「信仰の薄い者よ」
マタイの福音書14章22〜33節
◆聖会とは
礼拝は、毎週、神を礼拝するために、聖会は、年に何度か、信仰の成長のために、特別に時間を聖別して集まる集会と定義できるでしょう。今朝は、ペテロが湖上を歩くという奇跡を通して、新年聖会のメッセージを語ります。水の上を歩くことは、本来、人にはできないとても難しいことです。同様に、私たちが、日常生活の中で、キリスト様の姿に変えられ、聖霊の実を結実していくことは、私たち自身の力では、とても難しいことです。聖霊の力によって変貌し、成長し続けるにはどうしたらよいでしょうか。
◆イエス様の大いなるお姿
@モーセにまさる救い主。ペテロの水上歩行の奇跡は、すぐ前の段の五千人の給食と対になっており、イエス様がいかに偉大な救い主であるかを指し示しています。モーセは、紅海を二つに分け、荒野で、天からマナを降らせました。イエス様ご自身も、ペテロにガリラヤ湖上を歩ませ、五千人を五つのパンと二匹の魚とで養うことができた、モーセにまさる救い主であるとが示されているのです。
A三つの「すぐに」。22,27,31節と、三度「すぐに」という言葉が記されています。五千人の給食の後、人々は熱狂して、イエス様を王に祭り上げようとしましたが、イエス様は「すぐに(22)」群衆を解散させ、弟子たちを向こう岸へと渡らせます。弟子たちが湖上を歩くイエス様を見て、「幽霊だ」と叫び声をあげますと、「すぐに(27)」彼らに話しかけます。ペテロが強風を見て沈みかけますと「すぐに(31)」手を伸ばしてくださるイエス様は、大いなる救い主です。
◆信仰が薄いとは?:ペテロは、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」と問われました。
@ペテロの不信仰。「強風を見て怖くなり」と記されています。水上を歩行できたことより、イエス様への信頼関係が大切です。
Aペテロの心を占めていたもの。ペテロは「幽霊だ」と叫んだ最初の失敗の照れ隠しで、「水の上を歩いてあなたのところに行かせてください。(28)」と、途方もないリクエストをしたのではないでしょうか。ペテロの心を占めていたのは、他の弟子たちの目や評価だったのかもしれません
◆結論:三位一体の神との関係を点検しましょう。あなたの心を占めているものは何でしょうか。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」ヘブル12:2