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これまでに海外から届いたメールをいくつかご紹介します。

 Keiは日本の福山の気温のことを低いと書いていたけれど、こちらは逆に
暖かすぎる。夏の暑さが思いやられるよ。それでも、あなたの薔薇が元気そう
な写真を見て、なんとか新種の栽培に頑張ろうと決意している。ホームページ
はこちらで日系人に翻訳してもらいながら見た。われわれのことばと違って複
雑な文字だから、かなり苦労したようだ。
 しかし写真は雄弁だ。建築や工芸品を眺めてもよくわからないが、薔薇は特
別だ。よくわかる。モニターはINTEL社製だ。日本生まれのブラック・ティと
安曇野のことは知らなかった。たいへんユニークで、興味を引いたよ。前者は、
あの色がこちらでも咲くと、多分かなりの驚きを呼ぶだろう。そしてオノデラ
氏の薔薇も、まるで花のコニファーのようですばらしい。以前仲間たちの間で
のぞみが話題になったことがあったのに忘れていたからなおさらだ。ところで、
わたしたちが最も注目し、最も期待をしているのは日本の愛好家の皆さんや都
市のofficierの皆さんの、海外への積極的な発信だ。あなたもまた格
別な努力をしている。日本市場にはまだまだ広がりやニーズの高まりを求める
ことができるし、中国やインドへのよい刺激ともなるだろう。継続してほしい
と言いたい。あなたの言うように、インターネットはわたしたちの距離を近づ
けている。情報を速く届けられるし速く受け取れる   その一つとして今回
の国際園芸学会のことだけれども、あなたの期待したような都市の造形を大き
く変えるという目的の発表はなかった。環境に配慮するための造園計画の話は
あった。でもあなたの参考にはならないだろう。ただ一つとてもありがたかっ
たのは、ブリュッセルは静かだったことだ。大騒ぎは全部ドイツ各地へ移動し
ている、ワールド・カップのことさ。もともとルクセンブルクはスポーツ狂い
ではない。一部の人たちを除いてはね。走るのが苦手なわたしたちには、跳ね
るボールよりも動かない薔薇の方が合っているし、健康的だ。あなたもそう思
わないか? 
 オランダのMiss Deenがあなたとメールしたいと言っている。バイ
エルン・ローズのことにあなたが関心を示していることに惹かれたそうだ。了
承無いままアドレスを教えたのだが、よかったのだろうか。彼女が何か詳しく
知っているということではなくて、むしろあのことで別のことをあなたから知
りたいようだ。親切にしてみてあげてくれないか?
      あなたとあなたの家族の健康を、

                                            Curelii Gerary
                                    ブリュッセル,6/2  WFEEC.





Res.
 

