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親しいKei、 モンタナネットワークのその後について、要点のみ告げま
す。
メンバーの一人が定例のチャットコミュニケーションにおいて紹介した人物
が、いくつかの所属グループを明らかにしていた中に、あまり評判のよくない
ものがありました。そのグループが紹介者を通してネットワーク拡大を持ちか
けてきました。統合ですね。一緒にやっていこうと、名称も目的を明確に示せ
るものへ変えようと提案してきたのです。モンタナのグループリーダーは拒み
ました。
その理由は二つでした 第一に、現在のメンバーたちが広範囲に居住し
ていても年に一度だけは集まって顔を見ながら会話をするような親しい間柄で
あり、その範囲や場所を変えることには現実に対面上の困難さが生じること。
州を越えてのワーキングには物理的な問題はあまりなくても、ネット内に好ま
しい人間関係を築くのに時間がかかり、本来の趣旨へ沿った行動を起こしたり
情報を集め整理する作業がおろそかになってしまう。同時並行で簡易なスピー
ドアップが図れるようなことではない。そのような範囲拡大、人員増を目指す
なら、他のグループをお捜しになってはどうかとアドバイスしたそうです。第
二に、その新たなグループの内容をよく分析してみると経済的な利得を本来の
目的にしているようであり、たとえまず州の財政を豊かにしていくのが主眼で
あって自分たちのMRIL(移民法改正運動)の骨格を傷つけない範囲でのみ
関わる、と明確に主張しているとしても、モンタナの観光資源をどう魅力的に
アピールしていけるかを求めている自分たちとは根本的な社会提示が異なる、
と伝えたそうです。このような場合、モンタナ州は移民問題を持たないという
点で州政府も市民も一致しているから、自分たちが傍観者に過ぎなくなると話
して理解を求めたようです。
ところが、粘り強い相手だそうです。第三者も協議へ招き入れて、話がやや
込み入ってきていると嘆いていました。わたしは言いました、拒絶が正しい態
度だとしてもネットワークの維持には外部からの参入に伴うある程度の煩わし
さは避けられないものです、と。彼もそのことはわかっていました。彼の妻は
ネットの強力なワーキンググループの一人であり、相談しながらその問題を解
決していくことでしょう。
この話をあなたに伝えるのは、以前のメールでの「パブリック・インタレス
ト=グレイテスト・コモンセンス」という、もともと定量化できない市民の幸
福を実数で明らかにしておこうとする行政の手法にあなたが疑問を感じていて、
それはわたしも同じであり、豊かな国の豊かな一市民としての当然の、生活上
ゆとりある考えを共有しているからです。貧しい人たちの幸福については貧し
い人たち同士でまず話し合い、その後結論を貧しくない人々が尊重していかね
ばならぬように、公益とはどの人々の益のことなのかがはっきりしていなくて
はなりません。その意味で、彼はおそらく新しい人たちが持ち出して来た内容
が、進め方において自分たちの目的とはなじまないと判断したのだと思います。
特定の人々の利得は、それに預かろうとする人々同士だけでまず結論を出さね
ばならない、と。
以上のようなことの経緯を入念に振り返りながら、わたしの考えの帰着はK
eiの考えの、おそらくは最も基本にあることと一致したのではないかと思い
ます。 通常、わたしたちのような静穏に日々を送り続けている市民は、
見知らぬ人々との親愛関係をいたずらに作ろうとして腐心するものではありま
せん。隣家に引っ越してきた人なら別ですが。つまり、親愛関係を容易に大勢
と結べるグローバリズムの一面において、だからこそかもしれませんが、わた
しとあなたとの京都での出逢いのように、声や言語や行動を伴う直接的な対人
関係がますます重要なのだと考え、あなたのお考えもそうだとして、賛意を表
明したいのです。
ただ、実際に世界に在る「ピース・リンク」やNPOのような既存のネット
に参画しないあなたの姿勢が、わたしたち夫婦や彼と同じく、周囲からなかな
か理解されない「実益を何も求めないグループは結局何も生まない」とする人
々の輪から弾かれるのも無理からぬことでしょうね。正しい理想を掲げた共同
体や集団へ、賛意を表明しメンバーとしてサインすることは簡単です。夫もそ
うしたサインを12回もしてきました。強制力を持たない、支援のサインだか
らです。けれどもあなたは、そのようなサインすらしないでしょう。そのこと
から類推できるのは、それらのネットや行動力、資金力、情報収集と分析力な
どすべての力を持つ人たちとは、必ずしも相容れないあなたなのではなくて、
むしろこれまでの手法や流れとは全く別の 規範ではないのかもしれませ
んが 方法を模索する姿です。益は力を生みます。同意は数の力となりま
す。けれども、あなたはそのようなことをお考えではないのですね? 薔薇の
ライフアメニティ、それはどのような形へ帰着していくものなのでしょう?
