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親しいルイス、
お元気ですか? ずいぶんとご無沙汰をしました という挨拶のための
表現が日本語にはあります。貴女も年の瀬のいくつかの行事の準備に追われて
いるのでしょうか?
今年はどんな年だったと振り返っていらっしゃいますか?
最近、英語によるスパム・メールが急に増えてきて、困ると同時に残念でな
りません。それは電子メールによって人と人が気軽に対話できるようになった
のを機に、つまらぬ悪意や不法行為が簡単に表現できるようになったと思うか
らです。未知の相手に向かって、これまで隠れていた敵意が自分の顔をさらす
ことなく気軽に表出できるようになってしまいました。本来であれば働いてい
た自制心も働かず、本来であれば悶々としていただけの臆病さが消えてしまう
ようになった。このまま、何も益を生まず有害なだけの大小さまざまな情報攻
撃が増大していけば、やがて電子メールは発信元を特定できる仕組みが採用さ
れるでしょうし、その前に有料化されるでしょうね。さらに言えば、人類は新
しい道具をつくりだすたびに古い道具を捨ててきたのですから、Eメールもや
がて別の伝達技術にとってかわられるでしょう。もっと不自由なものに。
もちろんこうして貴女との会話が頻繁にでなくても行えるのですから、貴女
さえ同意してくださるなら、メール以外の方法で話し合いましょう。とりあえ
ず来年はまだ今のような形でお付き合いできるのですから、問題は内容のこと
だけですね。来年もまた薔薇のことやその他の話題でも、大いに語り合いまし
ょう。貴女にとってすばらしいクリスマスと幸せな新年になりますように!
Kei
12.19 2007
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親しいKei、
Me,too. これはkochirakosoという意味になるのかしら?
6か月前の貴男の返事を読み返してみました。「夢ではなく、夢を追う心に力
がある」 その通りですね。人類が宇宙を目ざすのも、唯一のロマンだから
ではなく資源という目標物があるからめざし、行動している。力が発揮される。
宇宙から、月から、観た地球の美しさに酔いながら、決してそのような美を得た
くて行くのではなく、やがて地球の資源が太陽エネルギー以外に枯渇してしまう
からなのは誰でも理解できることです。
ただわたしは美が常に副次的に得られていくだけのものとは考えません。とき
には夢そのものの力が夢を追う力を開発することも多いのではないかしら? そ
こにいくらかの錯誤を持ちこむのが人間であるとしても、地上から離れてしまう
行為自体が魅力的だと思わずにはいられない。そのような魅力もまた皆が生きる
喜びの中へ含めているのも確かなのですから。
7月にニア・ソーリイにある「バックル・イート」を訪れました。女ばかり三
人での小旅行でした。あの、かつて郵便局の建物だったところにも薔薇が満開で
した。白壁につる薔薇たちがどんなに映えていたか!あのような魅惑的な場所を
構成する日光、空気の香り、森林の静けさやざわめき、そして薔薇の色彩と芳香。
三人は時の経つのも忘れていろいろな向きへふらりと足を運びました。暑い、と
いうことばもずいぶんと口にしましたけど。
その夜、The Lake District の星空の下で、わたしたちは
たくさんのおしゃべりをしました。ああ、貴男がそばにいてくれたらと何度思っ
たか。というのも日本のお話になったからです。それぞれに自分が訪れたことの
ある国、住んだことのある国の話題で盛り上がったのですが、三人ともかつて国
連本部を職場としていた身ですから、不思議にも、話が他の二人にすぐに通じな
いような口振りをしようと努力しましたのよ。つまり、共通に知っている情勢と
は無関係の話題で、いかに興味を惹きつけられるかの工夫をするように努めたの
でした。 そうしてわたしは自分が見た日本と、あなたとともに逢った人た
ちについて話しました。二人とも熱心に耳を傾けていましたが、特に寺院の僧侶
のことと貴男からのメールについて惹かれたようでした。
僧侶のことで惹かれたのは、日本の高齢の人たちが僧を中心としていながらも
