本文は長岡市立科学博物館ホームページの長岡藩主牧野家資料館・
「ようこそ殿様の部屋へ」から許可をもらい掲載しています。


■殿様日記 vol.2 宗へん流お初釜
   平成25年睦月
 平成25年1月14日、茶道宗へん(注1)流山田家新春初釜(はつがま)にお招きを頂き、私たち夫婦は有難くお受けすることにした。当日の天気予報はあいにくの雨、関東地方はところにより雪であった。
 お家元邸は鎌倉の浄明寺(じょうみょうじ)近くにあり、私の自宅からはタクシーで15分ぐらいのところである。出かける頃には雨であったのが鎌倉に向かうにつれて白いものが混ざり、鎌倉市内のお屋敷の屋根は朝から降り続いていたのか、もうすでに雪が積もっていた。
 お家元のお玄関で新年の御挨拶を交わし、お待合(まちあい)に飾られていたお道具をしばし眺める。御軸は「雪中」が掛けられていた。初めは別の掛け軸であったものが朝からの雪で急遽「雪中」に掛け替えられたとか。素晴らしい御趣向である。
 同席の方々とお話をしながらお茶室への御案内を待っていると間もなくご案内があり、お待合の外に出るとお庭一面に雪が降り積もり得も言われぬ美しさである。一瞬寒さを忘れてその景色に見入ってしまい、長年住んでいた京都の冬を思い出していた。
止観亭(しかんてい) のお茶室へ続く飛び石は、そこだけ箒で雪を払いのけてある心配りである。
黒紋付き、袴姿の男性が傘のかわりに編笠を両手でかざし、私たちをお茶室へ先導して下さる。
 止観亭は以前京都にあり、一條家(いちじょうけ) 、醍醐家(だいごけ) に引き継がれ、現在はこの宗へん流山田家のお庭に移築され、国の重要文化財となっている。
千利休の妙喜庵(みょうきあん) 、織田有楽斎(おだうらくさい)の如庵(じょあん) は共に国宝であるが、
↑宗へん流初釜にて
↑宗へん流家元邸内庭
↑雪の止観亭(奥)
その次に続くものと言えば恵観山荘(けいかんさんそう) 茶室(止観亭)と言われる名茶室である。
 この止観亭ではお家元のお点前で、お家元自らお道具のお話を静かにされるのを伺いながらお正客としてお濃茶を頂いた。静寂の中お湯がたぎる音だけが聞こえ、時折降り積もった雪に耐えかねた木の枝がバシッと折れる大きな音が静寂を破る。まこと、わびさびの境地に身を置いている気がした。
 止観亭を退出し時雨席(しぐれせき) に移動するときの御案内は女性の方であった。編笠を持つ袖から両腕が吹き殴る大雪にさらされていたので、思わず「冷たくございませんか?」と伺っていた。
 時雨席では朱塗りの盃で乾杯をさせて頂き、おいしいお料理を頂戴した。お家元夫人からお床の間の掛け軸のご説明があった。富士の絵とそれに添えられたお歌の作者は松平定信公との事。
私は白河藩主松平定信公と長岡藩主9代忠精(ただきよ) 公はお互いに老中で大変親しく、よく幕府の運営改革について話し合った間柄であった事。定信公の姫、婉姫(えんひめ) は9代忠精公の長男忠鎭(ただしず) の正室であったが、残念ながら忠鎭が早世したことをご披露した。また定信公のご子孫は現在逗子に在住であり、私の又従兄弟(またいとこ) なので時折お目にかかっていることもお話しさせて頂いた。
 お腹もいっぱいになった後は最後に薄茶の力囲席(りきいせき) である。
↑薄茶席
↑薄茶席での忠慈
  
ここは立礼(りゅうれい)で私たち夫婦はお正客、お次客としてお茶室からガラス障子越しに雪のお庭を眺める事が出来る素晴らしいお席に案内された。
 お点前は愚息忠慈である。初釜ではいつもこのお席で愚息のお点前を頂いている。愚息も以前に比べると少し余裕が感じられる。親子の対面ではないが、これほど晴れがましくうれしいことはない。お席主は長岡支部の桑原宗夏先生で、絶えず気配りをして頂きこの上ない至福の時を過ごした。
 愚息が茶道の道に入ってから日頃は松永宗亨先生に熱心に御指導を頂き、お家元をはじめ皆様には温かいお計らいを頂き心より感謝している。
 長岡では屋根の雪降ろしをしなければならない状態で、皆が大雪に苦労をしているというのに、所変わって鎌倉ではたまさかの雪を風雅と感じる。長岡の方には申し訳ないがと思いながら、雪の降りしきるなか帰途についた。

       (注1)宗へん流の「へん」の字は、行人べんに扁。
もどる