先週、わたしの孫の一人が結婚式を挙げました。とても幸せそうでした。そ
の印象を周囲の人々へ最も強く示していたのは、二人の誓いのキスとともに、
彼女が頭に戴く「薔薇の花のティアラ」と、夫となった人がやはり薔薇をボタ
ンホールフラワーとしていたことでした。二つの白い、オランダローズのセミ
ダブル「ヴィッセル・エンゲル」が、祝福の光をすべての人々に向かって放っ
ていました。ほんとうに二人の天使が輝いていました。そのような光景の直中
にいて、あなたの国日本と、あなたのことをも思いました 無益が徳を、
心情が理念を、導いてよいのだと。わたしたちもKeiもいる、自由な世界に
おいて。
Ann Roton
11.13 2006
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| ヴィッセル・エンゲル |
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親愛なるマダム・ロートン、
冬とは言えぬような、毛布不要の日が続いています。その内、ブリザードで
はあり得ないことでしょうが、寒さがこっそりと訪れるのでしょう。
来年1月に、東京へ行くことにしました。そこで、東京と福山それぞれの女
性たちから耳にした一人のご老人にお会いします。また、いくつかの薔薇の仕
事と薔薇園訪問をこなす予定でいます。
おそらくわたしは、先月のあなたからのメールの中に浮かぶわが人物像とは
異なっていて、言葉だけで親密になったと思う人へ人物紹介を簡単に依頼し、
それまでも会ってからも見えることと見えぬこととの重みの違いを理解しなが
ら、あるいはわきまえながら、逢うことに何のためらいも持たない一人なので
す。若いころから、周囲へ自身の意思を表明することと、実際にそれをある種
の行動へ移すことが同時でした。ショッピングストリートの組織も企業家集団
の組織も、またばら会でも、いずれもわたしの提案や意思をとりあえず承諾し
てくれましたし、多くの場合成果も悔悟も伴いつつも補い合ったり、検討した
りといったことでも協力者や批判者に豊かな状況の中で過ごすことができまし
た。
しかし今は一人ですし、一人でいたいのです。東京のその女性も、おそらく
は仲介者を通してかいま見えた人物通りかまたはそれ以上の人だと、楽観して
います。その人が、薔薇の道を懸命に歩んできた人だと、薔薇を通じて予想で
きます。このごろのわたしにとって、そのような予想がたいせつなのですし、
そのような人たちばかりと会っていたいものです。かつて自分がやってきたよ
うな努力、行動と協調、リードと批判、議論と心情の共鳴は、若い人たちに任
せておけばよいのです。わたしの現在の生き方は、彼等を全く必要としていま
せん。彼等もわたしを当てにはしていません。それでいいのです。かつて20
年間に亘ったグループ活動からは理念や実益において脱却しています。わが国
の人に向かってこのように言うと、ほぼ厳しい意見が返ってくるものですが、
アメリカのあなたには誤解されまいと思い、言えます。組織からの離脱がわた
しの益である以上、そうするのが当然であると。かつて一人でいることはその
まま孤立を意味しました。しかし今は違います。一人でいなければ孤立してし
まいましょう。そのような苦笑を禁じ得ない心の真実と向き合って、それでも
かねて持てなかった大いなる希望を抱いたうえで東京へ向かうのです。他の仕
事についても同じです。仕事ですから、集中することによる緊張感はあります。
それでも余裕があります。何一つ得なくてもいいのだとの、企業家らしからぬ
ゆとりが。与えるという名の押しつけでもなく、無益の実践をしてきます。よ
かったと思えることだけが今のわたしにはたいせつです。なぜなら、相手にも
そう思ってもらうのですから。
まもなくクリスマスが来ますね。キリスト教徒ではないわたしも、この日を
待ち、待つことと迎えることを楽しんでいます。信仰の本質は受難にある、と
敬愛するパスカルはあの『パンセ』の中で語りました。クリスマスを迎えての
毎年のわたしの心境も、その受難のことを本質として受けとめない立場である
からこそでしょう。だからイブの夜はいつも、庭に立ち、祈っています .
