私の家は小田急線の町田が最寄駅である。箱根に向かって一つ先に
相模大野という隣駅がある。
2月3日の節分の日に駅に隣接しているコン
サートホールに出かけた。”同窓会、夢コンサート”を見るために。
コンサートは2時きっかり始まった。大音響のバンドの音に合わせて幕が

上がった。ステージに12・3名の歌手が立っている。中央にはサングラスを
かけた脚の長い青年が立っている。全員でオープニングソングを歌った後
中央の青年(中年)がサングラスを隣の女性歌手にそっと渡す。テレビで
よく見かける顔だ。西城秀樹である。

彼は厳しい表情でやっと立っているようだった。2曲目から彼は横に置いて
ある椅子に座って歌を続けた。3か月前、新聞折り込みが入ってきた。西城
秀樹の写真が大きく載っている。『西城秀樹の同窓会コンサート』 彼が華
々しく活躍していた頃に、やはりヒット曲を歌っていたメンバーが加わってい

る。ピンキーの今陽子もいる。秀樹が歌い終わると隣にいたあべ 静江がそ
っと彼の手を引いて暗い闇の中に消えて行った。私は秀樹が脳梗塞でしば
らくステージから遠ざかっていたのをすっかり忘れていた。私は今までライ
ヴというと若い頃に聴いていた歌手や楽団を選んでコンサートに出かけて

いた。アルフレッド・ハウゼ、ポールモーリヤ、キングストントリオ、ブラ
ザーズ・フォアー、加藤登紀子、小椋佳、石川さゆり、谷村新司・・・
ところが西城秀樹は当時、そんなに入れ込んで聴いてはいなかった。むし
ろ私のワイフや甥や姪たちが聴いていた歌手である。一時代後の人達だ。

新聞折り込みの広告を見たとき、どういうわけだか西城秀樹の声の高音の
ある音が無性に聞きたくなったのだ。何とも言えない可憐な音色なのだ。
一度ライヴでその音を直接、聞いてみたい。パンフレットを見ていた時は、彼が
病で倒れたことはすっかり忘れていた。一回目の脳梗塞の後に彼がNHKの

テレビ番組で元気に歌っていたのを思いだした。其の後、彼は二度目の脳
梗塞に侵された。医学的にいうと、2度目の脳梗塞は致命傷になる。おそら
く彼の日常生活はかなり厳しい状態だと思う。だが、彼のステージの姿は
それを乗り越えた超然としたものだった。私が聴きほれたあの可憐なのび

やかな高音は私の耳の中にゆっくりと入りこんでゆく。その音はまさに西城
秀樹のあの音そのものだった。彼が歌い終わると超満員の観客は全員立
ち上がり拍手をする。みんな涙を流していたに違いない。その涙は感動の
涙だ。2月3日、節分の日、同窓会コンサートは2時間が3時間近くまで続い

た。出演者も会場を埋めた観客も同窓会の熱気に包まれていた。先日も
日記に書いたように、私のワイフの同窓会『山大45』(山形大学45年卒)
も今、のりに乗っている。本番の準備会が頻繁に行われ、本番の後も反省
会が続く。今回の”同窓会コンサート”はそれ以上に盛り上がっていた。

2月3日の節分、今夜は恵方巻きを作る、と意気込んでいたワイフだったが、
帰りが遅くなってしまったので恵方巻きはデパートで調達することになった。
家に着くと、もちろんいつものようにサンルームで赤ワインを飲みながらコ
ンサートの余韻を楽しんだ。西城秀樹!感動を有難う。
倒れるまで”同窓会コンサート”で歌い続けてほしい!
 
 2015年02月07日  NO.477 「同窓会コンサート」