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親しいKei、
大バッハの妻アンナが書いたという『バッハの思い出』は、フィクションだ。
初版でそうだとわかることだったのに、あまりにも内容の出来がよかったため
に史実として語られるようになり、いつのまにかフィクションではなくなった。
そこで著者がその傾向についてちょっとした善意から、次版で自分の名を伏せ
た。それでよけいにアンナ自身が書いたものだと思われてしまった。ずいぶん
後になってわかったことだが、エスター・マイネルというのも仮名だったそう
だ。
君のHPの中で、あの本のことが書かれていると知人の話題に出て来たから
注意を喚起したくなったよ。訂正しておいた方がよいのではないかな。
ところでその知人は、君が小説を書いているらしいことも話してくれた。ど
んなものなのかな。よかったら 内容ももちろんだが 狙いというか
目的についてメールしてもらえないかな?
年が明けてからバーデン=バーデンへ戻ったよ。今後仕事でウィーンへ行く
ことはもうあまりないだろう。わたしにはここでの国際会議が似合っている。
ウィーンは社交に深く入りこみ、さまざまな配慮をしはじめると窮屈なところ
だ。別に逃げ出したわけではなく仕事の兼ね合いと家族の都合で戻ったよ。ヨ
ーロッパの「夏の首都」がやはりいい。
リヒテンシュタインの人たちを数人カールスルーエまで案内したとき、君が
昔見たと言った「アッシュ・ウエンズデイ」が市の公園で満開だった。あの薔
薇が、君とコルデスの出逢いだったわけだ。薔薇のことなど何も知らなかった
ままに。ふしぎだね。そのつる薔薇はすべてフリーな仕立てで、無雑作だが折
り重なるようにしてひどく力強く感じられたね。ピンク一色が辺り一面を被う
のもいいものだ。
東西の統合以来、ドイツは民族分断を解消できたとしても政治・経済の面で、
いささかおかしなことになっている。うまく行っていることも多いが、そうで
ない方が多い。
何より、国際経済や政治の駆け引きのことで負の影響を受けることが多くな
った。
君はどう思いますか? 政治と経済のことを。それらが一つの民族の、歴史
的だったり宗教的だったりすることを解決していけると思いますか? そのこ
とに関連して国際問題のことを君がわたしへ尋ねたことに答えれば、前と同じ
で、やはりDa(イエス)だ。バイエルンのゼースハウプトの木が薔薇になる
かのことも含め、これからの国際社会を作っていくのは子供たちへの教育だ。
教育についての国際法を制定する機運は熟し始めている。自分の生国から考え
を広げていかず、世界的な視点をいくつも それも自身の血から発して、
持って一国のいろいろを見据えて思想行動を構築し実現していく、そのような
「周縁から中心へなだれをうつ」若者たちが多数生まれてこなくてはね。
人は誰でも、若いときにどれだけ多くの実感を得るかとともに、もう一つ、
どれだけ肌色や目の色の違う考えに親しんだかをたいせつにする必要がある。
では君とまたおいしいラインワインを飲める日を待ちつつ、
ヘルベルト・シュニッツラー
7.4 2007
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親しいヘルベルト、
かつて自分の心に生まれた素朴な疑問「子供を育てるものは何だろう」につ
いて、今も家族でなくては、生まれた国でなくては、と思いません。かけがえ
のない両親以外に、幼い時期に同じようにかけがえのない心と思想の両親を幾
人も持つことは、人間の自由への欲求に応えることである以上に自然で人間的
なことだと思っています。これからそのような子供たち若者たちが増えていく
とすれば、そのことがどのような影響を国際社会へもたらしていくかのことで
は、わたしには自信はありません。明確な答を持ちません。それはたぶん誰で
もそうでしょう。憎しみの連鎖や平和状態を破壊する多くの事柄につき、その
子たちに過大な期待をかけることは酷なことです。ただあなたと同じように、
わたしもまた窮屈な思想よりも、いかに真摯で切実な諸感情を抱き合わせてい
なくてはならないとしても、またその子たちの持って生まれた想いの振幅の度
合いがさまざまであったとしても、真に国際的な感覚を最初から持つことの教
育、青年がオーバーナショナリズムの考えを堅持していく教育はますますたい
せつになってくると確信しています。
彼らは問題を発見していくことは他の大人たちに任せ、問題を解決していく
能力を備えながら大人になっていくでしょう。挫折しないで、楽しく生きてい
ってくれるようにと願っています。
フィクションとのご指摘をありがとうございました。あの本はわたしのフィ
クションへも登場させていて、マルメゾンとバイエルンを結ぶ小道具の一つと
しています。アンナが書いたものではなかった場合でも、わたしの小説自体が
フィクションでありファンタジアですから、特に困るわけではありません。し
かし大いに驚きました。そして自分の不勉強を恥じました。
その小説については、あなたへ丁寧にご紹介する段階ではありません。まだ
完成していないし、そもそも息子たちへの遺言代わりに書きはじめたものであ
り、だからこそHPの数箇所で触れているにすぎません。つまり薔薇栽培をめ
ぐっていかなることをし、どんなことをしている「人間企業」なのかを少しは
お伝えできるだろうと考えたのです。
もちろん、そのような内容の明確でないことにはほとんどの人が関心を寄せ
