山田洋次監督の話題作、「たそがれ清兵衛」を夜の最終回で観た。ご多分に漏れ
ず年配の夫婦や、男性のお客でいっぱいだった。主人公、清兵衛役の真田広之の
好演ばかりが目についたが、映し出される時代背景の映像に、引き込まれて現代に
戻りたくないような気持ちになってしまった。山形の羽黒町あたりで撮影したのだろう

か。…… 安月給の武士が、仕事を終えると判で押したように帰り支度を始める。上
司や同僚の酒の誘いも断って家路に着く。庭に入ると夕餉のしたくの煙が上がってい
る。鶏がうろつきまわり、女の子がおやじを出迎える。死別した妻の姿はないが、幸せ
そうだ。夕日を浴びた女の子のほっぺたは真っ赤だ。その眼の表情は今の子供には

見られない。一見、暗そうに見える清兵衛だが、しっかりと自分のペースをもった姿は
自信に満ち溢れている。安月給のために薄明るい間に、庭の畑を耕し,まきを割り、食
事の後は子供と内職までする。だが、妙に時間がゆっくり流れ、一日の仕事を充実した
気持ちでこなしていく。周りの人はコ汚いない彼を哀れと思っている。だが、本人は強が

りを言うこともなく、平凡の中に確かなものを感じている。「自分は武士だが、中味は農
民なんだ。」 上司の命令に自分の意思に反して、人を切る役目を苦しみぬいた後、引
き受ける。現代のサラリーマンの苦悩に通ずるものがある。役目を果たした後、幼い頃
から想っていた出戻りの女性(宮沢りえ)と晴れて結ばれ、三年後に戦死する。

そのわずか3年間は映画では数秒の説明だが、彼には ”最高の時” だったに違いな
い。(山田洋次のこの効果的な終わり方が心憎い。) 時間の長さではない。中味なの
だ。こんな映画の観方をしたのは、おそらく私だけだろう。でもいいじゃない。それが自
分のこだわっているところだから。男性だけでなく女性も観てほしいな。 

        
この気持ちは今も全く変わらない。私が働いていた職場でも
      ある程度、任されていたので、家庭第一、仕事第二でスケジュ
      ールを組んだ。当時、日本の会社の夏休みは3日。私の会社は
      一週間近く。普段の仕事も終了時間後、五分過ぎには部屋は
      真っ暗になる。職員も仕事に打ち込んで能率を上げ、余暇の
      時間は、各自、干渉することなく自由に楽しんだ。今から40年         
      ぐらい前の話である。


         毎年のように出かけていた山形、2006年
        庄内の方まで行ったときに映画村に寄った。
        蝉しぐれ、や、たそがれ清兵衛などのロケ
       に 使われた茅葺屋根の家が点在している。
 2002年12月21日  NO.110 「たそがれ清兵衛を観て」