本文は長岡市立科学博物館ホームページの長岡藩主牧野家資料館・
「ようこそ殿様の部屋へ」から許可をもらい掲載しています。


■殿様日記 vol.3 お印
   平成25年皐月

 今回で第 3回目を迎える「長岡藩主牧野家の至宝展」は、 5月 30日(木)から 6月 2日(日)までアオーレ長岡の 3階で開催される。 「かしわ、雨龍(あまりょう) 、五間(ごけん) ばしご」と題して牧野家に伝わる調度品、長棹、箪笥や市民の皆様が伝えてこられた品々も展示する。
 ここでは長棹や箪笥についている「お印(しるし) 」について記したいと思う。
 私の父方、母方の祖母は共に伊勢津藩 32万 4千石の大名藤堂家(とうどうけ) の姉妹である。妹にあたるとう子(注1) は藤堂高潔(とうどうたかきよ) の三女で牧野忠篤夫人となり、姉にあたる銑子(つやこ) は藤堂高潔の次女で公卿(くぎょう) 高倉永則(たかくらながのり) 夫人となった。
それゆえ、 二人のおばあ様からの藤堂家のお道具が我が家に残っているが、当時は皇族方のように各人に「お印」が決まっていたので、どの方の持ち物なのかがよく分かるようになっている。ちなみに、とう子様は柳印、銑子様は松葉印、母元子(はつこ) は扇印であった。
 長棹や箪笥以外にもお道具類を包んでいた箱やふろしき類すべてに「お印」が記されている。例えば、銑子様の御針箱が入っていた箱の表書きには「御定紋ちらし御針箱壱個松葉印」と記されている。座布団を包む大ふろしきの隅にも「松葉印」と書かれている。藤堂家の家紋は蔦(つた)でお道具類には蔦の花と蔦の葉の紋が散らしてある。
 我が家に伝わるおひな様の箱の表にもそれぞれ「お印」が記載されており、どの姫君の持ち物なのかを判別する事が出来る。今回展示する長棹や箪笥にはそれぞれ木札が付けてあり、表裏に「お印」と通し番号がふられている。
↑とう子様の長棹の鍵(柳印)
銑子様の箪笥黒漆塗鍵(松葉印)
↑ふろしき(蔦の紋と柳印)
 最近「お印」が使われなくなったのは、戦後の学校制度の都合などもあり、品物に直接名前を書くことに、はばかりが無い時代になったからかもしれない。今は一般に使用されなくなった「お印」を今回の至宝展でご覧頂ければ幸いある。
 蛇足であるが、今、皇族の中で最もお若い秋篠宮悠仁親王様の「お印」は高野槇(こうやまき)、その木は悠久山でも見る事が出来る。


    (注1)とう子の「とう」の字は、金へんに豆。
↑長棹黒漆塗(柳印)
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