わたしの人生の受難と、すべての人々の受難とが、等しく心によって聖化され、
解消されますようにと。すべての軛からの解放こそ、自由ではありませんか。
人の数だけ神がいる。迷い、過ち、助け、傷つき、幸せを手にする日を求めて
いく人の数だけ。イエスも含め、この世に生まれた人の数だけそれぞれの祈り
があり、生まれることへの祝福があったように。
マダム・ロートンの身の回りで、一組の夫婦が誕生した出来事をわたしから
も心からお祝いします。この気持ちだけでも、お二人へ伝えてくださいません
か? 一人の日本人が、「二人の天使」という名の薔薇を心に描きながら、一
組の命をいつまでも尊いと思いつづけていると。
Kei
12.21 2006
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親しいKei、
あなたも新年を迎えて、多くの期待と計画と数々の備えを持って臨んでいる
のだろうと思います。おお、1年で最も楽しい季節です!
オレゴンはどの地方もこの冬に暖かさで包まれています、山岳地を別にして。
あなたのところもひきつづき暖かいのですか? これはきっと地球温暖化の現
象の一つなのでしょうね。
今年に入ってすぐ、わたしの友人が作出した花が昨年の「ローズ・オブ・ザ
・イヤー」に選ばれました。クライミングミニアチュアで「ゴールデン・オス
カー」という名です。受賞の歓びを彼女は映画のアカデミー賞に絡ませて言い
ました。「これからも伯父のような素敵な男性たちのハートを射止めていきま
しょう。わたしはローズ・アクトレスとして、あの深紅の絨毯が敷かれたステ
ップを登るつもりです。この世で最も美しく可愛い花とともに」
喝采を受けた彼女のチャーミングな笑顔は、とても素敵でした。審査をした
わたしもあの品種が受賞にふさわしいと、彼女と親しくなくても判断したでし
ょう。賞を授けることには、もちろんいろいろな配慮が含まれます。けれども
決して誤解を招くような事情はありません。それを皆がわかっています。その
ような信頼関係がなければ、これほど長く続かないはずです。しかも、毎年受
賞者が代わるのはそれだけ対象品種が多くて審査に難渋するからですし、連続
受賞がいかに困難であるかを証明しています。まるで「オスカー」という名の
由来が、アカデミーの世界でも混沌としているように、それだけたくさんの人
々と作品との関わりが広い世界です。
授賞式の席上、市長のトム・ポッター氏がスピーチで、「わが名をもしオス
カーに変えたら、ミセス・カーライルに射止めてもらえるでしょうか?」と言
って笑いを誘い、そのユーモアに応えた彼女は、「伯父が二人になったらどう
しましょう! 多分、オレゴンで一番のハンサムメイヤーさんに手を預けて登
りますわ。そして最初のオスカーには、7番目の天国でジャネットの相手をし
ていてもらいましょう」
皆が爆笑したのは言うまでもありません。あらためて彼女のウィットに驚き
ました。“最初のオスカー”も天国で微笑んでいたでしょうね。
そんな彼女と数日後にコートハウススクエアを歩き、昼食をレストランで摂
りながら今年の「日本庭園」について話し合いました。スター・マグノリアも
ウィーピング・チェリーもそれぞれに常にすばらしいけれど、もう少し観光客
の足を多く運ばせる何かが欲しいこと、それが薔薇であってしかも日本に由来
すればと彼女は言いました。わたしも同感です。あのガーデンは、なるほどま
だ広さの点でも足りないかもしれませんが、そのことよりもまず日本的印象の
構成に何かが欠けています。Keiに何かよいお考えはありませんか?
