爺と婆の世間話
(山陰中央新報セールスセンター発行の「りびえーる」に掲載したものです。)
第四十六話 ちょっぱい(3月23日掲載)
【出雲弁】
爺「”暑さ寒さも彼岸まで”てて、よー、いった、もん、だがの。」
婆「あげ、あげ。桜も、いつ、めご、ださかと、もって、まっちょー、みたいです、がね。」
爺「ババ。ぼたもちが、え、ぐあいに、できちょーの。」
婆「小豆の、え、やちが、手に、はーましてね。」
爺「今市に、持って、行って、あげー、だわや。」
婆「あんさんが、とこも、あねさんが、ちゃんと、こしらえちょらいます、わね。」
爺「ババの、こしらえちゃった、ぼたもちは、ほんね、まい、がのー。」
婆「そげん、おだてた、てて、なんだい、でー、しません、じね。」
爺「ちょっぱいや、なんかだ、あーせんじ。ほんの、ことだ、がや。」
婆「あした、今市の、仏さん、おがんに、いきます、けんね。ちーはんは、そこ、あーもんで、くっちょいて、ごしなはいね。」
爺「おんおん、え、じ。今市の、あんさんに、よろしね、いっちょいて、ごいたの。」
婆「オジジ。なんだい、いつもと、ちがー、やなが、なんぞ、魂胆ども、あーしません、かいね。」
爺「なんだいだ、あーせん、だどものー。」
・・・・・
爺「田植えが、終わったら、玉造へ、なくさんに、行かこい、ちーことに、なってのー。ババ。行っても、え、だらかのー。」
【共通語訳】
爺「”暑さ寒さも彼岸まで”とは、よく言ったものだよ。」
婆「そうそう。桜もいつ芽を出そうかと思って待っているようですね。」
爺「お婆さん。ぼたもちがいい具合にできているね。」
婆「小豆のいいのが手に入りましてね。」
爺「今市(のお兄さんのところ)へ持って行ってあげなさいよ。」
婆「(今市の)お兄さんのところも、兄嫁さんがちゃんと作っておられますよ。」
爺「お婆さんが作ったぼたもちは本当においしいからね。」
婆「そんなにおだててても、何にもでませんよ。」
爺「でまかせなんかじゃないよ。本当のことだよ。」
婆「明日は、今市の(お兄さんのところに)仏様を拝みに行きますからね。昼食は、あり合わせのもので食べてくださいね。」
爺「はいはい、いいよ。今市のお兄さんによろしく伝えてくれ。」
婆「お爺さん。なんだか、いつもと(様子が)違いますが、何か魂胆でもありませんか。」
爺「何でもないけどねー。
・・・・・
爺「田植えが終わったら、玉造温泉へ息抜きに行こうということになってねー。お婆さん。行ってもいいだろうか。」
(注釈)
出雲市今市町はお婆さんの里です。お彼岸様なので、明日は仏様を拝みに里へ行くそうです。お爺さんは首尾よく玉造温泉行きの許可を得ることができるのでしょうか。
(参考)
「ちょっぱい」は出雲地方や西伯郡で使われている言葉で「でまかせ」・「外見」・「はした者」などの意味があります。
(奥野栄)