『多摩川レコード その4』2010.11.16
壮大かつ意味不明な『呼吸をしよう』
初期のホフディランの歌詞は、最近のものとは違う特徴がいくつかある。そのひとつが、壮大に見えて実は意味不明、という歌詞である。中でも、多摩川レコードは、壮大かつ意味不明な歌詞が頻出しており、初期ホフディラン独特の味わいを感じることができる。今回は、多摩川レコードから最も意味不明な曲を紹介したい。
多摩川レコードで意味不明な曲を1曲挙げるとすれば間違えなく『呼吸をしよう』である。冒頭の「天才になるにはバカにならなくっちゃ」は、全くの矛盾である。だが、実はこの矛盾を解消する鍵は、小宮山雄飛のTシャツに発見された。かつて、小宮山が作ったアインシュタインのTシャツがそれである。アインシュタインといえば、相対性理論を一人で書き上げた、天才の代名詞である。一方、小宮山がTシャツにしたアインシュタインの肖像は、舌を出したアインシュタインであった。天才のイメージを覆す肖像である。このTシャツは、呼吸をしようを補完し、冒頭の矛盾を解消するアイテムだったのである。
「健康を望むのは みんな必ず死ぬからさ」はどうだろう。すべての人間は、もちろん健康を望むだろう。また、すべての人間は当然死ぬ。だが、渡辺の説を反証するには、死なない人間が必ずしも健康を望まないことを証明しなければならない。では、この証明は可能だろうか。残念ながら、死なない人間はいないため、証明はできないのである。
「ホントのウソならば ウソじゃないのさ」はどうだろう。これだけは解釈不能である。ウソということがホントなのであるから、結局ウソなのである。いくら本気で真剣にウソをついてもウソはウソである。それとも、これは筆者の浅読みなのだろうか。実は、天才になるには…のように、補完情報があるのだろうか。約3年後、渡辺はソロアルバムで「ネズミ」や「アヒル」を嘘吐きと断定する。ネズミもアヒルも、「ホントのウソ」をついた訳で、ホントのウソはやはりウソなのだ。
「新聞もニュースも ただのエンターテイメントさ」はどうだろう。ニュースは、文脈からテレビと言い換えて差し支えないと思う。新聞、ニュースのエンターテイメント化は、昨今のメディアを見ると明らかだろう。色々な媒体が世にあふれ、新聞、ニュースの権威主義的な影響力は相対的に低下した。影響力の低下に伴い、コンテンツもバラエティ化した。もともと、既存の権威に毒づき続けるホフディランだが、さすがにここまで既存メディアが弱体化するとは予想していなかったのではないだろうか。
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