寺院に集まり、少しだけ宗教的な香りがするサロンをつくっていることと、また
元日には神社へ出かけていき、社の奥に向かって祈りを捧げるという二つでした。
彼女たちはふしぎに思ったのです、日本の人たちは二つの宗教を同時に信仰して
いるのかと。驚いたのです。そこでわたしはKeiが話してくれた日本人の宗教
との距離の取り方について説明しておきました。それで納得してくれたようです。
信仰が生きるためのエネルギーではなく、集ってシンパシーを持ち合うためのこ
とになっている Jyuzou というロザリオを手にして仏典の中の言葉を唱
和することは宗教音楽であること、そのようにして心を一つにする行為。そして
Saisen というコインを箱へ向かって投げ入れ、両手を打ち合わせてから
頭を下げるのは、そのようにすれば願いが叶うことになり、しかもその叶い方が
誰にもにおいて、日本の神々へ個人の心を預託することにある。 しかもこ
れらのことはすべて、共感や嘆願を強いるために行う手段として採用さているの
ではなく、貴男が言った「気を済ませる」ことと「気を澄ませる」こととの合一
の手段として採用されているのだと、説きました。Mitaraiの思想につい
ては自身がまだよくわかっていませんが、それでも信仰をそのように簡素な形と
して表現しておくことで得られる小さな充足感には、実はたいへん大きな清澄思
想がこめられているのだとも。
貴男のことを少しだけ話しながら、その間わたしは日本の人たちの類い希な長
寿振りについての謎が少しだけ解けたかのように思いました。それは多分、あな
たたち日本人が常に人生の結語を準備しているからではないかと。東洋西洋いず
れにも終末思想もあったとしても、わたしたちもあなたたちも現在ではそれに囚
われていません。世界全体への終末観がもたらす恐怖から脱し、世紀末での怯え
も克服して、わたしたちは自己の個人的な最期だけについて考えられるようにな
った。でもそのことをはるか以前から知っていてわきまえ、方法化したのが日本
の人たちだったと、話しながら気づいたのです。
羊のミルクを飲みながら、二人もわたしもそれぞれが人生の終わりをどのよう
な言葉で結ぶのか。そのことを思いめぐらしながら寝すみました。明日はクリス
マス前日です。主よ、人類に清らかな明日を与えたまえ。
ルイス
12.23 2007
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親しいルイス、
「グロリア・デイ」という言葉を「ピュア・ハートフル・デイ」という言葉
に換えた貴女のお気持ちに、感動しました。そしてわたしについて小旅行で話
題にしてくださったことにも、日本人として感謝しています。こちらでは、貴
女のことについて会話するとよろこんでくださるような人たちに恵まれていま
せん。試みても、初めは興味を示していながら、イギリスの人たちのユーモア
や人生観などについてのことだとわかると、スープが冷めてしまうことばかり
気にかけます。 と、このようなやわらかな皮肉にも、こちらでは生硬な
反応ばかりが返ってきます。フランシス・ベイコンになったわたしに言わせれ
ば、「日本人は知識を煙たがり、ドイツ人はそれを誇らしく思い、イギリス人
はそれを利用する」。
思うに個人の生活をどのようにすれば豊かにできるかについて、わたしたち
ほど皮膚に直接触れている下着扱いで済ませている国民はそういますまい。イ
コールエコノミーであり、学問は道具であり、生きる目的は思い通りにならな
い現実という名の霧の彼方で見えないままとなる。清潔感から下着を毎日とり
かえるように、豊かさへの道筋もいつでも変えていきます。そうした反応をす
るのが第一義であり、それが不器用によってできずに落胆や犯罪に陥る者を厳
しく扱う。
以上のことは貴女がメールしてくださった日本人観への反論ではありません。
貴女ならおわかりと思うからです、貴女の見方を補う考えであると。そのよう
な余裕が貴女のお国の人たちにはいつもありますね。それをたいへん羨ましく
思います。
ところで、わたしたちのピュアリスムは空無の思想と結ばれています。その
ことだけはお断りしておかねばなりません。合掌も柏手も多くの場合無意識の
