2014年08月23日 NO.472 「最後のタイへの旅」
友人から残暑見舞いのハガキが届いた。「外出するのにも気合が入ります。」と書いてある。
私も用事は車で済ませ、夕方、陽が西に沈むころ散歩に出かけている。猛暑というより酷暑
だ。このじりじりした焼けつくような陽差しは。
その暑い中、先日、Aさんが横浜線に乗って我が家にやって来た。両手にお土産を持って
我が家の長い階段を汗を拭き拭き上ってきた。朝、5時起きして庭の植物に水やりし、今日の
お土産用にミョウガを収穫し、テングサを煮て「ところてん」まで作って、はるばる電車に乗っ
て来てくれたのだ。Aさんは私のワイフの大学の先輩で、横浜で小学校の校長まで勤め上げ
た方だ。私との最初の出会いは強烈だった。確かその時は3人で我が家にやってきたのだが
私はAさんの服装にびっくり、いや、感動したのだ。洒落た帽子をかぶりお化粧をばっちり
決め、華やかな服装に身を固めて「こんにちは」とにっこり微笑む。その笑顔に吸いこまれて
ゆくような気がした。他の二人は年齢相応な服装をしていたので顔すら思い出せない。彼女
が帰った後、Aさんは校長を経験している人よ、とワイフから聞いて、感心してしまったのだ。
Aさんは80歳を過ぎている。当日のAさんの身なりは、彼女以外の人ならば浮き上がってし
まうぐらい奇抜なものだった。ところが、彼女は堂々とその派手さを着こなし、彼女から何か
オーラのような光が出ているのだ。こんな姿で立ち振るまう元女性校長は、日本ではそんな
にいるものではない。私はすっかり彼女のファンになってしまった。
服装の魅力はAさんのほんの一部にすぎない。彼女とご主人は、退職後からタイの山奥に出
かけ、子供たちと一緒に寝泊まりをしながら、日本語教育を中心に支援を続けてきた。そして
回を重ねる毎に援助の規模は大きくなり、退職金の一部をつぎ込んで学校まで建ててしまっ
た。これまでずっと、片方の年金分を学校の運営費につぎ込んでいる。
今では教えてきた子供が大学を出て、学校の先生をしている者もいる。「私も歳なのでタイに
行けるのは今年が最後かな。」と彼女は言う。
Aさんご夫婦のこうした活動は日本のテレビや新聞で派手に報道されているわけでもない。
地味なボランティア活動である。タイの貧しい山奥の子供たちのためではあるけれども、この
活動を通じてお二人は、普通の人では決して味わうことの出来ない感動を素朴な子供たちか
らたくさんもらっている。子供たちはAさん夫妻の生甲斐でもあるのだ。羨ましい人生を送られ
ている。私はほんのちょっぴりの応援しかできないけれど、子供たちの様子を嬉しそうに話す
Aさんからパワーをもらった気がする。彼女は「私はもっともっと時間がほしい、やりたいことが
まだまだたくさんある。」と言う。タイの子供たちへの支援活動は彼女がやっていることのごく
一部のようである。少女時代から都会に出るまでの彼女の青春時代の体験談は、今、NHK
で放送されている朝ドラ「花子とアン」の主人公と重なる。
この世にはAさんのように無名な人で人に感動を与える人がいる。私はそんな才能を持ち合
わせていない。だからせめてこうやって日記に書かせていただいて感動を共有したいと思っ
ている。いつか、Aさんの子供・青春時代のこともご紹介したい。
Aさんの今度のタイ旅行は『子供たちとのお別れの挨拶』の旅となる。きっとたくさんの教え子
が首を長くして待っていることだろう。