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* 表裏の対照感に個性はあっても、花色それ自体は平凡なもの。この花が
最も美しいときは散るまでに二度ある。一度目は写真のような開き始めた
ときの高芯を包む姿。いかにも流麗な感傷性もある花容の魅力。二度目は
開ききったときの香りのすばらしさ。その香りは言葉に換えられない。わ
たしがクララに出逢ったのはヘリテイジやエヴリン、ダブル・デライト、
ブルームーンなどを知るはるか以前のことだった。それでもその後、クラ
ラを凌ぐものに出逢っていない。個人的に香りの代表花として推奨するの
は、まちがいなくこの薔薇だ。この世のものとは思えない。化学の進歩で
どれほどの人工香料ができようとも、クララの放つ至高の香りの前では誰
も酔えないだろう。魂を覚醒させるような……
この薔薇は開ききるまではほとんど香らない。そのあたりも常識を超え
ている。決して強香種でもない。それなのに、わが園を訪れてこのクララ
の香りを嗅いだ人たちは、しばらく声を失ってしまう。そのあとで、後述
する物語を披露すると、感じやすい女性の中には涙を浮かべて聴く人もい
る。しかも……夕刻にはその香りはもう無い。翌朝まで待たなくてはなら
ない。さらに、ほとんどの花が二日目以後は香らなくなる。この世での、
数時間だけの香り……
* 一番花は5月上旬に咲き始める早咲き。花保は5~10日間。花期はお
よそ2週間と短い。房咲きにはほとんどならない。その分一輪へのリン酸
の集中が強い。全輪が同じ姿に整い( 花梗まで同じ )、乱れのまったくな
い完成度の高い品種。高湿度でもブルヘッドにならず、ボウルしない。そ
んな蕾が大きく揃ったときにも見応えがある。散り際はよい。雨に遭うと
散りは早まる。ステムは太く充実していて、折れ曲がることはまず無い。
刺も少ない。
* 主幹は偏伸びしやすく、剪定は強く行うことになる。ブラインドは少な
いが、主幹以外の枝が弱小枝になりやすい。秋剪定は9月3~5日に。
* 元肥でNは必ず油かすで与えること。NPKの比率は1:2:1。多肥害
の心配が要らないので、油かす300g、骨粉またはヨーリン400g、
硫酸カリ150~200g。追肥はNを必ず含めたP中心の施肥とし、K
や石灰類をひかえめにする。夏期の花がおおらかにゆったりと開くときは
肥培がうまくいっている。
* シュートは出にくい。ノイバラでなくツクシイバラを台木にするとよい
かもしれない。またシュートを出しやすくさせるためにも水は季節にかか
わらずたっぷりと。地植では面の広さを欲張らず、一箇所を掘り下げてそ
こへゆっくりと時間をかけて。3月の芽掻きもよい影響がある。
* 病害虫への抵抗力は弱い。ヨトウムシやチューレンジバチが好む。スリ
ップスの被害も気づかずにいると大きい。木酢は彼らには効果が高い。た
だし、弁の隙間にも少しでも液が入らなかったらまったく役に立たない。
黒点病には重曹1000倍の散布を。最大の効果はやはり冬季の石灰硫黄合剤
3倍の散布。
* コンパニオンとしては、害虫忌避効果でマジョラムとアスターや白花ゼ
ラニウム。耐病気ではパセリとオーニソガラム(ウンベラタム)、そして
収穫したラベンダーの葉によるマルチ。
* さて、クララの物語のこと。
オリンピックが開催されたスペインのバルセロナに、中心部からははずれ
てガウディ美術館がある。その少し南に現アルゼンチン共和国通りが横断し
ていて、そのさらに南にプーゲット公園がある。クララとアウロレの姉弟は
その近くに住んでいた。
時は第一次世界大戦が終わった直後。姉弟は父を戦争で亡くし、母と3人
で半ば廃墟のような家に暮らしていた。クララは16歳、アウロレは12歳。
三人はあらゆることをしながら懸命に生きていた。しかし社会全体がおちつ
くまもなく、母が病死した。このときクララは弟を養うには身を売るしかな
いと、泣きながら決意。生前の父親の社交相手の中には、彼女の美貌と容姿
にひかれる男たちが大勢いた。母が守ってきたが、限度がある。
いろいろな男たちの相手をするうちに、一人の男と知り合いだった裕福な
人物が彼女を悲しい生活苦から解放してあげようと、手をさしのべた。それ
が新しい悲劇、もっとつらい悲しみの始まりとなってしまった。