ままの心をこめているのです。もちろん何らかの祈り、たとえば家族全員の健
康であったり、上級校への受験合格のことであったり、企業の業績向上であっ
たり、あるいはまた恋の成就であったりするでしょう。そうした言語が心とし
てこめられていることも多いと思われます。しかしそのような内容もまた、つ
きつめますと、無ということに落ち着きます。ただしこの無とは、貴女も想像
するかも知れない「ゼロ」の意味ではなくて、無限に小さいとの意味です。こ
れはきわめてたいせつな意味なのですが、さらに、それが観念ではなく感慨で
あることがいっそうたいせつです。つまり諦念に近いことでありながら、完全
に同じなのではありません。心情ですから。死者を前にしてあなたたちが手の
指を組むように、わたしたちは掌を合わせます。その掌の中にあるのは無限小
の心、つまり無です。清澄とはそのようなことであって、自己の罪障をすべて
洗い流すわけではないのです。自らのあるいは大勢での悼みの念とは、死者が
持っていた人生と身体のありのままの過去を、それもまた無限に小さきことと
して扱う思いの清らかさのことです。
そのような国民性の一部を幼い頃から持っていますので、それぞれの思いの
域を出ることではありませんが、わたしたちはアジアの近隣の国民性や、欧米
の人たちの美意識や観念、アフリカの人々の生活習慣、極地に暮らす人々の自
然との闘い そうした人たちすべてへの共感を容易に持てるし、あるいは
育めるのです。
イギリスへ訪れたとき、ふしぎにもほとんど違和感を感じないでの9日間を
過ごせました。大寺院やレストラン、ホテル、草原や川原、そうしたところの
細かなところをゆっくりと観察したならば、あるいは感じたかもしれません。
羊にも鳥にも。しかしわたしだけかもしれませんが、あの日々において自分の
網膜にも鼓膜にも、胸膜にも足の裏にも、入ってきたのはただもう親近感だけ
であったことを思い出します。仮にローザリアンでなかったとしても、同じよ
うな親愛の感情のみに充たされたでしょう。また、人数はさほど多くはないま
まに、出逢ったイギリスの人々へも心の近しさを感じていました。彼ら彼女ら
が薔薇のために旅行に来たわたしと接して、通常の観光客を賓客扱いはしない
けれども偏見や口うるささも示さないとの姿勢を通してくださったおかげもあ
りましょう。
一つだけ残念だったのは、滞在中まったく子どもたちと接することがなかっ
た事実です。できればベアトリクスの仔猫たちにも逢ってみたかった。マナー
ハウスの薔薇の木の下で。
Kei
12.29 2007
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親しいKei、
A Happy New Year! ぜひ湖水地方の仔猫たちに会いに来
てください。わたしたちはいつでも歓迎するでしょう。仕事のためでなく観光
目的でもよいではありませんか。わたしの方から日本を訪問するゆとりが今の
ところ持てません。その理由はある男性とその人をめぐる人たちとのお付き合
いのためです。彼はイングランドの中もスコットランドの中もまたウェールズ
も、自分の仲間たちを連れて始終移動する仕事をしており、わたしも自分の仕
事の一部として行動を伴にしているからです。しばらくはおちつけそうにあり
ません。それを思うとためいきが出ます。
ですからもしこちらにいらしてくださるなら、わたしたちがおちついてから
にしてください。というのも、彼と結婚の約束を交わしたのです。貴男もよろ
こんでくれますか? 結婚したらコッツウォルズのどこかに家をかまえる予定
です。そのころにいらっしゃいませんか?
ルイス
1.18 2008
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親しいルイス、
おめでとうございます! ご婚約の日々、多忙でも楽しく、そして幸せに
過ごしておられるのでしょうね。
日程が決まったら知らせてください。それに住居のことも。たいへんよろこ
ばしいことですから、訪英を検討します。
Kei
1.21 2008
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