
 メンヒルが作られたのがこの時代までなら、追悼碑もそれ以前につくられた ことになるでしょう。
 かなり昔のものということになりますね。

A今は、20XX年?
 紀年法は、何か大きな出来事を元年としているはず です。
 メンヒルに記された様々な歴史を見ても、旧大陸の崩壊・西大陸への移住ほど大きな出来事は、ありません。
 旧大陸の崩壊が約2千年前だから、それを元年とすると、今は2000年ちょっと になるかな。






最後に、ステーブ・ジョブ氏(1256生-1311没)について。

今回の調査によると、かなり昔の人物ということになりますが・・・

   
↑スティーブ・ジョブズ氏。             ↑アップル社のロゴ。

(実はけっこう最近の人なのかも。)

さらに、追悼碑のある場所から少し北に進むと、



ガラス瓶を発見。

中に入っている紙切れには、こう書かれています。




旅程そのものが報酬。(The journey is the reward.)
スティーブ・ジョブズ氏の名言の一つ、らしいです。