Ann Roton
1.29 2007
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7番目の天国
日本庭園 |
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親愛なるマダム・ロートン、
以前のメールでお話ししたように、東京へ赴き、仕事をしてきました。そし
て「薔薇の母」と呼びたいようなご婦人とお会いし、その成果も、また他の成
果もありました。非常に満足できました。その老婦人はやはり期待通りの人物
でしたし、紹介者もたいへんすばらしい女性でした。
三人が老婦人のお宅で会話しながら、彼女が長年どのように薔薇に取り組み
仕事をしてきたかの一面に触れて、今後しばらくおつきあいができると思い、
楽しみです。
さて、ご相談のこととも関連する話となりますが、二泊後の東京訪問最終日
に訪れた草笛の丘(リーデンヒルズ・ローズガーデン=元ローズガーデン・ア
ルバ)で、ウィークデイのおかげか、ただ一人で園内を歩き回ってたくさんの
薔薇を見ました。冬の薔薇もよいもので、この季節にしか見られないか気づか
ないような薔薇のからだを丹念に見て回りました。天候がよく、静かで、暖か
い日でした。
そのときのことを思い出しながらあなたのご相談と結びつけるならば .
これはあくまでも私的な考えですが ポートランドの日本庭園をこれまで
とは異なる設計視点で見直すことには疑問を持ちます。しかもなお、あなたが
言うように何かが欠けたままの庭園として年間の各季節を推移しているパブリ
ックガーデンであると、わたしも思います。わたしの感じたままを言えば欠け
ているのは桜やモクレンに重大な影響を及ぼす何かなのではなく、ましてや日
本原産の薔薇でもありません。あのガーデンに付随して歴史となる日本文化の
イベントです。もしも近年にはそのような日本人が中心となるイベントが行わ
れているのでしたら、それをポートランド市民の皆さんとともに継続するのが
最善だと考えます。大勢で取り組めば、それこそ困難なことではないはずです。
そしてJASOというスポンサー組織があるのですから、十分に意を酌むよう
な内容を考慮されたらよいのではないでしょうか。
リーデンヒルズに立ち、小鳥たちの囀りを聞きながら歩き、たくさん植えら
れている眠れる薔薇の美女たちに接していて、わたしは福山ばら公園に欠けて
いるのと同じことを同地でも感じていました。わたしにとっての薔薇園とは、
「見本園」(トレードガーデン)ではないのです。その国のその街でしか見ら
れぬような、あるいはロイヤリティを支えるオリジナリティと言えると思いま
すが、各国の薔薇とともに各国の人々がそばにいる情景の連続です。その人々
の声や行い、また植栽や何らかの日常的催事が人々を惹きつけるのであって、
薔薇が見本として人々の耳目を集めるのには世界のどこであっても限界がつき
まとっているはずです。もちろんこの考えは批判でも非難でもなく、補完を意
図してのものです。わが街のローズガーデンもリーデンヒルズも、あなたの街
の日本庭園と同じく、パブリックであり規模が大きなもののときにはいくつか
の国の人々や世界中の国々の人々が関わるべきであり、薔薇品種の見本園は個
人の庭園や企業の所有園に任せたプライベートガーデンであった方がよいと思
うのです。その方がよりいっそうすばらしいところとなるからです。他よりも
美しい花を咲かせようと、競い合いますから。
ポートランドのような立派な都市の立派な観光庭園に必要なのは、日本の薔
薇のことも知っているような日本人たちの息吹や工夫ではないでしょうか。そ
れもポートランドの歴史や現在の文化と親和性の高いものでなくてはなります
まい。薔薇は博物館の中では育ちません。その外で育ち、人々の手が触れると
ころに咲くのです。ですからあなたの都市と日本の都市、あるいは福山という
名の都市とが交流する流れの中に、あの日本庭園を置くべきだと言いたいので
す。日本から石や薔薇を運びこんでもよいでしょう。しかしそのときに生まれ
て、その後ずっと長く持続可能な、しかも動きや変化も含む事柄こそ肝要です。
それ以上具体的なことは言えません、事例を示唆できるように住んではいない
のですから。現在あのガーデンを取り巻いている人々が最も楽しく親しみやす
い、日本人の心に発した何かを付与していけばよいのではないでしょうか。も