 メールに感謝します。困惑しているのは、海外からの迷惑メールが来始めた
ことです。ただし二種類あって、一つは海外のどこかわかるものであり、もう
一つはわからない。意味不明のことが書いてある。どういうつもりなのですか
ね。
 あなたのようにミス・ディーンが正規の電子署名でメールしてくだされば、
よろこんで交歓しましょう。誤解が互いに生じないように、署名のことを伝え
ておいてください。
 わたしのHPはなるほど翻訳しにくいかもしれません、日本人による英訳で
なくては。もちろん、細かいニュアンスが正確に伝わることが望ましいことで
あっても、だからといって相互の言い分が国境を越えられないわけではないで
しょう。むしろ、誰が、いつ、何を、何の目的で、どのように、といったこと
を、言語表現のニュアンスが不正確にするのはよくあることです。HPからあ
なたたちへ伝わる内容が、大筋において、また要点において、具体的になって
いればそれでよいと考えます。もちろん、日本人同士の場合だと、逆に、ニュ
アンスが示す気配りや思い入れといったものが重要であり、フェイス・トゥ・
フェイスの会話も、メールも、手紙も、そのことなくして心の交流は生まれな
いことになります。わたしたちの中にはこの考えに反対の人も多くいますが。
議定書や学術論文や、また企業の文書にしても、わたしの国は永く自分たち同
士の情報や意見、アイデアの往来について、おしなべて心情を排してきました。
余計なものであるとして。しかし、わたしの考えでは、今の時代になりその報
いを受けているのです。詩でなくとも詩情を表現し、楽曲でなくとも旋律や和
声をこめてきた言語表現の世界の豊かさを、自分たちで捨ててきた。なのに日
本語そのものは古来からのものがまだ生きている、会話において重要なままに。
 わたしたちにとって、ことばは近代建築物ではありません。心情の伝達なの
です。絵筆でなければ絵は描けないとの考えではないのです。
 もちろん、こうして英語であなたへ話すときは英語によって伝えられる意味
と目的に注意しなくてはなりませんから、その流儀・方法に従います。それも
よろこんで。なぜなら、世界には国の数だけの国語があり、そのことがヒュー
マン・ワールドを豊かにしていると思うからです。
 さて、ブリュッセルのことは検索して知りました。やはり、以前あなたに述
べたように、園芸(ガーデニング)という柱だけではわたしの言うライフ・ア
メニティは実現しそうにない。その点で悲観的になります。種の社会の固有性
はその単体だけではもともと維持されない、人そのものが複雑で総合的な種で
あるように、いかなる生命も複雑で総合的なものであることを認めないかぎり、
わたしたちは今後も絶滅危惧種を増やしていくことでしょう。どこかに公園を
作る、誰かが社会生活を便利に送れるようになる、どれかの企業だけが投資家
の気を惹く。そうしたことがある意図またはある偶然によって世界全体を循環
していく。それでいいんだ、自己の順番を待とう……こういう考えにはまった
く同意できないのが、わたしの頑固なところですね。アメニティもすべてのこ
とのバランスの上に成り立つ。確かにそうです。けれども、ガーデニングがプ
ロフェッショナルなガーディナーだけのものではなくなりつつあるように、わ
が国は人類史上稀に見る新しい価値観の担い手となろうとしています。流れは
確実に価値観の総合へと進みつつあります。
 なぜなら、前にあなたにメールしたように、日本語と日本文化には「もった
いない」ということばがあり、わたしたちのあいだでは消費は本来捨てること
ではないからです。もったいないことと尊いことは同じ意味です。世界の多く