ないだろうとの見解は持ちます。しかしそうでない人もいるのではないか。こ
れからのわたしのHPは少しずつ、実名やプライバシーを伏せながら、あるい
は作家や芸術家たちのことに被せながら、人々の生き方についての考えにも触
れていくつもりです。ただ今日まで、ともすればそのような試みが多くの人に
とって批判や攻撃の手段に用いられてきましたけれども、わたしは全く逆のこ
とを試みようと考えています。手放しでの礼賛や、美辞麗句での賛美をしよう
とは思いません。ちょうどあなたたちがおいしいワインに順列を付けたり、不
用意に他国産のワインをけなしたりしないように。おいしい、ということは味
わいの一つですからね。
同様に、薔薇にも名花がたくさんあるのが確かでも、それは他意を含まない
格付けのことに過ぎず、すべての薔薇が当然のごとく尊重されねばなりません
し、個性の違いを美しさの違いとして、心から楽しい栽培や観賞をほとんどの
人がしているはずです。
そのような考えも示しているフィクションであるとともに、息子たちに薔薇
の専門的なことではなく人間の心情についての考えを深めて欲しいというのが、
小説を書く父としての願いです。生きることの喜びやつらさを心の外側から慰
撫するのでもなく、煽って楽しませるのでもない。それら喜びやつらさの内側
に入ることのたいせつさを語りかけたい。
それが父親としての最後のメッセージです。読んでくれるかどうかも、考え
てくれるかどうかもわかりません。しかしそうしたことは大きな問題ではない。
あのHPにおいても、いったい何人の人が目にし、読み、有益さを見出してく
ださるかがわからないように。それでもこれまでにわたしへのメッセージを寄
せていただけた人々、読んで参考にし、ファイルとして整理して手元でたいせ
つにしている人たちと接して、どれほど大きな感謝の気持ちを抱いていること
か!
Kei
7.12 2007 |
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親しいKei、
暑い日が続いている。元気ですか?
君と考えが一致している新しい国際教育機関について、正式にIEEPの議
題となるよう多くの人々へ話している。一昨日も国際会議の後でちょっとした
議論になった。国連内の機関という誤解は除けたものの、実際に幼児の時から
家族を引きはがすのは可能かとの問題でもめたよ。誰にも権利のないことだか
ら。つまり家族、特に両親たちの考えから少しずつ変えて行ってもらわなくて
はならない。さらに言えば、初めからそのような大人たち親たちを見つけるこ
とから入らなくては無理だという議論だ。受け容れることにも多くの困難が伴
うが、それら以前に心底共感してくれる人たちが果たしてあるだろうか。
君はやはり薔薇を教育の主題へ置こうというのかな?
ヘルベルト
8.6 2007
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親しいヘルベルト、
今ではかなりの数の国々にばら会がありますから、また愛好会ができていま
すから、薔薇を教育の題材、科目としていくことは十分可能と思えます。しか
しながら、ばら会を頼り当てにすることには疑問もあります。ごく普通の留学
感覚に親も子もなってしまいかねません。コスト負担を誰がするのかという問
題もありますし、伸びやかな国際人が、大きな責任感や使命感を学ぶ楽しさと
ともに持ちつづけられるかと言えば、楽観はできないでしょう。あせらなくて
もいいではありませんか。わたしたちのような考えの持ち主を、この広い世界
に探すことから始めましょう。いまの世界が深刻であればあるほど、富や文化
的幸福に生きがいを求めるものです。そうした人々の中にも、また貧しくとも
志に飢えている人々の中にも、さらには何らかの不自由さにあえいでいる人た
ちの中にも、すべてを大きな心で見つめ直し、最初の一歩をはずむような思い
で踏み出してみたい人たちは必ずいるはずです。
自然科学と人間科学の双方に惹かれ、実際の栽培体験や仲間意識の中から、
これまではなかった国際的な充足を手にし、自らの足で各地各国の自然と人間
を決して絶望することなく見渡して、言語あるいは作品、あるいは自然界へ正
常で健常な足を運ぶことに夢中になる人たちを広く求めましょう。
たとえあなたとわたしとの代で見つからず、見つかってもたった一人だった
としてもかまわないではありませんか。そのたった一人の人物と、手を携えて
数世紀の後の世界を見つめ直していきましょう。もしもわたしたちの考えがこ
の世に二度と生まれては来ないものならば、それまでのことです。そして人間
の諸世紀は、きっとさらなる人類の良識を生むものとなりましょう。いかなる
楽しさも苦しさも、生々しく塗り込められているかのような賢明さが、ついに
は生々しさに堪えられなくなる愚かさを呑みこみ、生かすでしょう。わたした
ちの生はあまりにも小さく、しかもあまりにも豊かで大きなものです。
それはまるで薔薇のようであり、薔薇は人によって大切にされてきた花であ
り生であることを思えば、仮に未来の暗雲を振り払う方法が人類にはたった一
つしかなかったとしても、生きる勇気までは、そして子供たち若者たちへの希
望までも喪うものではありますまい。
Kei
8.15 2007
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