爺と婆の世間話
(山陰中央新報セールスセンター発行の「りびえーる」に掲載したものです。)


第百話 なして(2005年6月26日掲載)

【出雲弁】

「洗面器にオタマジャクシがはっとーが、なしてかや」

「拓也が理科の観察さんなんてて、言っとーましたじね」

「ワッハッハ。オタマジャクシみーちーと、大阪の孫らちのこと、思い出すがのー」

「あげあげ。どべちゃだらけで、よつかえんでしたじね」

「たんなかねメダカがおったてて、持って帰えってのー」

「見てみら、おまえさんみたいに、腹の出たオタマジャクシですがねー」

「そげそげ、足がちょんぼし出かけとったがのー」

「都会の子どもらちゃ、メダカだい、オタマジャクシだい見たこたないですだけんねー」

「かわいそげなもんだわのー」

「メダカやオタマジャクシも、まちがわいて迷惑しとーますわね」

「おらだてて、オタマジャクシと一緒にさいて気分がわりじ」

「あらら、なんぞ気にさわーことでもいーましたかいね」

「おらものー。ここんとこ、腹が出て来て、気にしとーとこだが」

「さ、酒とじーわが、すぎーけんですわね」


【共通語訳】

「洗面器にオタマジャクシが入れてあるけど、どうしたかい」

「拓也が理科の観察をすると言っていましたよ」

「ワッハッハ。オタマジャクシを見ると大阪の孫たちのことを思い出すよなー」

「そうそう。水田で泥まみれになって大変でしたよ」

「田んぼにメダカが居たといって捕って帰えってねー」

「見てみると、おまえさんのように腹の出たオタマジャクシでしたよねー」

「そうそう、足が少し出かけていたよなー」

「都会の子どもたちはメダカもオタマジャクシも見たことがないからねー」

「かわいそうだよなー」

「メダカやオタマジャクシも子どもたちに間違われて迷惑していますよね」

「おれだって、オタマジャクシと一緒にされて気分が悪いよ」

「あらまあ、何か気に障ることを言いましたか」

「おれもなー。最近、腹が出て来て気にしているところだよ」

「それは、酒とつまみ食いが過ぎるからですよ」

(解説)
 田植えが終わり少し成長した稲の周りに冬眠からさめたカエルが卵を産みます。ふ化してオタマジャクシになり、後ろ足が生え、前足が生え、しっぽが無くなりカエルに変身します。便利な時代になりましたが自然と触れ合うことも少なくなり寂しい思いをしているのは私だけでしょうか。

(参考)
 「なして」は「どうして、なぜ」という意味です。室町時代末から近世初めごろに使われていた古語の「なにして(どうして、なぜ)」が変化したものといわれており、現在では東北地方や西日本などで使われています。「じーわ」はつまみ食いのことです。

 

奥野栄

 

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