ちろんその心には、日本文化の血が大いに流れていなくてはなりません。
また、もしも薔薇をということになれば、全米でそこにしか植えられていな
いという品種にこだわるのではなく、「日本で最も人気がある」「日本人が昔
から特別な想いを傾けている」などといった品種を植えて育てるのがよいでし
ょう。それはささやかなことです。しかし事柄として、大きく育つ話ではない
かと期待できるでしょう。なぜなら、それは多くの人々にとりとても理解しや
すい、“神話”だからです。どれほど多くの人たちがその神話に関われるか、
その点でのご努力が必要となりますし、やがてポートランドの言わば「シティ
・アカデミズム」として全米や世界から歓迎されることになれば、皆さんにと
っても後継する方たちにとっても新たに加わったポートランドの誇りともなり
ましょう。
主演女優賞が誰に決まるのか、赤い絨毯を先頭で進むのが誰であるのか。そ
れがもちろんローズという名の女優であっても牡丹 Paeonia suf
fruticosa やその他の種類の花であっってもまた針葉樹であっても、
そのことよりもなおポートランドの日本人こそがその受賞者であるべきだと考
えます。実に多くの人々が楽しみ、歓迎するのは、その個人や人々の習慣、協
力しあって成し遂げていくような永続性のある美しい人の花ではないでしょう
か。
都市は変貌する。しかし神話は変わらないから愛され、語られ、緩やかに美
しく育っていくのです。伝説として、また人間を人間らしく常に語りつづける
象徴として。
自分勝手に想像しています いつかあの庭園が、あなたの街における
「日本画」(ペインテッド・ジャパン)となる日のことを。そう呼ばれ、手で
触れられる絵画としてまたは造形美術としてポートランド市民の皆さんから永
遠に愛され続ける情景を。
Kei
2.11 2007
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親しいKei、
先日ポートランドばら会の集まりにおいて、昨年来議論を重ねてきた今年の
ローズフェスティバルの計画と予算が決定しました。わたし自身はそのメンバ
ーではなかったのですが、数人のメンバーに対してそろそろ日本とのイベント
交流などを検討してみるのも良いのではと話しました。まもなく、Keiの福
山も市制100年のアニバーサリー・イヤーを迎えますね? それも言ってお
きました。
前回のあなたのアドバイスを、わたしは好意的に受けとめました。結論的に、
植生と園全体のビジョンとともに、特定の人物の中心的な役割が大きな影響を
持つというお話ですね? とても難しい問題をあなたはわたしたちへ投げかけ
ました。数人で二度議論してまとまったのは、そのような神話づくりをできる
日本人がいるのだろうかという悩ましいものでした。候補になれるほどの人た
ちはいます。でも、わたしたちに身近な人たちであるだけに、選びにくい。そ
んなことから、これは全く思ってもみなかったような、ほぼ偶然のストーリー
から登場してくる人物に違いないと結論しました。
でも昔からの伝承民話などを思い起こしている内に、あることが頭に浮かび
ましたよ。それは、作っても探しても駄目なことなのだと。いえ、そうするこ
とが赦されない話なのだと。……もしかすると、あなたはそのことが言いたか
ったのでは? ギリシア神話もある日突然できた内容のままにずっと伝承して
いったのではなく、人の口から語られるつどだんだん今日解説されるような形
と内容になった。つまり、民話と神話の違い及び同一性のような見え方に気づ
きました。夫はフランス人ですがわたしの両親たちはイギリスの生まれで、ピ
ーターラビットの国です。でもあれは創作された話であって神話ではない、そ
れでもいつか、人々に愛され続ければあなたの言う神話となるのかもしれない
そのように考え出すと、だんだん楽しくなってきました。ポッターの暮
らしぶりのように。
多分、あなたが言う日本人は、わたしたちを待たせるのが現在の一番の楽し
みであるのかもしれませんね。OK、待ちましょう。薔薇の育種だってずいぶ
んと待たされる話ですから、気を長く持ち、ポートランド市民をハッピーにす
る人物や話題を待ちましょう。
ROSE-SANCTUARYの「ナポリ王妃の薔薇」の画像を見ながら、なぜか画家
シャガールの言ったことを思いだしていました 「どんな画家もどこかに
