日野市と多摩市の境界線が入り組んでいる一ノ宮交差点のすぐ近く。交差点から四谷橋に向かって左に少し入った住宅地の中にあります。
1977年(昭和52年)都営住宅の建設工事中に発見され、発掘調査が行われた後、一部の区域が遺跡公園として残されたそうです。
とは言え、遺跡らしさはほとんど感じません。ちょっと見た目は普通の空き地です。たまに清掃や草取りが行われているようですが、雑草が伸び放題の景色を見ることが多い気がします。
目をこらして見ると、舗装された地面に塗料の跡がわずかに確認できます。当初は、時代ごとの住居跡がきれいに色分けされていたそうですが、ほとんど剥げ落ちてしまいました。
看板や金属製の銘版も、汚れや劣化で判読が難しくなっていますね。東京都教育委員会の看板だけきれいです。
有力な豪族の拠点だった可能性もありますが、記録が少なく、はっきりしたことはわからないようです。いずれにしても古墳時代から平安時代にかけて、とても大きな集落があったことは間違いなさそうです。
遠い昔の人たちの暮らしに思いをはせてみるのも一興かもしれません。
(2023年10月)