爺と婆の世間話
(山陰中央新報セールスセンター発行の「りびえーる」に掲載したものです。)

第六話 ほえごめそ(7月22日掲載)

【出雲弁】

「オジジ。今度の土曜日は、花火が、あがーげなが、えっしょね、えかや。」

「そげだのー。ふさしぶーね、えきて、みらかのー。」

「おとさんも、おかさんも”土曜は、仕事が、けわして、おそんなー”てて、えっちょったけん、孫やちを、ちぇてえって、やらかねー。」

「拓也が、なんぼぐらいの、ときだっただいの。おとなえが、すー、たんびに、ほえちょったがのー。」

「あげあげ。あんやは、おもっそがっちょったね、拓也は、しそごで、ほんそほんそで、育てただけん、ほえごめそん、なって、しまったがね。」

「おんなじ、おとででも、育て方で、あげん、ちがーもん、かいの。」

 

【共通語訳】

「お爺さん、今度の土曜日に花火が上がるそうだが一緒に行こうよ。」

「そうだね。久しぶりに行ってみようかね。」

「お父さんもお母さんも”土曜日は仕事が忙しくて遅くなる”と、言ってたから、孫たちを連れて行ってやろうかね。」

「拓也が幾つぐらいのときだっただろうかね。音がするたびに泣いていたよね。」

「そうそう。お兄さんはおもしろがっていたのに、拓也は末っ子で大切にかわいがって育てたものだから、泣き虫になってしまったよね。」

「同じ兄弟でも育て方であんなに違うものかね。」

 

(注釈)

 夏になると各地で花火大会が催されます。真上に揚がる花火と腹に響く大きな音が何ともいえないのですが、「ほせこ(幼い子)」には怖いかもしれませんね。

(参考)

 出雲地方では泣くことを「ほえる」言います。出雲弁を知らない人に「ほえる」は「泣く」ことだと説明すると、動物と一緒ではないかと笑われてしまいます。しかし、狂言では「ほえる」を「泣く」の意味で使用することがあるそうですから、私たちのほうが文化の薫り高い言葉を使っているかもしれませんね。なお、兄弟のことを出雲平野では「おとで」、仁多郡では「おとどい」と言うそうです。

 

(奥野栄)

 

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