「荒野で叫ぶ者の声」
ヨハネの福音書1章19〜28節

◆イエス様のご生涯を書き記す新約聖書の四つの福音書は、それぞれ、特徴的があります。同様に、イエス様の先駆けであるバプテスマのヨハネの紹介の仕方もそれぞれです。ヨハネの福音書は、ヨハネの風貌、メッセージについては、それほど関心がないようで、むしろ、ヨハネの証に焦点を当てます(6〜8節)。19節にも、「さて、ヨハネの証はこうである」と記されています。

◆あなたはどなたですか
随分と丁寧な言い回しになっておりますが、実際には、ユダヤ人の当局者が、上から目線で「お前は何者だ」と質問しているのです。質問の要点は、25節で、「本来、バプテスマなど必要としないユダヤ人に、異邦人の改宗のしるしであるバプテスマを施すなど、どういう了見か。我々の許可もなしに・・・。」というのが本音です。彼らの質問をもう少しわかりやすく言い換えるなら、
@「バプテスマを授けているからには、あなたは約束された救い主キリストなのか?」
A「キリストでないなら、エリヤなのか?」
B「エリヤでもないなら、あの預言者なのか?」と、矢継ぎ早に審問されている場面です。

◆ヨハネの証
当時、人々は、ヨハネは来るべき救い主キリストではないかと期待していました。しかし、ヨハネは三度否定します。
@キリストではありません。新改訳2017は、「ためらうことなく告白し、・・明言した。」と翻訳しました。人々の期待に反して、「私はキリストではありません」と明言したヨハネの潔さが光ります。
Aエリヤでもない。マラキ4:5には、終わりの日にエリヤが現れるとの預言があり、エリヤかという期待もありました。
Bあの預言者でもない。「あの預言者」とは、申命記18:18に約束されたモーセのような預言者を指します。結局、ヨハネは、「私は、キリストでも、エリヤでも、あの預言者でもない。」「わたしは救い主ではないし、あなたがたが期待するような預言者でもない。」と言ったのです。

◆荒野で叫ぶ者の声
三度否定したヨハネでしたが、最後に、「私は、預言者イザヤが言った『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です(23)」と語りました。荒野の声に徹したヨハネの姿は、証しする者の模範です。

◆あなたがたの知らない方
ヨハネは、「あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。」と偉大な救い主がすでに来ておられ、私などは、その方の履き物の紐を解く値打ちもないと語ります。ヨハネは、この方を語るために、「私は…ではない」と三度語って、イエス様を指し示しました。