8月21日(金)   「憧れのホワイトソーセージ」(2009年)       
                         

        中央ヨーロッパの小旅行から帰ってきてあっという間に2週間が過ぎた。2・3
       日、時差ボケが続き、ぐったりしていた。年齢を忘れてよくあちこち歩いたもんだ
       から、疲れがどっと出たようだ。特に、いけなかったのは初日のことだった。ベル
       リンのホテルに着いたのが夕方の6時だった。空には太陽が残り、午後3時の

       コーヒータイムの感覚だった。ロビーで明日の行動計画を聞いて、同行の方々
       は各自の部屋に別れて行った。私たちは荷物をボーイから受取り、お茶を飲ん
       でから、「さーてどうするか?」お互いの目が「外に出よう」と言っている。とりあ
       えずホテルの外に出た。いよいよ旅が始まる。太陽はまだ輝いている・・

       はるかかなたに戦勝記念塔が見える。自然に歩き始めた。家で調べ時、そこは
       確か1キロ近くあったはずだ。しかし道はまっすぐで、ずうっと向うに高い塔がくっ
       きり見える。道の両側は公園で通勤帰りや、散歩の自転車がまっすぐ延びる自
       転車専用の道を頻繁に通ってゆく。公園の芝生の上に寝転んでおしゃべりを

       している若者や家族連れの姿が見える。時計は夕方の7時を回っていた。
       15分で戦勝記念塔に着いた。そこから右手を見るとこれ又、はるかかなたに
       ブランデンブルク門が豆粒のように見える。確か1.6キロ先だ。ホテルに帰るの
       かな?とワイフの横顔を覗いたら、「あなた、歩きましょう!」ブランデンブルク門

       を指差している。門に着いたのが7時半過ぎ、門の上に乗っかっている戦車の
       馬が後ろを向いている。学生時代に見た門と同じ位置に門があった。ただし、当
       時はベルリンの壁があり、門の中を通り抜けることはできなかった。・・・
       さて、早いところホテルに帰らなければと、来た道を戻ろうとすると、ワイフが公園

       の中を通って帰ろう、と言いだした。確かに直角に曲がって歩いたのだから公園
       を斜めにまっすぐ横切れば多少、近道になるかもしれないが、正確な地図を持っ
       ているわけじゃなし、広大な公園の中で道に迷ったら大変なことになる。・・・・・・
       ああ、妥協しなければよかった。私たちは鈍い勘を働かせながら公園の中を彷徨

       い始めた。まっすぐな道がいつまでも続くわけがない。がむしゃらに歩くしかない。
       やっとのことで公園を突き抜けた。いったいどこだろう?賑やかな繁華街に出た。
       電車が通っている。出発したホテルの周りとは様変わりの光景だ。時計は8時を
       回っていた。そうか、ここはドイツだ。ドイツ語で道を聞けばいいんだ。

       幸いに若いカップルに巡り合って何とか場所を確認することができた。ホテルが見
       える所まで来たら、急にお腹が空いてきた。夕飯を食べていなかったのだ。うまそ
       うにテラスでビールを飲んでいる人がいる。それにつられてテラスに入って行った。
       私は太ったウエイトレスのおばちゃんに、「ホワイトソーセージはあるか?」と得意

       顔で聞いた。「いいや、ここはベルリンよ。ホワイトソーセージはミュンヘンよ。」
       お任せのソーセージを頼んだら、太いソーセージが2本、ザウアークラウトとジャガ
       イモが大きなお皿にどーんと乗っかって出てきた。ソーセージは赤い血の色をした
       レバー状の癖のあるものだった。一生懸命食べたのだったが・・・・・大分残してし

       まった。(後でErika の常連さんのシェフに聞いたら食べ慣れている人には血のソ
       ーセージはご御馳走なんだそうだ。)
       私は拙いドイツ語で、「日本人は体が小さいので沢山は食べられない。それに実は
       2度目のアーベントエッセンなんだ」と言って愛想の良いあばちゃんと握手をして別

       れた。時計は9時半を回っていた。私たちは時差を忘れていたのだ。そう、日本時
       間ではその時間は朝の5時半を回っていたことになる。
       それでも、あくる日は6時には起きて二人で録音テープのスイッチを入れてラジオ体
       操第一と第二をやってから下のレストランに下りて行った。