「カナの婚礼」
ヨハネの福音書2章1〜11節

◆ヨハネの福音書には、イエス様の「しるし(イエスが神の子キリストであることの証拠)」が七つ記されています(ヨハネ20:30,31)。その最初のしるしです。

◆イエスの母と最初のしるし
カトリック教会は、この個所を聖母の執成しが必要である根拠としますが果たしてそうでしょうか。イエス様の母への対応は(2,3節)、少し、冷たく感じます。母マリアは、家庭においてイエス様に何でも相談していた延長で、ぶどう酒が足りなくなったと語ったのでしょう。あるいは、その背後に、公生涯をスタートさせたイエス様に、「これはよいチャンスよ」と示唆したかったのかもしれません。これに対して、イエス様は、「女の方」と距離を置き、「キリストとしての栄光を現わすのは、母であるあなたの指図によってでなく、神の子として、天の父のみこころに従って行うのです。」と仰っているのです。また、「わたしの時」とは、ヨハネの福音書では、イエス様の十字架の死を指します(7:6,12:23,13:1)。

◆弟子たちと最初のしるし
彼らは、すでに、イエス様が、「旧約聖書が書き記して来たメシヤ」であると信じていましたが、改めて、「このお方こそ救い主である」と確信する出来事だったに違いありません。また、ナタナエルへの「それよりも大きなことを見ることになります。(1:50)」との約束を果たされた出来事でした。イエス様は、信じて従う者たちに、その栄光を現わしてくださるのです。

◆私たちと最初のしるし
@イエス様は、ドラえもんのポケットのようなお方ではない。私たちも、イエス様を、何でもかなえてくれる便利な召使として扱ってはなりません。
A求める者に、ご自分を現してくださるお方。この奇跡によって、マリアも、イエス様をメシヤと信じて従った弟子たちも、その信仰を強められました。求め、従うことは大切です。
B快活で控えめなイエス様。婚礼の披露宴を大切にされたイエス様は、快活で、控えめでした。J.C.ライルは、「陽気で親切な心は、信者への大きな報いである。クリスチャンがほほ笑むことができない場合、それはキリスト教にとって災いでしかない。」と語っています。