2016年03月23日 NO.494 「価値観の共有」
桜の開花が近づいてくると、何だか必要以上に気になるものだ。そろそろかな?とみ
んな期待しているので、東京の開花宣言をする気象庁の職員も大変だ。靖国神社の観
察用の桜の木の花の数を5輪、確認するために毎日数えている姿が連日、テレビのニ
ュースに流れ、彼を大勢の人が取り囲んでいる。一昨日、5輪以上を確認して、彼は声
高々に?開花宣言した。今年は平年より5・6日早いそうだ。明日から寒の戻りがある
ので今年は桜の花をタップリ楽しめそうだ。町田の恩田川の桜もすっかり成長し、その
ダイナミックに伸びた美しい姿は都内の目黒川に負けていない。毎日、一時間散歩して
いる恩田川もこの時期は花見を楽しむ人で賑やかさを増す。ワイフはトールペイント教室に
出かけている。私は今、こうやってサンルームで森を眺めながら、ゆっくり日記を書いている。
サンルームから森の中にある桜の木に目をやると、花が大分開いている。この木はこの辺
では一番最初に花が開く木なのだ。午後には全体が薄ピンクになりそうだ。恩田川もち
らほら咲き始めたかな?今日は早めに散歩に出かけるとするか。
ここ数年来、読書という習慣からすっかり遠ざかっていた。日経新聞の文化欄などは
丁寧に読んでいるのだが、活字離れの状態だ。これでは「近ごろの若者は」などと大き
な声で批判する身分ではない。学生時代はともかくとして、それ以後、山崎豊子や城山
三郎、藤沢周平等、結構、熱を入れて読んでいた。テレビドラマも「岸辺のアルバム」や
「北の国から」、韓流ドラマ「美しき日々」など、次回が待ち遠しい気持ちで観続けてきた。
それが、だんだん覚めてきたのは何でなのだろう? 歳のせいかな?自分の中では今
の時代とのずれかもしれない、と結論付けたりした。ライヴコンサートにしても同年代前
後の歌手が多い。今の時代が生み出すものに、積極的に近づいて行かない自分がそこ
にいる。ある小説を読んでその自分を再確認した。その作家は50歳代の作家だ。その
作家の文章はごくありふれた日常用語の連続で、テーマも一つに絞って深く追及するこ
ともない。サービス精神にあふれ次から次へと変化に富んだ話が続く。ワイフが友人から
借りた本なので、すでに読み終わっているワイフにこの小説はこのままの調子で終わっ
てしまうのかい?と聞いてみた。大体そのようだという、答えが返ってきた。半分を過ぎ
たところで、やめようかと思った。しかし、我慢?して読み続けることにした。
本を読み終えた。そしてコーヒーを飲みながら、そうか、これが今の時代のリズムなのか
もしれない、と感じてきた。ワイフの好きな三谷幸喜、今、大河ドラマの脚本を書いている
作家(脚本家)。ワイフは現役時代、友人と誘い合って彼の作品の舞台をよく観に行って
いた。私は全く関心が持てなかった。むしろ苦手なタイプの人物だ。けれども、今、彼の
感覚的なものが何だか見えてきたような気がする。私が夢中になる作家ではないが、今
まで理解さえできなかったあの彼の感覚がわかるような気がしてきた。
先日、モンゴルの女性アリウンザヤさんを囲んで親しい友人を交えて、このサンルームでお茶
をした。彼女は4月から大手IT企業で働くことになっている。引っ越し、研修、そして仕事
ワクワクした気持ちがあふれ出ている。私たち、年配組は彼女からたくさんのオーラをも
らった。若い彼女は私たちに合わせて会話を進めてくれたかもしれないが、私たちは年
齢からくる違和感など全くなく、素晴らしい愉しいひと時を過ごした。年齢や時代の変化
からくる価値観の違いを根底からひっくり返すことはできない。けれども価値観を共有す
ることはできる。最近は朝ドラも大河ドラマも楽しく観ている。でも、やっぱり、これだけじゃ
嫌だね。ツタヤに出かけて、「岸辺のアルバム」を注文してきた。1週間後が愉しみである。