生まれます。その後彼がどこか別の地の影響を受けることがあろうとも、生ま
れ故郷の“アロマ”は彼の描くものへついて回るものです」
わがポートランドは都市として大きくなりすぎて、そのアロマ(フレイバー)
を失いかけているのかもしれませんね。あるいは、目に見える形は異なり、与
える印象の変わる色彩であっても、古きよき懐かしいポートランドは、今まで
もこれからも決して変わらないのかもしれませんね。
Ann Roton
2.21 2007
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親愛なるマダム・ロートン、
ロサ・バンクシア・ルテアの無数の蕾がわずかずつふくらみ始めていて、わ
たしが独自にブルーミング・ラインと呼んでいるあの白い線が、萼縁に沿って
見えてきました。これまでで最も早い開花の年となりそうです。
かつて日本には小堀遠州という作庭のスペシャリストがいました。彼にとっ
て造園は空間の創出であり、その目的は封建領主や寺社、商家などの園主たち
がその空間の中で自然の妙(エクセレンス)を感じとることにあったようです。
現代日本の作庭観も同じであり、作庭家が発想しながら造園の根本あるいは主
と呼ばれるのは自然の側であって、園主は実は受取手としての立場にあります。
西洋芸術のような対等でもなく、自然の変化を年次と秒間の中に見つめてその
エクセレンスのすべてを感得していこうとする日本的感傷の世界こそ、ガーデ
ンを作ることの本質なのです。わたしのガーデニング観もそのことを受け継ぎ、
日本庭園を創出できるほどの知識も技術も持っていませんが、薔薇によってガ
ーデンを創造するときの考えの根底には“ジャパン”にとらわれていながらこ
だわってはいないとの、「森を目指す薔薇」という考えと精神を持っています。
なぜなら、薔薇のもともとのオリジナリティはアジアですが、現代はすでにイ
ンターナショナルで関係者も多い世界となっているからです。
庭に立ったときの持ち主が抱くことは、自由であり実際に多様なものと思い
ますけれど、日本人が日本庭園と向き合ってという枠組みで考えれば、それは
科学でも哲学でも宗教でもなく、ましてや心理医療でもありません。感傷(エ
ンパシイ、エモーション)なのです。それこそが日本人の詩心・歌意、死生観、
風情・雅趣などすべての現世の人間感情を包むものだと、確信しています。日
本人の心にいる神とは、物質や事柄を支配する力を振るう神ではなく、自然神
や如来であり、全国の山野をめぐり歩いたり、あらゆる道の傍らにいる道祖神
といった類の神です。おそらく西洋の方たちにとって最も理解しがたいのがそ
のことではないでしょうか。感傷の果てとしての夢の「権現」(アピアランス)
に価値を超えた価値を置くというこの感覚と真意は、しかしながらどこか西洋
を始めあらゆる信仰心とつながっているということも、自然な感情のままにわ
たしは抱いています。
ですから、そのような作庭観を持つ持たないにかかわらず、あなたの街の日
本庭園にそのような感傷が横溢し始めたときが、神話の始まりであり、日本人
の血が通う物語の誕生となるのだろうと思います。もちろんユニバーサルな趣
(インポート)も欠かさないガーデンの中で。
自然と人間の感情とのつながりについてシャガールもこう言っているではあ
りませんか 「わたしたちの内面的な世界はすべてが現実です。多分目に
見えている世界以上にそうなのです。理知に合わないものすべてにロジックが
ないとか、幻想であるとか、おとぎ話や荒唐無稽なことだと言うのは、自然を
わかっていないと認めるようなものです」
待つこと、重要な姿勢です。アロマは漂うまで待って初めて気づく相手です
し、その漂いを維持できる仕組みのキーは、ガーデンの日々と向き合ったとき
の感傷にあります。行われるイベントに華麗さや娯楽性だけでなく、寂寥感や
無常観をもこめることのできる日本人の日常感覚が流れていれば、必ず神話が
生まれるはずです。たとえ豊かで大きな都市ポートランドの、片隅で起きてい
る小さな出来事に過ぎないとしても。その日本の神話は、その片隅のままに、
やがて豊かで大きな観光庭園となっていくでしょう。自然と人間の共感さえあ
れば。
Kei
3.17 2007
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