の国々の人々が、かつて炭を捨てた。少なくとも園芸へ活かす考えを持ってい
ない。炭から油へ移ると、今度は残り少なくなってきたためにさまざまな悪影
響を受けている。事故とはいえ海洋へ漏れだして鳥の生命を捨てる。魚類を捨
てる。バイオテクノロジーは、やがて人間の脳細胞をすべて用いるためにと、
人の心臓のクローンさえつくり、この世から人間の「死」を捨てさせるかもし
れない。文明が不自由を完全に捨て去り、自然災害さえ起こさせないようにこ
の星をコントロールしたとき、世界から悪夢も不幸も捨てられていくでしょう。
ところがわたしたちは同時に生涯も輪廻も神仏も捨てることになるでしょう。
それでいいのでしょうか? わたしもあなたと同じように、たくさんの人々の
ための会議、議論を積み重ねる経験をしてきました。企業においても、非営利
団体においても、商店街組織においても、また趣味のサークルや公的機関内の
企画と実施においても。それらのうちのコンファランスと呼べるものだけでも、
合計すれば5000回を超えます。それらから学んだことの最大のそして最善
のものは、身近なことでも宇宙のことでも、すべてもったいないもので成り立
っているということでした。
 この日本語は、尊厳を法や宗教や芸術の概念の中だけで考える人には、おそ
らく理解されないでしょう。幸福を娯楽や悦楽や経済の中でしか感じようとし
ない人たちのように。概念の迷路や嗜好・好き嫌いの沼から抜け出るべきです。
抜け出た人の経験や表現を尊重し、その上で議論を重ねれば、ヴィジョンが待
っています。
 以上のような考えは、「いかなる主張の可逆性も人間の力でソフトランディ
ングさせることができる」とのあなたの考えと共通してはいないでしょうか? 
わたしたち日本人は、厳密な意味で、合理的な二者択一観に基づいた尊厳の認
識にはなじまないようになっています。あいまいな海。それもまた海には違い
ないのです。どうしてこんなことを言うかというと、どの国の個人も、歴史上
のどの時代の人々も経験してこなかったような大きな世界観を持つチャンスが
訪れているからです。分けられない海。生命はその海から生まれました。豊穣
なる海から。実のところ、わたしたちすべての人間が共通して立っているステ
ージとは、多様な価値観という名の海に共有の認識を用意しようとする、ライ
フ・アメニティ   心情によって共に生きる暮らし   の環なのだと思い
ます。
 認識の共有は、確かに一筋縄には行かないでしょう。何事もすんなりとは進
まない。けれどもそれは、わたしのこの考え方があらゆる学術や法や文化や政
治経済の壁を打破できる力を身に付けるためには、必要な事態であるとも言え
ます。臆病な人物ですが、大胆です。考えも実行も。おおざっぱが好きなくせ
に、緻密さにもこだわり、ストレスを起こすほど夢中になる性格です。あなた
はどうでしょう? 自らに厳しい、というこの日本人特有のストイシズムが崩
れつつあります。メディアで「杜撰」という漢字を見ない日はありません。コ
ンプライアンスの問題だけでなく、モラル・ハザードは多岐に亘りつつありま
す。しかしわが国は砂漠の緑化に本気で取り組むような、他国の人たちと共有
の使命感と技術、歓びを持つ人たちが暮らす国でもあります。かつてあなたの
国のルソーが言ったように、「人間よ、人間を蔑んではならない」とのことば
は少なくともわたしの胸の内では生きていますから、相互信頼をお題目から解
放して自由の空へ解き放つ試みをつづけていきます。あなたとわたしが、今後
も永きにわたって薔薇を愛しつづけるように。
 そして、あなたとあなたのご家族がいつまでもご健康でおられるようにとの
わたしの願いが、いつまでもつづくことが確かであるように。

