爺と婆の世間話
(山陰中央新報セールスセンター発行の「りびえーる」に掲載したものです。)


第二十五話 でこさん(2002年5月12日掲載)

【出雲弁】

「拓也が、”おかめ”、みたいな、でこさん、かいちょったが、あら、なんだらかのー。」

「こなまいさん。あら、おかさん、だわね。こないだ、保育所で、かいて、戻ったげなじね。」

「そげいわ、母の日だったのー。」

「オジジ。聞いてやって、ごしなはい。きしゃがわりて、きしゃがわりて・・・。」

「なんが、あったかい。」

「スーパーで、なんだいちー、花を、ごさいてて、いーもんだけん、ならんじょった、とこーめが、ちょーど、おちの前で、ななって、しまったがね。」

「そら、えけだったの。」

「どこだい、しらん、ババが、えっぱいごと、孫、ちぇとっちゃってね、こな、店員さんが、そーやちにも、ごっと、やってだ、もんだけん、け、ほんね。」

「ちょべ子らちも、おかさんに、プレジェントさな、えけんけん、だわや。」

「おち、だてて、母親だじね。もらわな、えけんわね。」


【共通語訳】

「拓也が”おかめ”のような人の絵をかいていたが、あれは、何だろうかねー。」

「これこれ、あなた。あれはお母さんですよ。こないだ保育所でかいて帰ったそうですよ。」

「そういえば、母の日だったねー。」

「お爺さん。聞いてくださいよ。しゃくにさわって、しゃくにさわって・・・。」

「何が、あったのかい。」

「スーパーで、何とかという花をくれるというものだから、並んでいたところが、ちょーど私の前で無くなってしまったんですよ。」

「それは、いけなかったね。」

「どこか知らないお婆さんが、たくさんの孫を連れていてね、あの店員さんが、それら全員にあげるものだから、もう、本当に。」

「小さい子たちも、お母さんにプレゼントしなければいけないんだよ。」

「私だって母親ですよ。もらって、当然ですよ。」


(注釈)
 子供がかいてくれた父母の顔は今でも目に焼き付いています。子を持つ親の喜びを感じる一瞬です。

(参考)
 西日本では人形を「木偶(でこ)」と言いますが、出雲地方や鳥取県などでは人物画にも使います。
 「気色(きしょく)」は「気分・気持・気味・具合」の意で用いているところがあるそうです。「きしゃがわるい」は「気色(きしょく)が悪い」が訛ったものかもしれませんね。



(奥野栄)

 

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