「ヨハネのあかし
ヨハネの福音書1章29〜34節

◆先週は、ヨハネが「私は…ではない」と三度、自分を語り、間接的に、イエス様を証したことを学びました。今週は、ヨハネの直接的な証を学びましょう。粗末な身なりで、荒野で叫ぶヨハネのもとに、大勢の人々が集まりました。その理由は、
@神様がヨハネに、語るべきメッセージを授けてくださったから。
A当時の人々が、既成の宗教に失望していたから。
B人々の間に、旧約聖書に預言された救い主を待望する空気があったからでしょう。しかし、ヨハネは、人々の期待を裏切ることも頓着せず、「私はキリストでも、エリヤでも、あの預言者でもない。」と断言しました。そして、直接的に、イエス様を、「私より先におられた方」「世の罪を取り除く神の子羊」「聖霊によってバプテスマを授ける者」「神の子」と証言しました。

◆「私自身もこの方を知りませんでした」(29,33)
ヨハネとイエス様が面識がなかったという意味ではなく、イエス様が、神の子羊であり、ヨハネよりも先におられた方、聖霊のバプテスマを授ける方、神の子であるということを知らなかったということです。それは、
@神に遣わされ、荒野で水のバプテスマを施していた。
A御霊が降ってある人の上に留まるのを見たら、その人こそ、聖霊によってバプテスマを施す方であると告げられた。
B御霊が鳩のように天から降って、イエス様の上に留まるのを見た。そこで、ヨハネは、この方こそ、自分よりも先におられた世の罪を取り除く神の子羊、聖霊によってバプテスマを授ける神の子だと証言をしたのです。

◆神の子羊
「世の罪を取り除く神の子羊」とは、三つの意味があります。
@過越の子羊。主は、過越の子羊です。Iコリント5:7に「私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのですから。」とあります。
A苦難のしもべ。この子羊は、イザヤ書53章に預言された苦難の僕の姿です(イザヤ53:7)。エチオピアの宦官は、この聖書箇所がイエスを指していることをピリポによって教えられました(使徒8章)。
B勝利の子羊。黙示録には、この世に勝利する子羊が啓示されています(黙示録5:12,17:14)。

◆「世の罪を取り除く」
私たちは、大きな社会悪に直面し(ユダヤ人大虐殺・ロシアのウクライナ侵攻など)、罪の結果をまざまざと見せつけられ、私たち自身が罪と戦い、どうしても勝利できない時に、罪の恐ろしさや力を痛感します。世の罪を取り除く子羊イエス様は、罪を赦し、神の子の立場を与えてくださったばかりか、私たちの生涯ずっと罪を取り除き続けてくださるのです。

◆聖霊のバプテスマを施す方
ヨハネは、水でバプテスマを施していましたが、水は罪を取り除くことができません。聖霊によってバプテスマを施すイエス様だけが罪を取り除くことができると宣言しているのです。