                                                       Kei
                                               6.5   2006









通常、仏文の手紙もメールも送信者氏名や日付は左上に
置きます。しかし編集によって日本的な置き方へ統一して
お目にかけています





 あなたからの知らせで、「草笛の丘 ローズガーデン」へも行ってきました。
佐倉市の。このガーデンはとても広いけれども、もともと別の場所にあった薔
薇を市の施設へ寄贈して、管理を当初の人たちが行っている形なのですね。
 見て回る時間が二時間ほどしかなく、ゆっくりとは見られなかったのですが、
それでもマップを見ながら歩いて、原種からモダンローズまで幅広く植栽して
あることは驚きです。もちろんアメリカにもそうしたローズガーデンがありま
す。ただアメリカの場合、個別の品種に敷地の一角すべてを与える植栽が一般
的で、なるほどあらゆる品種が他の高低いろいろの緑と共にめまぐるしく移り
変わる植え方も魅力的ですね。日本の人たちは畳の文化で育ったという教えは、
こんなところにも生きていると感じます。敷地全体を一つの世界と見なすとと
もに、それぞれの栽培空間をもその薔薇独自の世界として見つめる。そういう
点では所謂イングリッシュ・ガーデンと似ているのかもしれませんね。もちろ
ん、公園なのかガーデンなのか、との境界のあいまいさは残ります。
 初めてロールしているスシを食べたときのことを思い出します。料理好きの
わたしはすっかり感激してしまいました。海苔でライスを包み、さらにそのラ
イスが数種類の食材を巻いている。これは驚きでした。最もすばらしいと思っ
たのは、それらが断面に見えていることであり、しかもあらゆる栄養価のもの
を取り入れてあることです。一口サイズにしては大きすぎると思いましたが、
戸田氏は「ほおばる」という食べ方と一緒に両手できれいにカットする方法も
教えてくれました。パンをちぎるような無雑作な動作ではいけないのですね? 
 決してアメリカばら会のメンバーの多くがということではありませんし、わ
たしと知人たちの一部にすぎませんが、Keiの持つヴィジョンは自身を薔薇の
愛好家たちの交流から引き離していきはしまいかと心配しています。ポートラ
ンドのロートン夫人もそうです。
 あなたが社会的活動から身を引いたことは、個人的な事柄なので反対しない
けれどもとても残念なことです。それ以上に、ガーデンローズとは別の世界を
めざすとのあなたの考えにはいくつかの共感と疑問を持ちます。共感のうち最
も大きなものは、ほとんどすべての種苗企業・切り薔薇生産企業がただ単に市
場経済の枠組みの中だけでのヴィジョンしか持っていないとの批判の視点です。
批判の内容のいくつかには否定的な見方をしますが、なおいっそう視点そのも
のには共感し、たいへん大きな刺激を得ています。わたしたち環境エコロジス
トは、国連内部においても活動の外部への影響においてもとても小さいまま推
移しています。しかし、各国や個人・団体がどこへ資本を注ぐべきかまた用意
すべきかについて、あなたの考えにまったく賛成します。「薔薇は、花の女王
であるからこそ、国家間の垣根を持たずに国際的なステージに咲く花としてま
た樹として地球上のどこかに永遠に根づく聖地を持つべきだ」というあなたの
主張には大いに敬意を表します。国際的な連携の必要性は、尊い育種もすぐれ
たガーデンづくりもまた切り花市場の拡大の面でも、増すことはあっても減る
ことはないと思います。
 しかしわたしたちの最大の疑問は、アクション・プログラムの形成について
です。どこに聖地を設定するのかのことも含めて、どんなメンバーがどのよう
なルールに基づき、どこでこの問題を話し合うべきか。これはたいへん重要で、
しかも解決の難しい問題でもあります。Keiはどう考えていますか?

 過日、あなたも知っているNZのグレン氏が、カナダ・トロントのRSの前
会長マッキンリー氏の事故による怪我のことを心配していました。
 また、エジンバラ・グラスゴウのナーサリー支配人T.アズマイア氏が、ス
ペインのブリーダーの方たちへいろいろと便宜を図りたいと嬉しくまた楽しい
申し出をされたとのこと、聞いていますか?
 薔薇を愛するすべての人へベスト・ウィッシュを贈るとともに、わたしたち
のkeiへその特別のローズ・ミストラルを届けます。グスタフ・マーラーの
嘆きが消え行くような、「わたしたちの故郷(ホーム)は地球です」とのこと
ばを添えて。

