ホフディラン アルバムレビュー(第8回)

『WASHINGTON, C.D. その2』2010.12.16

ワシントンCD VS ユウヒビール(1)

 ワシントンCDを語る上で、どうしても避けられない命題がある。それは、ワシントンCDが、特に、ワシントンCDのベイビーが、ユウヒビールのユウヒと戦っている、ということである。

 初めてこの理論を聞く諸兄には、このワシントンCD VS ユウヒビールという図式は想像しがたいだろう。だが、筆者は、いくつかの例証により、この対戦図式を明示していく。

 筆者が最初にこの図式に気づいたのは、「自殺(仮)」の冒頭である。そもそも、自殺(仮)は、そのタイトルに驚かされるが、その議論は後に譲る。とにかく、自殺(仮)の冒頭は、こう始まる。

「信号は黄色ばっかりだ」

 信号といえば、ホフディランの前身ともいうべきザ・ユウヒーズの代表曲「信号」が真っ先に思い浮かぶ。ホフディランのコアなファンなら当然だ。信号といえば、「信号が赤になったら止まれ、そしてさあ青になったら進め」という単純明快な人生の指針を表現した曲である。筆者もこの曲は好きで、常時筆者のベスト10に入るほどである。

 では、ユウヒーズが表現した「信号」において、黄色の信号とは、何を表していただろうか。不朽の名曲、「信号」において、最後の最後、最も印象に残る歌詞として、次のようなフレーズをユウヒは残している。

「黄色は自分で決めろ」

 信号は赤なら止まれ、青になったら進め、というように、進むべき道をビシビシ差し示してくれたのがユウヒさんだった。それが、いくら「落ち」とはいえ、「自分で決めろ」といっているのである。

 これらの歌詞は、「自殺(仮)」と「信号」において、最も印象的な位置に配置されている歌詞である。つまり、ベイビーが「自殺(仮)」において表現したかったことはこうだ。誰も「赤」か「青」か教えてくれない。大事な部分では常に選択を迫られるのだ、と。

ベイビーは、「自殺(仮)」において、次にこういった。

「安全な場所などないんだ」

 結局、そうである。生きている以上、安全な場所など得られないのである。常に、周りとしのぎを削って、少しでも自分が抜きん出ることを目指して、身を削って努力するのである。周りも、バカではない。次々と新しい手法を開発する。「こうすれば、正しい」「こうすれば、安泰」ということは、人生において存在しない。青信号の道路のように、何も疑わずに進める道などない。現実の信号は、常に黄色ばっかりなのである。



WASHINGTON, C.D.




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