彼は姉弟を自分の雇い人の家に住まわせ、クララに手を出すことなく金と
心を差し出して養った。その人物も1年後に事業をマドリードで大きくしよ
うと考え、工場ともども移転することになった。ところがその時点で、別の
ところで働いていたアウロレが二つの理由から養い親たちに付いていくこと
ができなくなっていた。一つは彼を雇った人物との約束である。そしてもう
一つは亡き両親の元、故郷を離れたくないとの思いからだった。
そのころのスペインはポルトガルとともにドイツと戦った後で、今度はモ
ロッコの独立運動で揺れていた。そこに国内で過激な左翼運動が起き、その
失敗と失政の道をスペインは転がり落ちていく。そんな中で、まだあまりに
若い二人は 、残された日々を惜しむように公園近くの広場に立つ一軒の納
屋で度々会い、未来を夢見、約束を重ねた。二人の姉弟愛の強さは、周辺の
人々誰もが知っていたほどだった。
ついに別れの日が来た。クララは弟にこう言った。「このままずっと会え
なくなるわけなんて、絶対ないわ。わたしたちの家の庭にあったあの赤い薔
薇を覚えてる? みんなが好きだったあの薔薇の花を、わたしたちが一緒に
暮らして育てていける日はきっと来る! その日まで元気でいましょうね」
こうして二人は離ればなれとなった。ところがスペインはすでに独裁政治
の道へ突き進み、クララの親代わりとなっていた男もその犠牲になった。1
930年11月にマドリードで暴動が起きたときだ。混乱や人々の疲弊はクラ
ラの身にも危険を及ぼし始め、彼女は故郷へ帰ることを決意する。その決意
がまた新たな悲劇をもたらすことに。
故郷に帰ったクララは弟を捜し回った。一方アウロレの方は心が荒れてし
まっていた。姉の身を心配してマドリードまで行き、暴動に巻きこまれてか
ら、彼は権力を憎むようになった。そしてある種の過激な行動をくりかえす
党派の誘いに乗った。
クララの方は、自分が来たことを気づいてもらうために、納屋の中の、二
人がいつも会話をしていた一つしかない小さな椅子の上に、庭で摘んだばか
りの赤い薔薇の花一輪を置いて、納屋を後にした。
さんざんな目にあいながら、アウロレは納屋にたどり着いた。姉からの手
紙を握りしめて。
「愛する弟へ。5月の終わりにあの”館”へ帰ります。そのままずっといら
れるか、どうかはわからないけど。でもあなたと会いこれからのことをまた
話し合いましょう。お母さんたちの家がどうなっていても、かまわない。わ
たしは庭へ無断で入り、盗んででもあの薔薇の花を持ち、”館”へ行きます。
世の中にいろんなことが起きて、わたしたちはもう二度と会えないかもしれ
ない。それだけはいやだけど。 クララ 」
彼は呆然と佇み、あきらめに似た気持ちが強まっていく。そしてすでに大
人の彼は組織の一員として、当時破竹の勢いで権力への階段を上り始めてい
た「第三の男」をたびたびつけねらい、暗殺未遂事件に加わった。捕らえら
れ、処罰された。両眼を焼かれたのだ。
後に、死の間際にアウロレは人の会話から姉のことを知った。クララが、
その時の国家主席さらには総統となっていくフランコの愛人となっていたこ
とを。
絶望に似た激情が、彼の病死を早めた。
弟がすでにこの世にいないことを知らないまま、姉はときおりフランコの
屋敷を抜け出しては”一輪の館”に向かった。それは二人の庭の名も知らぬ
赤い薔薇が、持ち主不明のまま数輪の花を咲かせる季節だった。やがてクラ
ラは毎年5月に訪れるようになり、思いを託しながらただ一輪だけを摘み、
”館”に置いて帰ることをつづけた。
クララがその後どうなったのかは誰も知らない。その納屋もすでに無い。
残ったのは姉弟の悲しい物語だけだった。 ▲
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ブルヘッド……萼割れの後、開花直前に花全体が
主としてボトリチスに冒され、表面にかびが生えて
固まってしまう状態。外弁がほころんだころになりや
すい。
ボウル……かびが見られるかどうかにかかわらず、
ふくらんだ蕾が順調に開かず固まったままになるこ
と。病害だけでなく、温度によっても起こる。
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