                                            ソフィ・ブレンターノ
                                           6.4   2006  NY

草笛の丘 ローズガーデン




















































 親愛なるソフィ、
 わざわざ、共通のかけがえのない人たちの近況について知らせてくださって
ありがとう。あなたの真心(ホール・ハート・アンド・ソウル)に御礼を言い
ます。あなたからわたしへ届いた友愛のパッションは、エディ(マッキンリー)
のからだを回復させ、スペインのフキロルカの歓びにいっそうのスパイスを加
えるでしょうし、ロンドンのハークネス社の人たちもあなたの熱意に喝采を贈
ることと思います。
  わたしよりも先に hill on a reed へ行かれたとのこと、
カリフォルニアのノーマン・ベック氏との過去の想い出を想起してしまいまし
た。彼が富士山に魅せられてしまったときのことを。
 アクション・プログラムについては、情報の集約と考えの詰めを、あせって
はいません。むしろ、あせるべきではないと言いたい。その理由は、「ローマ
は一日にして成らず」のことわざや、ミカドによる大仏建立まで数十年かかっ
たことを知っている日本人の知恵などでも説明が付くことです。まず「聖地」
ということばそのものに、通常の定義にかける議論の回数の多さのようにして
コンセンサスを得なくてはなりません。
 率直に言って、わたしは薔薇の大地の耕作者になりたい。それは数々の種子
を播くためです。自分の役割はそこまでです。そこから後は、種が芽を噴くよ
うに祈るだけです。残された時間はそれで精一杯ですから。後に続く思いを持
つ人たちが、どの土地が最も芽をよく伸ばしそうかを検討し、それから十分に
時間をかけて話し合い、心根を集積し、聖地としてのあらゆる問題をどう克服
するかを解決して実行のプロセスを用意する。そのようなストーリーです。わ
たしの自己責任は?   種子の蒔き方に誤りがないよう、一歩一歩の丁寧さ
に慎重で敏感でなくてはならないということですね。そうできなかったら、わ
たしの考えは容赦なく捨てられ、あるいは黙殺されるでしょう。事実、国内外
の多くのローザリアンから、荒唐無稽のハリー・ポッター並の話だと言われま
した。彼らの判断はまちがいなのか? いいえ、まちがいではない。いくつか
の点で正しい。ただ、わたしはいつまでも正誤表を求める思想の世界にはいた
くない。なぜなら、議論の結果合意が形成され、資金の目途がつき、実行プラ
ンが設計され、必要人員が確定し、タイム・スパンとスケジュールが周知され、
不測の事態への備えにも不備もなく、あらゆる問題と条件がクリアされて後に、
「聖堂」が完成する……という誰もが認める進行を、少しも思い描いていない
のですから。では、それはどういうことなのか? ユートピアはなぜ実現しな
いのか、桃源郷はなぜ霧の彼方にかすむのか。数百年前の日本人の多くが、現
世に西方浄土が出現することを切実に願っていた。しかし現代のわたしたちは、
かつての理想主義には別れを告げている。過去の時代の正誤表には、必ず諦念
がつきまとっていた。それは概ね今でも同じです。期待を裏切られると怒り、
やがてあきらめる。初めから無力感とともに歩むこともある。また、理想はす
ぐそこだと思いこみ、あらゆる人や物事を理想化しやすい。数百年前の理想主
義の正誤表は上位身分や立場の人から押しつけられたものがほとんどであり、
現代では個々人が自分に提示する、あるいは仲間と共有する正誤表によって考
え、行動し、似たような心理にいたる。精彩を放つ個人が、世のどの分野であ
れ称賛され、モデル化され理想となっています。しかもそれは実に多様化して
いる。わたしの言うライフ・アメニティ   すべての生命の共生環境  .
もまた、生命の尊厳についてのいろいろな考えの一つにすぎません。そして他
の価値観を排撃するつもりもありません。どんな価値観を持とうとも、自由な
のですから。ただし、人の数だけ求めるものがあるとすれば、夢の実現にたず
さわる人たちの数も自ずから限られます。夢と現実それぞれの尺度が一人一人
異なれば正誤表は他のものと同じように多数決で決めるしかないでしょう。わ
たしが主張しているのは、そうした意志決定の過程を拒もうということなので
す。ではどうしろと言うのか。
 気が遠くなるような話であり、誰もから支持される考えなどとうぬぼれもい
たしませんが、薔薇を愛する心という共通項に、仮に百万坪という規模での薔
薇の聖地を加えた合意を形成していきたいのです。いずれ人類は過剰が極限に
まで達した人口爆発のために、あらゆる山林も河川敷ものどかな草原も、すべ
て耕地にしなくてはならなくなるからです。薔薇もまた、大きくて栄養価の高
い薔薇を求める流れの中で、果樹の一つにすぎなくなるでしょう。受粉の容易
な品種への人為淘汰が進むことでしょう。花の美が、価値を失う時代が来るの
です。 けれどもこのメールが少し長くなりすぎてしまったことも確かですね。
議論のつづきは、申し訳ありませんが次回へ譲りたいと思います。
 いずれにしても、わたしたちは美しい薔薇を生みつづけ、育て続け、守りつ
づけていかなくてはなりません。将来この星に暮らす人々のためにも、美しい
ことをたいせつにする人間の尊厳を維持しなくてはならないのです。

                                                      Kei
                                              6.6    2006





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