赤川の魚
(島根県立宍道湖自然館ゴビウスのご協力で
共通語魚名から魚の映像へLINKしています)
魚類
昭和36年か37年に洪水があって、海潮温泉の橋が流され、その欄干が当たって大東小学校の前にあった木の橋も流されてしまいました。
昭和40年ごろにも大水が出まして、これは夜だったのですが、下流の加茂の土手が切れて、死者も出る大惨事になりました。
その後、河川改良工事が相次いで行われ、赤川は用水路のようになってしまいましたが、昭和50年頃までは比較的水も綺麗では魚も種類、量とも沢山おりました。
浅瀬に「はえんご」が真っ黒に群れており、石を投げると腹を返して流れて行くほどでした。
魚で最も多いものは、「はえんご」(はえ)ですが、「はえんご」が少し大きくなると婚姻色でめすは体側が虹色になるので「にじばい」(オイカワ)と呼んでました。
雄は婚姻色で体側は青く、ひれは赤くなり、口の回りに追星(白いぶつぶつ)ができます。これを「ひがい」と呼んでいました。
「ひがい」は弱くてすぐ死にます。
次に釣れるのは「あかんばい」(かわむつ)です。
これも体側は赤くなっています。
大きいもので20センチぐらいになりますが、それくらいのはたまに食べましたが、不味い魚です。
「どろんばい」(あぶらはや、たかはや)はやや冷たい水のところで、流れが淀んだところにいました。
これは色が黒っぽく、小さく、気持ちが悪いので大概捨てました。
しかし食べてみると以外に美味です。
川底にいる魚には「ぼっか」(どんこ)、「ごじれんぺ」(よしのぼり)、「しなきん」(すなどじょう)がいました。
「ぼっか」は茶褐色の縞があったり、全体に黒っぽかったりしますが、頭が大きく石の下に隠れています。誰にでも釣れます。
これを釣る時の餌は「ぺんぺこめめぞ」です。
「ぼっか」は焼いて食べると意外に美味です。
「ごじれんぺ」は細長い3センチほどの小さなハゼです。
目の下に赤い線があります。
*「しなきん」(シマドジョウ)は水の綺麗な砂地にいる「どじょきん」(どじょう)です。
*「どじょきん」のようなぬるぬるはありません。
昭和43年ごろ大水の後、急に「かわはぜ」(かまつか)が出現しました。
これは今までいなかったので名前が無く「かわはぜ」と誰かが言い出しました。
「たなご」(ヤリタナゴ)もまれにいましたが、昭和30年代の後半には非常に少なくなっていました。
「やなぎばい」(あかざ、またはぎぎ)を釣った人がいて、私は見たのはそのときだけですが、その人がこれは「やなぎばい」であると言ってました。
もちろん「鯉」、「鮒」、「うなぎ」、「あゆ」、「うぐい」もいました。
魚とりの対象はもちろんこれらですが方言はありません。
大東高校の下流、阿用川の合流点あたりからは「なまず」、「雷魚」もいました。
水温の違いだと思います。
甲殻類等
昭和30年代は透明なえび(スジエビ)もいて獲れたら鶏にやりました。
亀も沢山いて「くそがめ」(くさがめ)、石亀(共通語)、すっぽん(共通語)がいました。
春先に畑起こしをすると亀が出たりしました。
赤川の上流部にはまだそのころは「はんざき」(おおさんしょううお)がいて捕まえると学校で飼ったりしてました。
塩田や阿用に多かったです。
中には食べた人もいたと聞いています。
蛍は戦前は赤川の名物であったらしいのですが、現在は度重なる河川改修で見る影もありません。
昭和30年代は沢山いましたので、蛍を獲って遊びました。
戦前は出雲大東駅の近くの鉄橋の上で汽車が止まって蛍見物をしたそうです。
源氏蛍の雄と雌がそれぞれ球状に固まって火の玉になって飛び、交尾のためにぶつかるところを見物したそうです。
今残っておれば、大変な観光資源です。
漁法
ぬかつけ、はいとりびん
洗面器に布を張って、真中に経3センチほどの穴をあけます。
この中にぬかを入れて、浅瀬に沈めると魚が真っ黒になってよって来ます。
ころあいを見て上げると中に「はえんご」が沢山入っています。
ぬかつけの専用の器具が”はいとりびん”というもので、本来は蝿を取るものですが、魚獲り用にも使われました。
後で魚用の専用の”はいとりびん”が出ましてこれは一升瓶の形でした。
ガラス製で割れやすいものでした。
つけばー
つけばりです。「うなぎ」を獲ります。
どじょきんを釣針にさして一晩置いて朝あげに行きます。
早く行かないと他の者に取られるので必死でした。
おろつかん
大石の下に手を入れて魚を掴みます。「ぼっか」の卵があったり、「うなぎ」が出てきて吃驚したりします。
「つぼがに」に挟まれないよう注意が必要です。
瀬でやるときは、まず石をどんどん投げて鮎(あゆ)を石の下に追い込んでからおろつかんで獲ります。
やす
小学校ではやすが禁止されてました。
三刀屋あたりで、他人が投げたやすが背中にたたった人がいたためです。
中学になって正々堂々やすで鮎(あゆ)を突きました。
「うなぎ」用に鉄砲の形をした刃が一本のやすを自作する人がいて、”てっぽう”と言ってました。
一般的にやすのことを”やすでっぽ”といいました。
投げ網(とあみ)、張り網
これは大人がやってました。
不明
夜中に川に入って、のこぎりの背中で魚を切りつけて獲る人がいましたが、漁法の名前は不明です。
遠藤[大東]